「NHKすら報じないゴルフ界のミステリー」ジャンボ尾崎を復活に導いた「伝説のトレーナー」はなぜ歴史から”抹消”されたのか

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ジャンボ尾崎選手が亡くなり先日、盛大な送る会が開かれました。日本のいや世界のゴルフ史に残る偉業を成し遂げた人物であることには間違いありません。ただその偉業の陰に名参謀、後藤修の存在があったのですが、全く触れられていないのも、なんだか淋しいなあという気分です。

丁度このタイミングで、NHKがジャンボ尾崎の番組をオンエアしていました。「アナザーストーリーズ運命の分岐点」でジャンボ尾崎の人生に、様々な角度からスポットを当てていたのです。

アナザーストーリーズだから、別の視点から見た尾崎将司像が見られると期待し、後藤修の登場を待っていましたが全く触れられず。やはりジャンボ尾崎正史では、後藤修は存在していなかったようです。

そこで私が知っている、ありし日の後藤修の姿を思い出しながら、ジャンボ尾崎を指導した証拠を提示したいと思います。

共に「野球からゴルフ」の道を歩んで

私が後藤修から直接指導を受けたのは、月刊ゴルフダイジェスト誌(1997年6月号)で「教えてっ!スクエア打法」の連載を始めてからです。後藤修に弟子入りする形で、3年ほどレッスン記事を掲載させて頂きました。

だから後藤修からジャンボ尾崎や中嶋常幸(45歳以降から。旧表記は中島常幸)選手の話は山ほど聞かされました。まずは後藤修側から見た、ジャンボ尾崎のレッスン内容を話させて頂きます。

ジャンボ尾崎こと尾崎将司は元西鉄ライオンズの選手で1965年から1967年まで在籍、一方後藤修は西鉄ライオンズに1963年に在籍しています。しかも両者とも投手という共通点があります。

そもそも両者は野球からゴルフへチェンジしており、似た部分もかなりあったのです。後藤修は先輩という立場を利用しながら、少しずつジャンボ尾崎選手との距離を縮めて行きました。

後藤修がジャンボ尾崎にレッスンを始めたのは、1986年の元旦で、アプローチの練習から始めたと語っています。そこに至るまで後藤修はジャンボ尾崎と、10年間の友達付き合いをして、お互いを認め合ってからと断りを入れています。

後藤流「懐の深さ」を会得したジャンボ

後藤修は尾崎と雑談をしているうちに「ドローやフェードの打ち分けなど、さほど理論を理解してないようだから、試しに教わってみてはどうだ」と語り、大スランプ中のジャンボ尾崎をコーチすることになります。

教えた期間は1986年から1989年ぐらいの間です。内容は超簡単に言うとクローズスタンスのフェードから、オープンスタンスでドローを打てるようにしたと語っています。ただしオープンドローは打てることが重要で、実際は右ひじが窮屈で打ちづらいから、試合の時はパワーフェードがベスト。ドローの力強いボールのエッセンスを学んでおくことが大事という。

細かい技術論は難しくなるので割愛しますが、要するに右肘の溜め、後藤修の言葉で言えば「懐の深さ」を会得したものは、どんな球でも打てるとのこと。ほか左手強化、腕を長く使う意識、手首を柔らかくさせるなど多種教え、尾崎選手の合宿などで使われ始めます。

ジャンボ尾崎選手の練習好き工夫好きは有名ですが、その元祖が後藤修だったのです。今となってはそれを証明するものがありません。

ジャンボ尾崎と後藤修の蜜月は1989年の全米オープンの6位でピークを迎えます。その頃から美味しいところを吸収した尾崎は後藤修と疎遠になっていきます。

「コーチに対する尊敬の念が全くない」

当時のことを後藤修は「日本には優秀なゴルフのコーチがおらん。それでは優秀な選手が育たない。尾崎にしても、俺が金を払ってやってんだという考えだから、コーチに対する尊敬の念が全くない」とボヤいておりました。

両雄並び立たず、実に難しいところがあります。

後藤修が弟子に幾ら教えても報われない、虚無感と申しましょうか。一抹の淋しさを感じるのは私だけでありましょうか?

ちなみに私が後藤修のレッスンを最初に受けた時、命名したキャッチフレーズが「平成の丹下段平」というものです。これは漫画『あしたのジョー』の名トレーナー丹下段平をもじったものです。今思い返すと弟子に幾ら頑張って教えても、報われない悲哀みたいなのを、後藤修に会った時から肌で感じていたのかも知れません。

とまあジャンボ尾崎に認められなかった後藤修ですが、実際は沢山の優秀な選手を指導しています。次回はその話をしましょう。

【後編記事】『「弟子に理解されず、殴り飛ばして…」ジャンボ尾崎、中嶋常幸を育てた《悲哀の名伯楽》後藤修の偉業をたどる』へつづく。

【つづきを読む】「弟子に理解されず、殴り飛ばして…」ジャンボ尾崎、中嶋常幸を育てた《悲哀の名伯楽》後藤修の偉業をたどる