上西小百合元議員

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 かつて注目を集めた有名人に「渦中の本人は何を思っていたのか」を語ってもらうインタビュー。国会議員だった上西小百合は、'15年に“不倫旅行”疑惑が報じられ、当時、橋下徹が最高顧問を務めていた『維新の党』を除名処分に。そんな“お騒がせ議員”だった彼女は今、政界を引退してタレントとして活動するが改めて当時を振り返ってもらうと―。

【写真】議員時代に発売した、上西小百合のグラビア写真集

 『浪速のエリカ様』と呼ばれた元国会議員の上西小百合。'12年に衆議院議員として初当選してから、歯に衣着せぬ物言いで世間を騒がせて“政界の炎上クイーン”として名を馳せた。

“票を入れてやるから”と言いながらセクハラをする人も

 ただ、最近は炎上すらしてないような……。ツイッターをのぞいてみると、1年以上も更新されていない。

「今まで、ツイッターで政治に関していろいろと発信していたんですが、炎上してしまうような感じから、いったん距離をとって、自分を整理しようと思いまして」

 それは、炎上しすぎて燃え尽きたということ?

「私って、もともとは穏やかな人間なんです。炎上キャラが定着していましたが、かけ離れてしまった本来の自分を取り戻そうということですね。私ってすっごく乗せられやすい性格なんです」

 議員時代に出演したテレビ番組では、スタッフからこんな“声”をかけられた。

「東国原英夫さんと討論させていただく機会があって、私は“話し合い”をしようと思っていたら、スタッフさんが“バチバチを期待していますよ!”と言うので、それに応えようとしてしまい……。頼まれたら断れないところもあって、それもよくなかったと思うんです」

 穏やかな人間を自称する上西だが、いまだに“男性中心社会”といわれる国会の中で、数少ない女性議員として戦ってきた。

「ほとんどの有権者がちゃんと応援してくれる中、“票を入れてやるから”と言いながらセクハラをする人もいました。議員からも委員会の質問中にセクハラ発言があって、つらかったですね。普段は風邪すらひかない私が、過敏性腸炎をよく患っていたので、そうとうストレスがあったと思います。あの“騒動”のときも同じ病気でしたし……」

どんどんデマが広まっていき

 上西が話す“あの騒動”とは、'15年に報じられた“不倫旅行”疑惑のこと。同年3月12日に議員仲間と居酒屋やショーパブなど3軒ハシゴし、翌13日は国会を欠席。14日から秘書と“ホワイトデー旅行”を楽しんでいたとされた。

「秘書とは恋愛関係でも何でもないし、14日は自宅で療養していました。15日に京都の宮津を訪れましたが、近隣の町長や町議との意見交換会と支援者への挨拶のためでした」

 そんな騒動の始まりは、週刊誌に書かれた1本の記事からだった。

「党本部に“事実と違う記事が出ている”と伝えたら“こんな小さな記事は放っておいたら終わるから”と言われたので無視していました。そうしたら当時、大阪市長で『維新の党』の最高顧問だった橋下徹さんに、記者が私のことを質問したんです。すると橋下さんは“それなら除名だ”と言うんです。それをテレビで見ていた私は驚きました。だって私に何の事実確認もしていないんですから」

 この橋下の“除名”発言から報道は過熱していく。

「橋下さんの“お墨つき”を得た事実のように扱われ、どんどんデマが広まっていきました。なので、私は事実を自分の口で説明したいと党に伝えたんですが“上西さん1人のことじゃないからダメだ”と言われてしまって……」

 放置したことで状況は悪化の一途をたどり、党も無視できない事態に発展。

「ある日、党本部に呼ばれて行くと橋下さんがいて、そこで初めて説明できたんですが、橋下さんは“大騒ぎになっているから、いったん議員をやめてくれないか? 事実かどうかはどうでもいい”と言うのです。“辞めたら次の選挙でも公認する”とも。本当に悪いことをしての除名なら公認しちゃいけないし、悪いことをしてないなら除名はおかしいことでしょう。これってパワハラですよ」

 上西が納得しないでいると、

「記者会見をして、世間を丸く収めたら除名しない」

 という提案を橋下からされたという。

「それで会見を開きましたが、当時はすでにテレビで連日、私のことがボロカスに報じられ、大炎上していたので、当然、払拭されるわけもなく……。“不倫旅行”がデマだと判明したら、今度は“病気だろうと這ってでも国会に出るべきだ”という論調に報道が変わっていきました。結局、事態は収拾できていないとして、除名処分になったんです」

 ただ、国会を欠席した前日は議員仲間と飲み屋を3軒ハシゴしていたのは事実のようだけど……。

「私が楽しく飲んでいたと勘違いされていましたが、実は体調を崩している中を無理して参加していたんです。というのも、子宮頸がんワクチンの被害者救済のため、与党である自民党議員に協力をお願いするためでした」

“結婚宣言”も恋が終わってしまった理由

 国は小学6年から高校1年を対象に、'13年からワクチンの定期接種を行っていたが、重篤な健康被害が相次いだ。

「野党の新人議員が親しくもない与党のベテラン議員との約束を“体調が悪いからキャンセルします”とは言えないわけです。だから親陸を深めつつ“お力を貸していただけませんか”とお願いする状況でした。でも、それを会見で話せば、ワクチン推進派から邪魔されるだろうし、何より“あいつはベラベラしゃべる”と同僚議員からの信頼を失う可能性もあって黙っていたんです」

 こうして無所属になった上西だったが、議員活動には大きな変化があったという。

「騒動で名前が売れたこともあり、全国からさまざまな陳情をいただくことが増えました。子どもたちが政治に関心を持つための主権者教育にも取り組んで、ガングロギャルの人たちと意見交換会をしたことも。国会で審議される新法案の勉強も資料集めから自分でやるから、無所属のほうが議員活動は忙しくても充実していました」

 '17年に政界を引退した後は、タレントに転身。'20年にはドラマ『義母と娘のブルース』(TBS系)の特番で、女優デビューを果たした。

「一流の俳優さんがそろう中で緊張しましたが、とても勉強になりました。その後、政治家の役で舞台にも初挑戦し、演技の楽しさを学びました。今後も機会をいただければ、挑戦させていただきたいです」

 政界を退く際には“結婚宣言”をしていたはずだが、恋の行方は?

「結局、破局してしまいました。議員時代から交際していましたが、私が忙しすぎて、相手のご両親とお会いする約束を果たせなかったり……。そういうことが積み重なって距離ができ、恋は終わってしまいました。私が悪いんです。今はまったく何もないですね。結婚願望はあるんですが、私と結婚してくれる奇特な方がいらっしゃるか、どうか……」

 世間をさんざん騒がせた“炎上クイーン”も恋の火種は見つからないよう。4月には40歳になるけれど、再び写真集を出版する予定とかは?

「アハハ、さすがに需要はないと思います(笑)。前回も本当は写真集を出すつもりはなくて、1枚だけ撮影の予定だったんですけどね。なぜかあんな形になってしまって」

 では、これからは何を目指していくのだろうか?

「今後は挑戦させていただけることに全力で取り組んでいこうと思っています。今は投資の勉強なんかもしていますので、資産運用についての情報発信もしていけたらと考えています」