ほんとは優等生だった「松村雄基」歌いながら殴る不良役に愕然

ラグビーW杯に、いま日本中が沸いている。時をさかのぼり1984年、同じくラグビーが大きな話題を呼んだ。荒廃した高校のラグビー部が日本一になる、実話をもとにしたドラマ『スクール☆ウォーズ』がお茶の間の人気をさらったのだ。
同作で、“高校イチのワル” から熱血ラグビー部員になった少年を演じていたのが、俳優の松村雄基(55)だ。
「台本に『歌いながら殴る』と書いてあって、カルチャーショックを受けました。現場入りすると、『みんなマジなんだ』というのがひしひしと伝わってきて、これが大映ドラマか、と」
当時は、全国的に不良ブームで、テレビ制作会社「大映テレビ」が作る青春ドラマが、ツッパリ文化の隆盛にひと役買っていた。
松村は1984年、21歳のときに『少女が大人になる時 その細き道』(TBS系)で大映作品に初出演を果たして以来、『不良少女と呼ばれて』『スクール☆ウォーズ』など、同社のドラマには欠かせない存在になった。とくに松村が演じてきた不良少年役は、「カッコいい不良」の代名詞になり、絶大な人気を集めた。
「初めて不良役を演じた『不良少女〜』のとき、放送翌日には、電車のなかで僕のセリフのマネが聞こえて来るんですよ。セリフの言い方も独特で、名前を呼ぶんです、『〇〇、オマエが好きだぜー!』って(笑)。
対面して僕を見ながら、『笙子〜!(いとうまい子が演じたヒロイン役)』とマネを披露してくれる人もいました。セリフから覚えてもらえることは、嬉しかったですね」
『不良少女〜』で松村が演じた西村朝男は、オールバックに、白いダボダボのスーツ、黒のサテンのシャツという、ほぼワンパターンに統一されたファッション。
「現場入りすると、その姿でずっといて、オールバックのままご飯を食べに行くわけですよ。だから、飲食店に居合わせたお客さんから、非常に好奇な目で見られていました。
いま思えば、セリフも衣装も、現代で『2.5次元』の舞台がやっていることを、大映ドラマで劇画チックにやっていたのかなと。『大映ドラマは劇画だ』と言われていましたし。
僕は『大映トリップ』と呼んでいますが、大映ドラマに触れて、その世界観に飛び込んだ瞬間、日常を忘れて旅をしたような感覚に陥ります。『日常にないものを見るのがドラマの醍醐味だ』と思ってやっていましたが、10年超のあいだで10作以上に出演していると、だんだんその世界が普通になって、無いと生きていけなくなっていました(笑)」
大映イズムが色濃くあらわれた松村のツッパリ役は、世間のリアル不良少年たちからも尊敬を集めていた。
「20歳を超えたぐらいのころです。ある日、高速を車で走っていたら、渋滞につかまりまして。止まって動かない状態から、ようやくノロノロ動き出したんですけど、僕のまわりが、みんな暴走族車だったんですよ。よく見渡してみると、料金所に10列ぐらいで並んでいる車も、全部そう。
そのなかの1台に見つかって、『おい、松村だぜ!』って。それで、トロトロ走る僕の車に、10代後半の不良少年たちが次々にハコ乗りして近づいてきて、『握手してくれよ!』って手を出してくるんです。しょうがないから、運転しながら握手しましたね」
その渋滞は、警察が暴走族車の「シャコタン(車高を落とす違法改造)」に検問を敷いたためにできたものだった。
「不良少年たちの車と一緒に料金所を出ると、彼らはみんな、『はい、こっち寄って』と警官のほうに吸収されていくわけです。僕はふつうの車なので、別の道を行くんですが、道が分かれた彼らから、『松村さーん!』と大声で呼ばれまして。よく聞いてみると、『立派な不良になりまー!!』って言ってるんですよ。
もちろん改造車は良くないんですが、ドラマの僕を見てシンパシーを感じてくれたところに純粋さが見えまして、『かわいいな〜』と思いましたね。僕はそのとき、彼らより少し年上でしたし」
求められて握手をすると、「やった! ケンカ強くなった!!」と喜ばれることも。そうした少年たちを、温かい目で見ていた松村だが、困った状況になることも……。
「ニコニコしながら『ケンカしてください』と言われたこともありました。どう対応したらいいかわからなくて、『いやいや、できないよ』と答えると、『お願いしますよ、ケンカしてくださいよ』って食い下がられて。
そういう子たちは、プロレスラーや相撲取りにチャレンジするような感覚で来るんですよ。だから、悪気はない感じでしたね」
1月3日から12月30日まで「撮影ざんまい」青春のすべてが大映に
20歳前後に演じた不良役でブレイクした松村だが、じつは私生活では、中学で生徒会長を務めるなど、「まじめキャラ」だった。ドラマと実生活の圧倒的な差に、ストレスはなかったのだろうか。
「『ちょいワル』ですらありませんでした。でも、ギャップを感じている余裕もなかったんですよ。もう、セリフを言うので精一杯(笑)。僕の個人的な思いはなにも入れず、脚本にのっとって、夢中で演じていただけなんです。
ただ、他人を殴ったり蹴ったりすることも含めて、ふだんはできないようなこと、言えないようなことを、役を通じて思い切りするのが、どこかストレス解消にもなっていた感はなきにしもあらずで。
『不良だからこうしなきゃ』と、堅苦しく考えてはいませんでした。『こんなことはふだんは言わないけど、役だから言うんだもん』と思えば、スッと役に入れた。現場ではまわりも、『あれは役だからね』という感じで接してくれていましたし」
優等生だった松村は、どのようにしてカメラの前で「日本中が憧れる不良」に変身していったのだろうか。
「僕の演じた役柄は、あまりモデルケースがないようなツッパリ役。特殊でしたので、とにかく台本に忠実にやりました。でも、所作のイメージまでは書いていないから、衣装を着てバイクにまたがったりするとき、まずはセリフから『こうだろうな』と僕が思うままやって、あとはダメ出しされるままに直す。
そういう意味では、『とにかくスタッフの言う通りにやる』ということを大切にしていました。『こうしろ』と言われたら、何がなんでもやる。現場では『つべこべ言う前にやれ!』と、よく言われていました。
でも、それは正解だったと思います。僕らみたいなガキンチョは、あれこれ考える前に、大人の言うことに従ってみるのが大事。やってみて出来なかったら、話し合いにも応じてくれるわけですから」
栄華を極めた1980年代の大映ドラマには、松村がよく共演していた伊藤かずえをはじめ、鶴見辰吾、堀ちえみ、いとうまい子、岡田奈々など、若手スターたちがキャスティングされていた。さぞや同世代で親交を温めていたと思いきや……。
「当時は、『撮影、撮影』の毎日で、早いときは始発で行って、終電で帰ってくる。とにかくセリフの『覚えて忘れて』を繰り返すことに必死でした。休みは週1ペースもなく、月に1〜2回ぐらい。僕はとくに、現場に行けばケンカとか立ち回りがよくありましたので、休みの日はここぞとばかりに寝ていました。
そんな現場が、年末は12月30日ぐらいまで、年始は1月3日ぐらいから入っていましたから、役者同士が集まってお互いグチを言い合ったりする時間なんて、なかったですね。
それから撮影中は、食事もだいたい『バレ飯』といって、みんな個々で食べに行くんですよ。汚れるといけないから衣装を着替えて、ご飯屋さんを見つけて、食べて、帰ってきて、歯を磨いて、ちょっと予習するのに、全部で45分くらい。合間の休憩時間もありましたが、体を休めるか、台本を読むかで」
人気ドラマの舞台裏は、寸暇も惜しむ“撮影地獄”。しかし松村は、逃げ出したいとは一度も思わなかった。
「20代の心も体もいちばん動く時期を、ずっと大映テレビのスタジオで過ごしていました。現場には、共演者・スタッフふくめ、年上も、同年代も、年下もいて、まるで家族のように感じていました。
同じ環境にいた俳優仲間たちとは、それぞれが主役になる回で必死に頑張っている姿や、スタッフに怒られながらも歯を食いしばっている姿を見ることによって、言葉ではなく励まし合っていたと思います。だから僕は現場で、『青春』を経験させてもらっていたんです。
いま振り返ってみて、『あれだけ寝食忘れて没頭した時間は、なかなか持てるものじゃない』と思っています。同級生たちが恋愛やケンカに夢中な時期に、僕は大映で自分のプライベートも一緒くただった。だからこそ、無我夢中で演じることができたんです」
まつむらゆうき
1963年11月7日生まれ 東京都出身 1980年に『生徒諸君!』(テレビ朝日系)で俳優デビュー。大映テレビ制作の『不良少女とよばれて』『スクール☆ウォーズ』(いずれもTBS系)でブレイクを果たす。一方、書家としても活動し、内閣総理大臣賞を受賞
※松村が大映ドラマについて語り尽くす、『スナック 胸キュン1000% ママこの人つれて来た!』(BS12 トゥエルビ)第19話は、10月11日の26時から放送予定
