ケパは?チェルシーで出場したGK「最高の5名と最悪の5名」

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1992年に創設されたイングランド・プレミアリーグ。それから28年が経過した。

今回は『Planet Football』の「チェルシーのGKとしてプレミアリーグに出場した21名のランキング」から、上位5名と下位5名を紹介する。

▽ベスト5!

5位:ドミトリー・ハーリン

チェルシー所属:1992〜1999年

チェルシーのオールドファンにはおなじみの名前であるロシア代表ゴールキーパー。ジョギングパンツを着てプレーする独特の姿が印象的であった。

彼はプレミアリーグで決して常に一貫性があったわけではないが、数年間レギュラーとしてゴールマウスを守り、1998年のカップウィナーズカップで目を引くパフォーマンスを見せて優勝に貢献した。

なお現役引退後もイングランドで指導者として生活をしており、6部のヘメル・ヘンプスタッド・タウンでGKコーチを務めている。

4位:エド・デ・フーイ

チェルシー所属:1997〜2003年

ハーリンからポジションを奪ったオランダ人GKデ・フーイ。後にカルロ・クディチーニにレギュラーを明け渡すことになるが、彼が絡んだコンビは非常に信頼できるものだった。

FAカップ、リーグカップ、カップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ、そしてチャリティシールドとタイトルを獲得。間違いなくその結果も悪くなかった。

なお、現在はADOデンハーグのユースでゴールキーパーコーチを長く務めており、後進の育成に従事している。ちなみに14歳の息子ウェスレイ・デ・フーイはオランダ屈指の期待を集める若手レーシングドライバー。

3位:カルロ・クディチーニ

チェルシー所属:1999〜2009年

カステル・ディ・サングロという小さなクラブで怪我と戦っていたクディチーニ。友人のマルケジャーニがジャンルカ・ヴィアッリに推薦し、わずかな手数料でチェルシーに加入したという。

初年度こそサブの立場だったが、徐々に出場機会を増加させて守護神に定着。印象的なPKセーブを見せるなどして評価を高めた。イタリア代表の経験がなかったため、一時期はイングランド代表に招集されるのでは?という噂もあった。

なお、引退後はチェルシーに復帰してスタッフに。現在はローンプレーヤーテクニカルコーチとして若手の指導を行っている。

2位:ティボー・クルトワ

チェルシー所属:2011〜2018年

ヘンクから19歳でやってきた彼は、アトレティコ・マドリーへローン移籍していた3シーズンで大きく名を上げてチェルシーへと復帰。ペトル・チェフからレギュラーを奪い取り、スタンフォード・ブリッジのゴールマウスを守った。

2014-15シーズンと2016-17シーズンのプレミアリーグを優勝した彼は、2018年にレアル・マドリーへと移籍。それからクラブはゴールキーパーに苦しみ続けている。

1位:ペトル・チェフ

チェルシー所属:2004〜2015年

これは議論の余地がない選択だろう。クラブが歴史上最も成功を収めたときの守護神であり、それを導いた中心人物でもあった。

2000年代なかばのサッカー界では最高のゴールキーパーであった彼は、2004年と2006年にジョン・テリーとともに最上級の記録を残し、タイトルをもたらした。4回のプレミアリーグ、4回のFAカップ、3回のリーグカップ、1回のヨーロッパリーグ、そして2012年のUEFAチャンピオンズリーグ。数多くの栄光に彩られている。

昨年テクニカル&パフォーマンスアドバイザーとしてチェルシーに復帰し、現在はクラブのスタッフとして活動。一方少年時代にやっていたアイスホッケーも再開し、4部のギルドフォード・フェニックスでプレーしている。

▽ワースト5

17位:レニー・ピッジリー

チェルシー所属:2003〜2006年

チェルシーのアカデミーで育成された期待のGKピッジリーは、2003-04シーズンにワトフォードへと貸し出され、10代でレギュラーを獲得する活躍を見せた。

次年度に復帰したものの、カルロ・クディチーニやペトル・チェフがいる中でほとんどチャンスはなく、プレミアリーグではわずか2試合の出場に終わっている。

2006年にミルウォールへと移籍した後はすぐに才能を発揮するかと思いきや、結局なかなかブレイクすることが出来ず主戦場は下部リーグに。様々なクラブを渡り歩き、一昨年現役を引退した。

引退時、クラブからの発表によって衝撃の事実が明らかに。実はミルウォール時代から10年以上に渡って長年うつ病に苦しんでいたそうで、それが成功を妨げていたとか。

18位:クレイグ・フォレスト

チェルシー所属:1997年

カナダ代表として長年プレーしていたフォレストは、イプスウィッチ・タウンで活躍した後に30歳でチェルシーへとやってきた。

ルート・フリット監督の下半年間で3試合プレーすることが出来、レスター戦とウィンブルドン戦では勝利に貢献。ところがイプスウィッチ・タウンが完全移籍を拒否したため、すぐに復帰していった。奇妙な獲得だった。

19位:ニック・コルガン

チェルシー所属:1992〜1998年

アイルランドの名門ドロヘダ・ユナイテッドから1992年に加入。若き期待のゴールキーパーであったが、6シーズンチェルシーに所属してプレーしたのは1試合のみ。ほぼすべてをローン移籍で過ごし、そしてどこに移籍してもプレーできなかった。

ただ、彼はその後1999年から所属したハイバーニアンでブレイクを果たし、アイルランド代表にも招集。バーンズリーでもレギュラーを務めるなど、チェルシー時代の苦戦を跳ね飛ばすようなプレーをしたことも。

晩年はハダーズフィールド・タウンでプレーしながらバーンズリーのアカデミーでGKコーチとして働くなど指導者としてのキャリアを早くから選択していた。現在はウィガン・アスレティックのコーチを務めている。

20位:ジェリー・ペイトン

チェルシー所属:1993年

1990年ワールドカップでアイルランドの代表メンバーだったペイトンは、37歳の時にチェルシーへと加入した。フラムやボーンマスで長くキャリアを重ねた名GKは、エヴァートンからローンで獲得されている。

ただ1試合も出場することはなく半年間で返却されることになり、そのまま次年度に現役を引退している。

なお、引退した後はGKコーチとしてアーセナルやフラム、ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸、清水エスパルスなどで指導を行い、非常に成功している。現在はスチュワート・バクスターが率いるインドのオディシャFCでアシスタントコーチ。

21位:マーク・ボスニッチ

チェルシー所属:2001〜2003年

マンチェスター・ユナイテッドから2001年に加入したオーストラリア人GK。アレックス・ファーガソンが期待した選手ということで話題になったものの、すぐにフィットネスと怪我の問題に苦しんだ。

2001年11月のエヴァートン戦で負傷し、そして2002年にはコカインの摂取が明らかになって9ヶ月間の出場停止に。そのままチェルシーを解雇された。

現在はオーストラリアのメディアでコラムニストや解説者として活動している。

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ちなみに、現在の守護神ケパ・アリサバラガは21人中14位だった。

「ケパは間違いなくこのリストに並んでいる者よりも才能があるが、その役割に与えられた期待に応えられていない」

「ニール・サリバンやマーク・シュウォーツァーらはほとんど出場していないが、サブとして期待されたことを全うした。ケパを擁護するにはあまりにも移籍金と給料が高すぎる」と評価されている。