#6 「倫理学」の語源とは──山本芳久さんが読む、アリストテレス『ニコマコス倫理学』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
山本芳久さんによるアリストテレス『ニコマコス倫理学』読み解き #6
天文学、生物学、詩学、政治学、論理学、形而上学などあらゆる分野の学問の基礎を確立し、「万学の祖」と呼ばれる古代ギリシャの哲学者アリストテレス(前384-前322)。
彼が「倫理学」という学問を歴史上初めて体系化した書物が『ニコマコス倫理学』です。
「倫理学」と訳されているギリシャ語は「人柄に関わる事柄」という意味で、彼が倫理学と呼ぶものは、義務や禁止といったルールを学ぶことではなく、どのような人柄を形成すれば幸福な人生、充実した人生を送ることができるのかを考察することでした。
今回は、2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第6回/全6回)。第1章──倫理学とは何か より
性格と幸福
続けてアリストテレスはこう述べます。
さらにまた、若者は情念に動かされやすいので、このような講義を聴いてもむだであり、得るところがないであろう。この研究の目的は認識ではなくて、行為だからである。また、年齢の点で若かろうと、性格に未熟さが見られるのであろうと、少しも違いはない。その欠点は時間によるのではなくて、情念のままに生き、情念のままにあれこれのものを追求することによるからである。そのような未熟な者たちにとっては、「抑制のない人」の場合と同様、認識は無益に終わるほかはない。しかし理性にしたがって欲求し行為する者たちにとっては、こうした事柄について知るのは、大いに有益であろう。
「情念」は感情のことと考えて差し支えありません。若者は感情のままに生きて、感情のままに様々なものを追い求める傾向があるというわけです。「抑制のない人」については第3章で詳しく取り上げるので、頭の片隅に置いておいてください。「抑制のなさ」は『ニコマコス倫理学』の重要な概念の一つです。
この引用を読んで多くの人が思うのは、「若者は倫理学を学ぶ意味はないのか?」ということでしょう。高校を出たばかりの大学生からは、必ず講義で質問が出るところです。ですがよく読むと、アリストテレスは「年齢の点で若かろうと、性格に未熟さが見られるのであろうと、少しも違いはない」と言っています。つまり、重要なのは生物学的な年齢というよりは精神的な年齢であって、「性格」がしかるべき成熟に達していれば、大いに学ぶ意味があるとアリストテレスは考えているのです。
いま「性格」という言葉が出てきました。アリストテレスの倫理学は、「徳」を身につけることで「性格」をよりよい方向に変容させていき、それによって「幸福」を実現するという基本構造を有しています。実際、第二巻「〈性格の徳〉と中庸説」の第一章「〈性格の徳〉はどのようにして形成されるか」では、次のように記されています。
〈性格の徳〉の方は習慣から形成されるのであって、ここから「性格の(エーティケー)」という呼び名も「習慣(エトス)」という言葉を少し変化させてつくられたのである。
これは、アリストテレスの倫理学を考えるにあたり非常に重要な話です。ギリシア語が出てくるので少し難しいかもしれませんが、順を追って説明していきましょう。
「倫理学」の語源
図「「習慣」の重要性」を見てください。
まず、「エトス」というギリシア語の名詞があります。これは「習慣」という意味です。「エトス」の最初の母音を伸ばして「エートス」にすると、「性格」や「人柄」といった意味の名詞になる。先ほどの引用でアリストテレスが言っていたのは、この「エトス」と「エートス」が似ていることは単なる偶然ではない、両者は事柄として深いつながりがあるということです。つまり、人間の「性格」や「人柄」は、「習慣」の積み重ねによって形成されるというわけです。たとえば、人は勇敢な行為を積み重ねることによって勇敢な人間になる。臆病な行為を繰り返すことによって臆病な人間になる。このように、人間の性格は習慣の積み重ねで形成されるため、「エトス」と「エートス」は不可分なのです。
更に、「エートス」という名詞は形容詞化することができます。それが「エーティコス」で、「性格に関わる」「人柄に関わる」といった意味になります。この形容詞は更に名詞化することができて、それが「タ・エーティカ」です。「タ」は複数を表す冠詞の一つで、少し変な日本語にはなりますが、複数を強調して訳すと「人柄に関わることども」という意味になります。
なぜわざわざ「タ・エーティカ」までの変化を説明したのかというと、この「タ・エーティカ」という名詞形が『ニコマコス倫理学』の原題の一部だからで、「倫理学」と訳されているのは、「タ・エーティカ」という語にほかならないのです。
すでに述べたように、われわれは「倫理学」と聞くと、「○○すべきだ」といった義務論的な事柄を追究する学問だと考えがちです。しかし、倫理学の原点であるアリストテレスの著作のタイトルは「タ・エーティカ」、つまり「人柄に関わることども」の探究という意味だったのです。
どのような人柄を形成すれば幸福な人生を送ることができるか、を考察する学問。それが、われわれが「倫理学」と呼び慣わしている学問なのです。
本書『NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学』では、第2章以降「幸福とは何か」、「「徳」と「悪徳」」、「友愛とは何か」、特別章「アリストテレスとトマス・アクィナス」という構成で、「ニコマコス倫理学」について読み解いていきます。
著者山本芳久(やまもと・よしひさ)
1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。千葉大学文学部准教授、アメリカ・カトリック大学客員研究員などを経て、現職。主な著書に『トマス・アクィナス─理性と神秘』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『世界は善に満ちている─トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)、『キリスト教の核心をよむ』『愛の思想史』(共にNHK出版)、『危機の神学─「無関心というパンデミック」を超えて』(若松英輔氏との共著、文春新書)など多数。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学 「よく生きる」ための哲学』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。
※本書における『ニコマコス倫理学』の引用は、朴一功訳の京都大学学術出版会版に拠ります。
※本書は、「NHK100分de名著」において、2022年5月、および2023年10月に放送された「アリストテレス『ニコマコス倫理学』」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「アリストテレスとトマス・アクィナス──『ニコマコス倫理学』から『神学大全』へ」、読書案内などを収載したものです。

