中高生が集まって、警察署を「襲撃」…令和の日本で起こった「暴動」の知られざる真実
令和の日本で起こった「暴動」
「あれ、地元のマスコミはみんな“警察署襲撃”って書きますよね。暴動じゃないんですか?」
暴動。多くの日本国民にとっては、極めて縁遠い言葉である。事実、日本本土で最後に起きた暴動は2008年、大阪市西成区あいりん地区での「西成暴動」だ。しかし、この令和のご時世に沖縄県では暴動が起きた。2022年1月28日の「沖縄警察署襲撃事件」のニュースを見たことがある読者も少なくはないはずだ。
事の発端は2022年1月27日、深夜にオートバイに乗った男子高校生が警察官の持つ警棒と接触したことで目を負傷し、失明に至った事件である。この事件はのちに裁判になり、警察官は業務上過失致傷罪に問われた。地元紙の報道によると、示談金は約8800万円で、6月に開会する県議会で可決されれば、正式に示談が成立する。
この事件の経緯に不信感を抱いた少年たちがInstagramで、「警察が事件を隠蔽するかもしれない」「沖縄署で暴動する」といった内容の投稿を拡散した。そして、翌日の28日、警察への不満や不信感を持った人達が沖縄署の前に集まった。正確には沖縄署の向かいにあるプラザハウスショッピングセンターの前に多くの人が集中していた。沖縄署の目の前に居たのは一部の若者とマスコミだけである。
数時間にわたる暴動の現場には、200〜300人の若者たちが集っていた。そのなかには、卵などの物を投げつける「抗議」をする者も、ただ遠巻きに見ているだけの者もいた。
「祭り」に参加した気分
「俺なんかは祭り行ってる感じだったよ」
翔太(仮名)はストロベリーアイスティーを飲み、そう言って笑った。思わず、その手に入っている刺青に目がいってしまう。
彼は当時15歳だった。沖縄署前に集まり、卵や氷を投げる人々の側にいた少年である。
「電子掲示板を壊した友達の康太(仮名)には、後で警察から50万くらい請求来たらしいですよ」
卵や氷とはいえ、署内の電子掲示板や車両設備は破損された。物的な被害も出ているため、ニュースでは「若者らが警察署を襲撃」と仰々しく報じられたが、当事者たちの語りを聞いていると、日常の楽しみの延長で起こった事件のように見える。
「次の日には直されてたばーよ。マジすごかった。綺麗なってた」
その証拠に、警察官に反感を抱いていても、その対応のはやさに感心してしまうほどだ。
事件当日の空気について尋ねると、彼は先ほどのように、「暴動」というより「暴走」や「祭り」に近かったと話した。
「何かあるって聞いて。先輩に誘われたから行った。大きな暴走みたいな感じだった」
「暴走」とは、400ccのオートバイをメインに行われる暴走行為のことだ。オートバイの台数によって“暴走の規模”が変わる。台数が多ければ多いほど、見物する人が増える。その結果、大きな暴走になる。
とはいえ、“大きな暴走”は何かイベント事があるときにしか見られない。たとえば、20年以上前からある8月29日の「パニック」や、誰かが亡くなったときに追悼するために行われる「追悼暴走」などだ。その他にも、ここ最近では成人式や中学校の卒業暴走もある。つまり、若者達にとっては「特別感があるイベント」であり、沖縄署の暴動もそれに近い感覚があったのだろう。
沖縄の若者たちの間では、「どこどこに“暴走”がある」という情報がSNSや友人ネットワークを通して瞬時に広がる。Instagramの他にLINEのオープンチャットがあるが、そこには少年課や生活安全課の警察官が潜んでいるのは公然の秘密だ。そのため、沖縄署の前に集まるという情報はInstagramと口コミを中心に広がっていた。
“警察署の前で卵投げがある”
“面白そう”
そうした動機で、深夜の警察署前に集まった少年少女もいた。
女子中学生も参加していた
当時中学2年生だった少女・結衣(仮名)は、彼氏との大喧嘩の末に沖縄署前へ向かった。
「みんなで行こうってなってたのに置いて行かれて。それで友達といたら、それ見られてまた彼氏と喧嘩して」
暴動の騒ぎの中、裸足に近い格好で、携帯も持たず、街を歩いていたという。その場に居た知らない人が上着とスリッパをくれた。取材時はそんな経験をしたことがあるようには見えない、可愛らしい少女という印象だった。フーディーにジーパン、厚底のクロックスを履いている今時の女の子だ。
「何があるか分からなかったんですよ。みんな“暴走あるらしい”とか“卵投げある”って言ってたから」
結衣はくりっとしている目を見開いて言った。
警察署前に着いた時、そこには大量のバイクやセダンが停まり、既に数百人規模の若者が集まっていた。
「もう人の集まり方が暴走みたいだった。中学生めっちゃいましたよ。16、17歳くらいの人もいたけど」
現場では、知らない者同士でもすぐに繋がった。
結衣にはどうして人が集まっているのかも、ものを投げているのかも分からない。しかし、警察に反抗するのは面白いと感じていた。
「卵投げとかもしてました。“なんで卵?”みたいに思いながら、“卵ちょうだい”とか言って(笑)」
「氷は指紋が残らないじゃないですか」
さらに先ほどの翔太は、知らない年上らしき人から1万円札と5000円札を渡され、バイクでコンビニやスーパーへ卵や氷を買いに走ったという。
「“これで買ってこい”みたいな感じで。釣りは持っといていいからって」
コンビニやスーパーを何軒も回り、両手に卵がいっぱい入った買い物袋を抱えて戻る。1月28日は雨が降った後で、「バイク(のタイヤ)が滑らないか心配だった」と振り返る。
警察署の前に戻ると、その辺にいる人たちに卵を手渡した。
投げられていたのは卵だけではなかった。
「卵、氷、野球ボール、ゴルフボールとか。近くにゴルフ場あるじゃないですか。あと、石入った袋とか持ってきてた人もいた。工事現場とかで使うようなやつ」
うるま市から沖縄署に行く途中にはゴルフ場があり、うるま市方面から来た人達がゴルフボールを持ってきたのではないかと言う。
さらに翔太は「氷は指紋が残らないじゃないですか」とも話す。
ただおもしろがって物を投げているだけではなく、警察に追及されたときの事まで考えられていた。
もちろん、彼らの行いの背景には警察不信があった。
沖縄では以前から、職務質問や少年への取り締まりや、暴走行為に関する事件への対応を巡り、「警察は信用できない」という感覚が若者層にも広がっていた。それ以前から「巡査にわーぎられて(追いかけられて)事故った」といった事件を日常的に見聞きしていた若者たちは、その元高校生の「殴られた」という言い分のほうを信じたわけだ。
後日、警察が家を訪れて……
だが、2022年1月28日の暴動現場にいた全員が、警察への明確な怒りを持って集まったわけではない。
「警察が何かやらかしたらしい」
「暴走があるらしい」
「みんな行くらしい」
そうした曖昧な認識で来ていた者も少なくなかった。
「もし警察が何も対応してなかったら、もっとやばかったかもしれない」と、翔太が話していた。
実際、警察側もある程度の騒動を予測していた節があるという。
「最初から機動隊待機してたんですよ。装甲車も2台くらい。でも人数に負けて、翌日はバス4台くらいに増えてた」
翔太の話によると、当初、警察署の正面と裏に配置されていた機動隊は20〜30人程度だった。
それに対し、群衆は数百人規模だった。
「ほぼみんな投げてましたよ。届いてるかは別として」
多くの人が集まったプラザハウスショッピングセンターと沖縄署の間には、片側2車線の計4車線がある。卵や氷等を投げても沖縄署内に届くものと、届かないものがあった。
暴動から数日後、警察は少年たちの家を訪れ始める。
「家来ましたよ。“その日いたでしょ”って。上で写真撮ってた人いるの分かる?って」(翔太)
警察は、落書き犯や火炎物を投げた人間を優先的に追っていたという。
「俺、卵しか投げてないよーって言ったら、すぐ終わった」
翔太は笑いながら話す。
「“火つけたの誰か?”って聞かれて、すぐ“康太”って言いましたね(笑)」
翔太の言葉には“康太”との友情の薄さが滲みでていた。
“沖縄署襲撃事件”では、後に沖縄県から損害賠償を求められた若者が複数人いた。それでも彼らは、あの夜を“青春の延長”として回想する。恋愛、暴走という日常の中に、あの“暴動”があった。
ヤンキーだけではなかった
一方で、ヤンキーの若者だけではなく琉球大学の学生も暴動を見に行ったとの話もあった。
琉球大学教育学部の講師で、非行少年・少女の調査研究に取り組む今井聖氏(教育社会学)は、日頃関わっている沖縄本島出身のとある学生から、「友人と一緒にその暴動の現場に立ち会っていた」という話を聞いたと語る。
今井氏によれば、その学生もまた、Instagramのストーリーで拡散されていた情報を見たことで興味を持ち、地元の友人と一緒に現場に向かったとのことだ。その学生は暴動の中心から離れた場所で「見学」していただけで、物を投げるなどの「抗議」活動に参加したわけではなかった。
「その学生は日頃、自分とは違って大学などの高等教育機関には進学していない地元の友人たちとも、頻繁に遊んでいる学生です。そうした友人たちのなかには、法に触れるような、いわゆる非行・犯罪行為をしてしまっている者もいるとのことです。
もしかすると意外に思われるかもしれませんが、その学生のように、琉球大学という県内では一応トップの大学に属する大学生であっても、日常的に非行・犯罪をおこなっているヤンキー系の若者たちと普通につながっている場合があるのです。
このことからもわかるのは、学歴の違いというある種の社会階層の差異を超えるような、地元の仲間というつながりが存在していることです」と、今井氏は指摘する。
「暴動」という言葉は通常、権力への反抗といった政治的イメージを伴う。
しかし、彼ら2人の「暴動」に政治的な意味合いはなかった。
薬物の使用で女子少年院に入っていた結衣は、「警察に抵抗したところで敵うわけがないです。だから私は勉強して日本を出て、大麻が合法の国に住みたい」と話す。翔太は暴動後に裁判になったことについて「俺らのおかげ?(笑)。被害者が満足する金額を(警察から)とれたらいいな」と言った。
暴動自体は決して肯定できるものではない。しかし、彼らの行動が“若者の声”となり、警察やマスコミ等の多くの大人達を動かしたのは間違いない。
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