【書評】『「いまどきの若者」の150年史』 反復と捏造が混じり合うのが若者をめぐる語りである
【書評】『「いまどきの若者」の150年史』/パンス・著/ちくまプリマー新書/1056円
【評者】武田砂鉄(フリーライター)
休みを取るのが大好き、言い訳が上手、指示待ちである……今の若者に対して投じられがちな特徴だが、これ、本書で引用されている1986年刊行の本に書かれていた内容。つまり、いつの時代も、若者に対してはこの手の苦言が投じられてきた。若者はすぐに若者ではなくなる。誰だって大人になる。そして、若者の頃の記憶を都合よく頭の中で編集し、現代の若者と比較する。この繰り返しがどうしても止まらない。
明治時代に「煩悶青年」なる形容が登場したように、若者はずっと社会と折り合いをつけられずにきた。あるいは、ザ・ビートルズをリアルタイムで熱狂的に聴いていた若者は少なかったのに、いつの間にか「自分たちの世代を象徴するもの」になる。反復と捏造が混じり合うのが若者をめぐる語りだ。
自分自身が若者である時に若者語りをしないように、「いまどきの若者」語りをするのは、若者だった人だ。このズレの埋め方には長大な歴史がある。資料を読み解きながら150年を数珠つなぎにしたのが本書だ。
著者は1984年生まれ。私は1982年なのでほぼ同世代。この世代は「団塊ジュニア」と「ゆとり世代」の間に位置する「名付けられなかった世代」。それでいて、この世代は、神戸連続児童殺傷事件の犯人など、社会を震撼させる事件を起こす若者が続いた世代にもあたる。メディアによる、大雑把な若者批判を浴びた当事者として根に持っているし、そこで放たれた論旨の安っぽさも記憶している。
大人はなぜ若者を簡単に括りたがるのかと苛立ったが、気づけば大人になり、同じような文句が口から出そうになっている。「中年の若者文化への執着は、単なる未成熟ではなく、自分を支える物語がそこにあるからです」の一文が、全ての大人に突き刺さる。いい加減認めよう。その上で冷静に捉え直そう。
※週刊ポスト2026年5月1日号
