「受賞を知らせる電話を受けた瞬間は、〈しまった! 獲ってしまった〉と思いました」(撮影:本社・武田裕介)

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『カフェーの帰り道』で今年1月直木賞を受賞した嶋津輝さん。小説を書き始めるまでには、紆余曲折あったそう。どのようにして自分の天職に出合ったのでしょうか(構成:篠藤ゆり 撮影:本社・武田裕介)

【写真】執筆を見守る愛猫の三九

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思いがけない受賞に気が引き締まる

私にとって、40歳を過ぎるまで、小説は「読むもの」であって書くものではありませんでした。それがこんなに大きな賞をいただくことになるなんて。親や親戚の喜び方たるや大騒ぎで、母はご近所中に言いふらしているんじゃないでしょうか。私自身は、これは大変なことになったと慌てつつも、気が引き締まる思いです。

選考日は、銀座にあるパウリスタという老舗のカフェで編集者の方々と連絡を待ちました。受賞作となった『カフェーの帰り道』の編集者さんと作品の打ち合わせをしたのがこのカフェだったし、慣れた場所のほうがリラックスして待てるのではないか、と思ったんです。

受賞を知らせる電話を受けた瞬間は、「しまった! 獲ってしまった」と思いました。事の大きさに尻込みしたというか――もう引き返せないぞ、と。それからは嵐のような日々で、記憶があまりないほどです。(笑)

『カフェーの帰り道』は、大正から昭和の時代に「カフェー」で働く女給さんたちを描く、連作短編集です。カフェーというとそれこそ銀座など華やかな場所をイメージする方も多いと思いますが、私はどちらかというと、寂れた店で働く女給を描きたかった。

そこで、上野と湯島と本郷の間という場所を舞台に、さまざまな個性の女給さんを、一話ごとに主人公が変わっていく形式で書きました。

大正時代に竹久夢二が人気だったことを知り、第一話の主人公・タイ子は、夢二の絵に似た美人、という設定に。気さくだけど嘘つきの美登里、知的で少し高慢なところもあるセイなど、登場人物たちは一癖あるけれど、身近にいそうな人物像にしています。

「近現代ものにしよう」というのは編集者さんとの相談で決まったのですが、私はもともとその時代を生きた作家の書いたものが好きだったので、気持ちが乗りやすかった。

幸田文や森茉莉、男性作家では夏目漱石や内田百間(正しくはもんがまえに月)。映画は小津安二郎や成瀬巳喜男など。市井の人の暮らしを緻密に描いたものが特に好みです。

その時代独特の言葉遣いがいいですよね。映画の中で女優さんが「アタクシ」と言ったりすると、しびれます。(笑)

とはいえ自分の生きていない時代を書くのはやはり大変で。煙草について調べるために「たばこと塩の博物館」に行ったり、書いて、調べて、また書いてという感じで、必死に書きました。


執筆を見守る愛猫の三九(みく)(写真提供:嶋津さん)

有吉佐和子作品と出合って読書好きに

子ども時代はどちらかというとおとなしい子で、外で遊ぶより、家で漫画を読んだり絵を描いたりするほうが好きでした。当時、NHKで三波伸介さんと中村メイコさんがMCをつとめる『お笑いオンステージ』という番組があって。

「減点ファミリー」というコーナーで、三波伸介さんがゲストの家族からゲストの顔の特徴を聞きながら似顔絵を描くんです。その真似が大好きで、テレビにわら半紙を貼って、かなりリアルな顔を描いたりしていました。

「少年少女世界の名作」で『赤毛のアン』や『秘密の花園』などを読んでいましたが、文章より絵を描くほうが好きだったので、当時の将来の夢は漫画家でした。

部活は、中学では軟式テニス、高校では水泳部で飛び込みをやっていました。「運動部のほうがイケてる」という、軽い理由で選んだのですが、飛び込みは本当に怖かった。大人になってからも「これから飛び込まなきゃいけない」という夢を見るくらいです。

実は、高校時代はほとんど本を読みませんでした。飛び込みの恐怖で気持ちが疲れるせいか、とにかく眠くてしょうがない。1時限目から5時限目まで眠り続けたこともあります。

ところが読書感想文の課題で有吉佐和子の『華岡青洲の妻』に出合って。生まれて初めて大人っぽい小説を読み、面白いなと感じました。

その後、大学は法学部に進学。ゼミで同期の男子学生があるノンフィクション作家の名前をあげて、「オレはこの作家の作品は読破した」と、ちょっとエラそうに言うのを聞き、「読破って言葉はカッコいいなぁ」と思って(笑)。

じゃあ私は有吉佐和子の小説を読破してみよう、と思って読み始めたら、面白くてやめられない。そこから、読書が習慣になりました。

大学卒業後、最初に就職したのはカーオーディオやカーナビゲーションの会社。広報に配属され、社内広報を担当しましたが、28歳でいわゆる寿退社。女性は結婚したら退社するのが慣例みたいな会社だったんです。

しばらく専業主婦をしながら、何か資格をとろうと、税理士試験の勉強を始めました。最初は習い事感覚でしたが、31歳で離婚をしたので、これは生計を立てるためにも本腰を入れて勉強をしなければ、と。

離婚後、いわゆる「キャリアウーマン」の道に進むぞ、と意気込んで就職した会社で配属されたのは、不動産ファンドの部署。でも、ここがまったく私に向いていなくて。

入社前に不動産証券化に関する本を読んだりもしましたが、その程度の知識ではまったく太刀打ちできません。体力的にも精神的にもしんどくて、3年で退社。

その後、同じような業界で転職を繰り返しました。でも、そもそも私は「投資」というものにいまいち興味が持てなかった。だから当然成果もあげられないんです。

外資系の会社にいた時は、まわりに帰国子女も多く話題についていけませんでした。営業職の人たちは収入も多く、休日は別荘に集まってシャンパンを飲んだりしているけど、それにもなじめず。あの頃は、ここは自分の居場所ではないんだろうな、という気がずっとしていました。

私生活では36歳で再婚。30代は公私ともに慌ただしい日々でした。そうこうしているうちにリーマン・ショックのあおりで、会社の雲行きがあやしくなってきて――。仕事も減り、時間もできたので、じゃあ習い事でもしようかなと、41歳の時に小説教室に行き始めたんです。

なんとなく自分は文章を書けるんじゃないかという思いは、昔からうっすらとあったので、適性があるかどうか、ちょっと試しにやってみよう、という感覚でした。

<後編につづく>