ヤマザキマリ スピードスケートの授業が心底嫌いだった北海道での幼少期。しかし、オリンピックで知ったある選手の姿が…

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北海道で暮らしていた幼少期、校庭に作ったスケートリンクでさせられたスピードスケートが嫌いだったというマリさん。しかしその後、スピードスケートに対する嫌悪感を和らげたある出来事があったそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ)

【写真】校庭に作られたスケートリンクで…(写真提供:マリさん)

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スピードスケート考

むかしから運動という目的のために体を動かすことが好きではなかった。北海道に暮らしていた幼少期、昆虫を捕まえるために山を走り回ったことで培った運動神経は体育の授業でも存分に発揮され、短距離走や走り幅跳びの選手として地域の競技会にも出場させられていたが、昆虫を捕まえるという目的のために走るのとは違い、他者と能力を競い合うために走るのは苦手だった。

当時私が暮らしていた北海道の街では、冬になると雪が積もった校庭に水を撒いて大きなスケートリンクを作り、子どもたちはそこでスピードスケートを学習しなければならなかった。

当時は今のようなハイテクな防寒用ウェアもないから、氷点下の気温と格闘せねばならず、それだけでもつらいのに、自分たちが作った氷の上を心許ない細い金属の刃に体重を預け、滑りの速さを競い合うこのスポーツを、私は心の底から嫌っていた。

一度だけ担当の先生に「スピードスケートを学ぶ理由は何ですか。将来何の役に立つんですか。氷の上を猛スピードで滑らなければならない用事って、いったいどんなことですか」と、質問したことがあった。

先生にしても寒い中で子どもらにスケートを教えるのは快いことではなかったのだろう、私のその質問に対し苛立ち丸出しの声で「余計なことは考えない! 氷の上を滑る爽快感を楽しめばいいの!」と返された。

パーフェクト・ゴールドメダリスト

スピードスケートに対する嫌悪感が和らいだのは、1980年の冬季オリンピックでエリック・ハイデンというスピードスケート選手を知ってからだ。

出場したすべての種目で金メダルを獲得したことからパーフェクト・ゴールドメダリストと称されていたハイデンの、黄色いスケートスーツに身を包んだ姿をアップリケにして、家庭科の課題だったエプロンに貼り付けるほど私はこの人に惹かれていた。

私が大嫌いでたまらなかったスピードスケートで、白い歯を見せて微笑みながら悠々と競技に挑んでいる心のゆとりと、氷の上を疾風のごとく無駄のないフォームで滑りこなしているその姿が、ただただかっこよかった。

しかもハイデンは、このオリンピックが終わると潔くスピードスケート界から引退し、ウィスコンシン大学を経てスタンフォード大学大学院で医学博士号を取得、外科医となった。

イタリア・ミラノで

「金メダルという結果よりも、自分のベストを尽くすために頑張った時間こそ、何より大切なこと」と語っていたハイデンは、その研ぎ澄まされた知性も含め、肉体と精神のバランスの取れた、それこそ古代から理想とされる人物だった。

今年、NHKの冬季オリンピック開会式の中継での解説のため、イタリアのミラノにしばらく滞在していた私は、久々にスピードスケートの競技会場で、選手たちの練習風景を見る機会があった。

その時にふと、冬の過酷さもトレーニングのつらさもにこやかに乗り越え、運動以外の分野でも人間力の発揮に妥協のなかったエリック・ハイデンという人を思い出し、久々にスケートを滑ってみたくなった。