高市首相と麻生副総裁

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「8時だョ!全員集合」──ザ・ドリフターズのテレビ番組の題名をつい思い出した。最高視聴率50・5%を記録した往年の人気番組だ(註1)。「高市だョ!全員集合」というわけでもあるまいが、永田町では高市政権支援の「国力研究会」という自民党議員連盟の初会合に、われもわれもと人が集まった。入会者は350人超となり、初会合の時よりさらに増えた。自民党議員417人の8割超。集まり過ぎて「同床異夢」「呉越同舟」と指摘されるこの議連に一体何の意味があるのか。舞台裏を探った。【村田純一/時事通信社解説委員】(全2回の第1回:一部敬称略)

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【写真を見る】えっ、この人たちも“高市支持グループ”のメンバーなの? 国力研究会に参加した意外な“非主流派”大物議員3人

 5月21日午後、東京・永田町の参院議員会館内の講堂で開かれた国力研の初会合は大盛況だった。出席者は用意された椅子に座り切れず、立ちっぱなしを余儀なくされた議員も少なくなかった。

高市首相と麻生副総裁

 出席者は233人、代理含め277人、入会者は347人と発表された。さらに25日時点で357人に増えた。

 発起人の1人で、国力研の会長に選ばれたのは元官房長官・加藤勝信。最高顧問は党副総裁・麻生太郎、幹事長に党幹事長代行・萩生田光一、事務総長に官房長官・木原稔が就いた。

 これだけ人が集まると、「もう2回目は開かれないだろう」と党内ではささやかれている。予想以上に集まり過ぎて、これからどうするかが大変だ。幹事会をつくって、テーマごとに小規模の勉強会を開く案があるが、2回目以降はまだ決まっていない。継続できるかどうかも危ぶむ声がある。

 結局、何のための議連設立だったのか。国力研の参加を募る案内文には、「国家の存立にかかわる課題が山積している状況」とし、

「政府与党は一体となって、国民に約束した公約の実現に邁進しなければなりません。いま求められているのは、現実的な政府と与党の連携です」

なぜ林芳正は外されたのか

「本議員連盟は、有志による政策研究を通じて政府と連携しながら力強く支援し、新たなビジョンを推進するため、ここに『国力研究会』(JiB:註2)を設立することにした」とある。

 要は、高市政権が推進する政策を後押しする勉強会と位置付け、全ての自民党議員に入会の案内状は配られた。日付は「4月吉日」とある。

 議連設立の仕掛け人は、高市の最側近の1人、参院議員の党中央政治大学院長・山田宏。高市と同じ松下政経塾出身で、山田は政経塾2期生。5期生の高市より3年先輩に当たる。山田は今年1月には麻生派に所属し、研究会発足に向け麻生から助言を得たという。

 ここで注目されたのは、なぜか発起人の中に旧岸田派(旧宏池会)の総務相・林芳正の名がなかったことだ。案内状に書かれた発起人11人のメンバーは上から順に次の通り。

▽麻生太郎▽茂木敏充▽加藤勝信▽西村康稔▽萩生田光一▽小泉進次郎▽小林鷹之▽中曽根弘文▽松山政司▽有村治子▽山谷えり子

 前回の自民党総裁選候補で、外相の茂木、防衛相の小泉、政調会長の小林は発起人に加わっているが、林だけは外された。

 永田町では、さまざまな臆測が飛び交った。麻生が「林は発起人に入れるな」、「(旧)宏池会には声をかけなくていい」と指示したのではないかという話が流されていた。

「あまり高市色を出すな」

 林のバックには、旧宏池会の元会長で、なお影響力を残す元幹事長・古賀誠の存在が見え隠れする。麻生と古賀は地元福岡でも長年の対立関係がある。だから林は発起人から外されたのではないか。そのような見方が強かった。

 麻生周辺に確認すると、「林を入れるなと麻生が言ったとか、全くそんなことはない。誰かが勝手に言っていることだ」と全面否定した。

 麻生は発起人として名前を載せることには同意したが、研究会にそんなに深く関わっていないし、あまり関心もないという。麻生が周囲にそう話していると、別の自民党関係者からも聞いた。

 5月の連休明け、国力研設立をめぐる情報が広まり、「どうせ麻生の勢力拡大の動きだろう」(旧安倍派中堅)との見方が党内には強まっていた。麻生はそれを打ち消したかったのではないか。

 国力研の事務局長を務める山田に聞くと、麻生からは「あまり高市色を出すな」という指示があったという。高市グループをつくるのではなく、「なるべく広く、参加しやすいようにすべきだ」というアドバイスだったそうだ。

 発起人に林が入らなかったのは、参院枠を重視して党参院議員会長の松山政司に発起人をお願いしたからだという説明だった。

「国力研潰し」の秘策

 松山は林の側近でもあり、旧宏池会の林も松山も発起人となると、「全体のバランスが悪い」という。

 松山が発起人に入ったことに関しては、26年度予算の年度内成立を事実上阻止して、高市との関係をぎくしゃくさせた党参院幹事長・石井準一をけん制する意味合いがあったのではないか。党内にはこのような見方も根強く残っている。

 発起人に呼ばれなかったとはいえ、林は5月早々に国力研への入会届を提出した。その隠された狙いは「国力研潰し」とみられ、党内では「抱きつき戦略」とも称されている。

「党内主流派」づくりという国力研の思惑を林自らが参加することによって、潰してしまおうというものだ。政局的に見れば、林は国力研を無力化したとも言える。

 当初この議連は、自民党議員に「踏み絵」を踏ませるものではないかという疑心暗鬼を生んだ。「親高市」か「反高市」か。「高市グループ」(事実上の高市派)に入るか否か。

 だが、そのような政治的思惑は、元首相・岸田文雄や林ら旧宏池会出身議員が参加することによって、意味がなくなってしまった。有名無実となったわけだ。

「抱きつき戦略」の成功

 もともと保守系議員が集まり、憲法改正や安保政策、皇室の問題、対中政策などの重要問題を掘り下げ、高市をバックアップしようという狙いもあったようだが、どちらかというとリベラル系の旧岸田派議員が参加することによって、保守色は薄まることになる。

「ポスト高市」の有力候補で、親中派とみられる林が入会すれば、政局的にはほとんど無意味なものになる。

 官房長官・木原稔は元首相・安倍晋三を支えた保守系議員グループ「創生『日本』」に近い議連の設立をイメージしていたようだが、それとも懸け離れた議連となった。

 実は「抱きつき戦略」を敢行した政治家は林芳正だけではない。麻生との確執が伝えられる元総務相も国力研に入会することで有名無実化を狙った。

 だが、国力研を巡る目論見が失敗に終わったとしても、党内で麻生が発揮した存在感はやはり圧倒的なものがあったようだ。

 第2回【「国力研究会」に自民議員の8割が参加…御年85歳にして影響力を増す「麻生太郎」副総裁の“存在感が際立ったシーン”とは】では、その国力研で麻生が駐日アメリカ大使との“蜜月”を見せつけた決定的場面について詳しくお伝えする──。

註1:1973年4月7日放送分(ビデオリサーチ調べ、関東地区)

註2:JiBはJapan is Backの略

村田純一(むらた・じゅんいち)
1986年、時事通信社入社。90年から政治部。海部政権で首相番。平河クラブで自民党の小渕恵三幹事長、小沢一郎竹下派会長代行らを取材。民社党、公明党を担当後、羽田政権、村山政権で首相官邸を取材。96年経済部で経団連など財界担当。97年政治部に戻り、山崎拓政調会長番。選挙班長、防衛庁担当などを経て、2001年8月からワシントン特派員。05年2月帰国。外務省キャップ、政治部次長、福岡支社長などを経て20年7月より時事総合研究所代表取締役。23年6月より現職(時事総研研究員兼務)

デイリー新潮編集部