走行中に震度7「全身が震えた」…脱線を共にした『つばめ』が最後の旅へ 当時の運転士、蘇った姿の“相棒”に再会【熊本地震10年】
「節目」全線開業15周年 被災から10年
3月12日午前10時9分。九州新幹線の全線開業15周年を祝う臨時列車が、熊本から博多へと出発しました。
【写真を見る】走行中に震度7「全身が震えた」…脱線を共にした『つばめ』が最後の旅へ 当時の運転士、蘇った姿の“相棒”に再会【熊本地震10年】
JR九州 矢野慎一郎 熊本駅長「熊本地震後も新幹線を利用いただき、人と人とがつながってきた。九州と関西をつなげられる存在でありたい」
2004年に開業した九州新幹線。
まずは新八代から鹿児島中央までが開通し、その後2011年3月12日に鹿児島中央から博多までが繋がりました。
通勤通学で、ビジネスで、観光で…全線開業から5年で着実に利用客を増やしていた2016年の春。
4月14日、熊本地震の前震で、走行中の新幹線が震度6弱の揺れに襲われました。
JR九州初の“脱線” たった1人乗っていた運転士
当時のリポート「熊本駅の南側です。回送車両が、車両基地に向かう途中で脱線しています」
『つばめ 800系 U005編成』。この日の営業運転を終え、富合町の車両所へ戻っているところでした。
車内にいたのは運転士ただ1人。当時、新幹線の運転士になって2年目だった枝元正哉さんです。
回送中とはいえ、時速80キロで走行中でした。
地震発生時の運転士 枝元正哉さん「最初は下から突き上げるような衝撃がきて、運転席の天井に頭をぶつけました。その後、イスから落ちるくらいの左右の揺れがきました。その時点では地震と分からなくて」
停電した車両から外に出た枝元さんが見たのは、レールから外れた車輪でした。
“新幹線の脱線”
枝元さんは もちろん、JR九州でも初めての事態でした。
本震、そして復興…脱線した「つばめ」は二度と走らず
地震発生時の運転士 枝元正哉さん「全身が震えていましたし、手もずっと震えていました」
その後、16日に本震が発生。復旧作業に着手したのは脱線から4日後でした。
6両すべてをレールの上に戻し、車両所へ移送。線路の安全確認、試験走行などを経て、前震の発生から13日後に全線での運転を再開しました。
九州の南北を結ぶ大動脈が再びつながったことは、復旧・復興への一歩になりました。
当時の利用客へのインタビュー「よかったですね ほっとしました」「欠けていた部分がつながって、ひとつになったという気持ちです」
一方で、脱線した車両は「営業運転は不可能」と判断され、その後、車両所から出ることはありませんでした。
『いってきます』『おつかれさま』寄り添い続けた“10年目のチャンス”
あれから10年・・・「つばめ」の車両が、再び脚光を浴びることになりました。九州新幹線「全線開業15周年」のシンボルに抜擢されたのです。
九州新幹線全線開業15周年プロジェクト『つばめの大冒険』。
車体を磨き、塗装を施し、ピカピカの姿で「つばめ」を海上輸送し、博多駅を目指します。
その知らせに胸を躍らせたのが、共に脱線を経験した枝元さんでした。
3月9日、枝元さんは、車両基地で修繕された「つばめ」の先頭車両と対面しました。
枝元さん「めちゃくちゃきれいになっていますね。きょう初めて見ました、きれいになったのを」
この日、先頭車両の傍らにはボロボロになった2号車・3号車もありました。
この10年、雨風にさらされながら、塗装の練習や脱線復旧訓練などに使われた勲章です。
枝元さん「自分は相棒みたいに思っていて。夜は『おつかれさま』と言って帰り、朝仕事に行くときに『いってきます』と、横を通るたびに思っていました」
枝元さん「窓とかドアとか雨の汚れとか、塗装も剥げていたので。めちゃくちゃきれいになっています。嬉しい、これは嬉しい、すごい」
そして、3月12日。先頭車両が輸送用のトレーラーへと積み込まれました。
熊本地震から10年。「つばめ」は、まもなく最後の旅に出ます。
地震発生時の運転士 枝元正哉さん「もう営業列車としては走れませんけど、またみんなの前に出て来られるのは、自分としても、とても嬉しい。本当に、この車両をみんなに見てもらいたいですね」
『つばめの大冒険』今後のスケジュール
▼3月28日(土)深夜~3月29日(日)早朝
車両所から熊本港へ陸上輸送
▼3月29日(日)
台船へ積み込み出航
▼3月29日(日)~4月7日(火)
大牟田~八代~串木野~鹿児島湾~指宿~博多を航行
▼4月10日(金)~19日(日)
JR博多駅前広場で展示
