「髪の持つ力」を実感…あの一流メジャー選手が髪を伸ばし続けていた理由
近年のメジャーリーグでは、ドレッドヘアや肩よりも長いロングヘアなど個性的な髪型の選手も多い。日本のプロ野球でも、特に投手では長い髪をなびかせてマウンドに立つ選手も増えている。
そんな選手を見て、プレーするのに邪魔だろうとか、見た目が鬱陶しいと感想を持つ人もいるかもしれない。
だが、自分が見聞きしてきた狭い了見で人を見ていると判断を間違うこともある。
長年メジャーリーグを取材してきたスポーツカメラマン・水見美和子さんは、一人のロン毛の選手との関わりから、自分と家族の生き方が大きく変わる経験をしたという。
一流メジャーリーガーがなぜか長髪に
野球選手の髪型といえば、プレーの邪魔にならないように短めで機能的なスタイルが主流でしたが、近年のメジャーリーグでは個性的で印象的な髪型をしている選手も少なくありません。
そんななか、ある選手がショートヘアから長髪に変化していく姿が、私の心にとても印象深い出来事として残っています。
その選手の名は、ニック・スウィッシャー。当時(2007年)、オークランド・アスレチックスに在籍していた左投げの両打ちという珍しいタイプのスラッガーです。メジャー通算12年、5球団で活躍し、ニューヨーク・ヤンキースではワールドチャンピオンにもなっています。
彼はショートヘアがとても似合う選手で、どこか爽やかで自信に満ちた雰囲気を醸し出していました。ところが、あるときから彼の髪がどんどん伸び始めたのです。「忙しくて美容室に行けないのかな?」と最初は思いました。
そして、数ヵ月も経つうちに彼の髪は肩にたっぷりかかるほどのロングヘアとなり、彼をグラウンドで撮影していても、つい「鬱陶しくないのかな。ショートヘアの方が断然似合っているのにな」と思うようになりました。
急に髪を切った理由
時間が経つにつれ、長髪の彼にも少しずつ慣れていきましたが、心のどこかで「いつまで髪を伸ばし続けるのかな?」という疑問が消えませんでした。
そんなある日、私は彼が髪を伸ばし続けている理由を知ることになります。
その理由を知ったとき、「自分に似合う髪型にしたほうがいいのに」と勝手に感じていたことを恥ずかしく思い、彼の決断に心から感動しました。
その日、球場に現れたニックの短くなった髪を見て、セキュリティーのエリックに「ニック、ついにカットしたのね!」と軽い気持ちで話しかけました。「やっぱり彼はショートが似合うよね」と無邪気に話していた私に返ってきたのは、驚きの事実でした。
「彼はヘアドネーションのために髪を伸ばしていたんだよ」と聞いた瞬間、私は言葉を失いました。
ヘアドネーションとは、病気や事故などで頭髪を失った子どもたちのために、市民から寄付された髪でウィッグを作り、無償で子どもたちに提供する活動のことです。
あんなに長く髪を伸ばし、そして切った理由が、ただのヘアスタイルの変化ではなく、誰かを助けるためだったことに深い感銘を受けました。それから間もなく、偶然にも彼にインタビューする機会が訪れました。友人のアメリカ人記者に質問内容をチェックしてもらっているなかで、最後にどうしても聞きたいことがあったので、それを追加しました。
それは、ヘアドネーションについてでした。彼の行動の裏にある想いを知りたいと思っていたのです。
インタビュー当日、私は正直に、彼の髪型について自分が勝手に思っていたことを伝えました。「ショートが似合うのに、どうして髪を伸ばしていたのか不思議に思っていました」と。
そして、前年、彼の大切なおばあさんが癌で亡くなった話を聞きました。彼は胸におばあさんのイニシャルのタトゥーを入れるほど、その存在を大切にしていて、「自分に何かできることはないか」と考えた末にヘアドネーションを決意したと話してくれました。
その話を聞いて、私は胸が締め付けられるような気持ちになりました。勝手な思い込みで彼の行動を見ていた自分が恥ずかしく、そして彼の深い愛情と思いやりに心を打たれました。
私はその場で「ありがとう。私もヘアドネーションをするわ!」と彼に宣言しました。インタビュー中、感動した私は涙が溢れそうになるのを必死に我慢していました。
ニックは、その活動のために、厳しいメジャーリーグでのプレーを続けながら、髪を伸ばし続けていたのです。
息子にも届いた「誰かを助けたい」という想い
それは決して簡単なことではなかったはず。特に、彼のようにスポーツ選手として活躍するなかで、髪を長く保つことには多くの不便があったはずです。それでも彼はその道を選ぶ決断をしていました。
そしてその日から、私の人生にも大きな変化が訪れました。それまで長く伸ばしていた髪をすっぱり切って、初めてのヘアドネーションを実行しました。それ以来、髪を伸ばしてはカットし、これまでに5回ヘアドネーションを続けています。
そしてさらに、私の姿を見ていた当時6歳の幼い息子が、私が髪を切った理由を不思議そうに尋ねてきました。
私が、ニックとヘアドネーションについて丁寧に話すと、彼はその話に心を打たれたようで、「僕も髪をプレゼントする!」と目を輝かせながら宣言しました。
その後、息子は長髪という理由で学校でからかわれたり、いじめにあうこともありましたが、校長先生をはじめ多くの方々のサポートもあって、「自分の考えは正しい」と信じ、周囲に惑わされることなく、髪を伸ばし続けました。
そして、ついに彼も初めてヘアドネーションを達成したのです。彼が小学校3年生の時でした。それ以来、息子は私と同じように髪を伸ばしては寄付を繰り返し、これまでに3回のヘアドネーションを行っています。
息子のその後の人生を考えると、信念を持って進むことがいかに大切かを学んだのはあの時ではなかったかと思います。
この経験を通じて私は、「髪の持つ力」を感じました。それは、単なる個性や美しさを超え、誰かの心を癒すための贈り物になるということです。
ニックによって、誰かの助けになれる方法を教えられ、私たちの人生は変わりました。
私にとって、髪は「ただの髪」「おしゃれのための髪」ではなくなりました。とても小さな社会貢献に過ぎないかもしれませんが、髪を伸ばし、それをプレゼントすることで誰かの悲しみを少しでも和らげることができるなら、こんなうれしいことはありませんからね。
この大切なことを学ばせてくれたニック・スウィッシャーに、今でも心から感謝しています。
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