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英国初となる時速100マイルの最高速度

「3速で3600rpmまで引っ張ってみてほしいです」。目一杯右足を倒した状態にあるヴォグゾール30-98のタコメーターは、2800rpmを指している。なかなか挑戦的な発言に思える。

【画像】英国初 160km/h超の量産車 ヴォグゾール30-98 OEタイプ 同時期のクラシックも 全133枚

排気音がけたたましい。ギアが発するノイズを完全にかき消す。剛性感に乏しいステアリングホイールを、しっかり握る。確かに徐々にスピードは上昇していく。既に筆者は、相当な勇気を振り絞っている。


ヴォグゾール30-98 OEタイプ(1922〜1928年/英国仕様)

テストコースのカーブが接近する。右足の力を緩める直前、3600rpmを示す36へ針が迫る。恐らく、最高速度は110km/hをわずかに超えた辺りだろう。

今となっては小さなハッチバックでも問題なく出せるスピードだが、30-98ではギリギリの体験。コーナーの手前までに、確実にスピードを落とす必要がある。

こんな手に汗を握る体験の前に、ロンドンの北へ位置するルートン・ホー・ホテルの前で、30-98を5台並べて記念撮影を済ませた。ホテルから数kmも離れていない場所の工場で、1923年に生産が始まったクルマだから。

1940年には近郊の道で、30-98の存在が設立に大きく関わったヴィンテージ・スポーツカー・クラブ(VSCC)が、最高速記録にも挑んでいる。誕生から1世紀をお祝いするのに、ピッタリの場所といえる。

今回ご参集願ったのは、OEタイプと呼ばれる後期の30-98。英国で初めて、カタログの最高速度に時速100マイル、161km/hが記された量産車だ。第一次大戦前、ヴォグゾールは優れたスポーツカーを生み出していたから、当然といえる性能だった。

ヒルクライムで勝てる軽量で高速なモデル

その起源となる、30-98 Eタイプが設計されたのは1913年。後にOEタイプへ搭載される燃料供給システムを開発したジョセフ・ヒギンソン氏が、ヒルクライム・レースで勝てる軽量で高速な公道用モデルを作って欲しい、と頼んだことがきっかけだった。

ヴォグゾールの主任技術者だったローレンス・ポメロイ氏は、既存のA10型サイドバルブ・エンジンを改良。1908年から製造されていたAタイプ用のシャシーへ搭載し、最初の30-98を生み出した。


ヴォグゾール30-98 OEタイプ(1922〜1928年/英国仕様)

このモデル名は、1000rpmでの出力が30bhp(30ps)なことと、最高出力が98bhp(99ps)なことを示したものだと考えられている。他の説も存在するけれど。

グレートブリテン島の中西部、シェルズリー・ウォルシュで開かれたヒルクライム・レースへ間に合うよう、ヒギンソンに1号車が届けられた。1913年6月のイベントで、彼は最速記録を更新。1921年まで、55.2秒が破られることはなかった。

ところが、1914年に第一次世界大戦が勃発。量産車の製造は、集結する1919年12月までお預けとなってしまう。

一方、その5年間にオーバーヘッド・バルブ(OHV)・エンジンの開発を進めていたポメロイだったが、30-98の量産を目的に渡米。事業に必要な100万ドルの資金を集めることに難航し、帰国は難しい状態が続いた。

そこでヴォグゾールは、彼と考えを共有してきたCE.キング氏を、後任の主任技術者に指名。OHV構造の開発を引き継ぎつつ、直列4気筒サイドバルブ・エンジンを搭載した30-98 Eタイプを量産。288台が提供されている。

すべての面で高性能化されたEOタイプ

1922年にはOHVの頭文字が追加された、30-98 OEタイプへ進化。1923年1月19日にロンドンのヴォグゾール・ディーラー、ショー&キルバーン社へ届けられている。

4気筒エンジンの排気量は、初期のEタイプが4525cc。OEタイプではストロークが10mm短くなり、4224ccへ僅かに小さくなっていたものの、すべての面で高性能化されていた。


ヴォグゾール30-98 OEタイプ・クリントン・サルーン(1926年式/英国仕様)

クランクケースはEタイプと共有するが、ブロックは新設計。シリンダーヘッドが別体となり、オーバーヘッド・レイアウトのバルブはプッシュロッドで動かされた。排気系は運転席側、吸気系は助手席側という配置だった。

最高出力は、Eタイプの98bhp(99ps)から115bhp(116ps)へ増強され、30-98の動力性能は大幅に引き上げられた。それに合わせて、シャシーに用いられたスチール材も肉厚に。ホイールベースは4インチ、101mm伸ばされた。

架装された標準ボディは、通称ヴェロックスと呼ばれたツアラー。シャシーに合わせてEタイプから伸ばされ、幅が広げられ、マッドガードのデザインやダッシュボードのメーター類も変更を受けていた。

60台目のOEタイプが製造された時点で、フロントブレーキを獲得。一番右側へ配置されたペダルを踏めば、フロントでの減速が可能だった。とはいえ通常は、従来どおりレバーで操作するリアブレーキを用いることが一般的だったが。

アマチュア・ドライバーから集めた支持

OEタイプが発表された1922年、英国の議員だったレナード・ロップナー氏は、当時のAUTOCARへ手紙を送っている。最高速度が時速100マイルを超えるクルマがないことに対する不満と、OEタイプに対する期待が綴られていたという。

ロップナーのOEタイプは、1923年3月28日に納車。傾斜したテールとカウリングされたラジエターを備える、2シーターのアルミ製ボディで、両サイドにスペアタイヤが搭載されていた。ボディは眩しく研磨され、シルバーアローという愛称を得ていた。


ヴォグゾール30-98 OEタイプ・ヴェロックス・ツアラー(1925年式/英国仕様)

当時のブルックランズ・サーキットで、彼のOEタイプは最高速記録に挑戦。ステアリングホイールを握ったのはテストドライバーのマット・パーク氏で、見事、時速100.7マイル、162km/hを残している。

その後、ロップナー自身もレースやヒルクライム・イベントへ出場し、複数回優勝。ロンドンとグレートブリテン島北部との往復にも、OEタイプは活躍したという。

1920年代の英国では、アマチュア・ドライバーがモータースポーツへ興じる際のマシンとして、OEタイプは支持を集めた。実際、多くの主要イベントで勝利を重ねている。

ヴォグゾールは、OEタイプの評判からブランド力を高めていった。遥か南のオーストラリアでも、ディーラーを営むボイド・エドキンス氏が最高速に挑み、30-98の能力を知らしめている。

それでも1925年頃には、OEタイプの技術や性能は際立たなくなっていた。サンビームやアルファ・ロメオなどが、先進的な技術を採用した軽量なスポーツカーを投入。設計の古さは隠せなかった。

この続きは後編にて。