“つらい失恋”をしたときに陥りやすい「元を取りたい」心理状態と抜け出す方法

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相手への愛情が残ったまま関係が終わってしまうと、よりを戻せる可能性にすがってしまいなかなか先に進めない人は多いもの。

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未練をすぐに断ち切るのは難しいですが、「なぜ復縁したいのか」を冷静に考えたとき、そこにつらさの元を取りたい気持ちがあるときは要注意です。

自分の思いが報われるための復縁は、たとえ叶ったとしても長続きしません。

つらい失恋から抜け出せない人は何を抱えているのか、「元を取りたい」心理についてお伝えします。

失恋の「元を取りたい」心理とはどんなもの?

1: 「選ばれなかった自分」を癒すことに執着してしまう

「彼氏が浮気して、そっちの女性を好きになったからと振られた」

「さんざん尽くしてきたのに重いと言われた」

「いい雰囲気だったし、好かれていると思ってあれこれ努力したのに選ばれなかった」

未練が残る恋愛には、必ず「がんばったけれど報われなかった自分」がいます。

気持ちを尽くしたけれどうまくいかず、それでも「私なりに精一杯やったから」と納得できると執着は生まれせん。

報われなかったことがつらいから「自分を選ばなかった相手」を責めたくなるのであり、そこから、また振り向かせることを復縁の目的にする人もいます。

その人のためにと考えたことが無駄だったと知るのは、確かに悲しいしやりきれなさが残りますが、そもそもその人との恋愛は自分で選んだものです。

自分がそうしたいから努力したのであり、結果が思い通りでなかったとしても「それができた自分」をまず認めてあげるのが、失恋から抜け出すためには肝心。

最終的に好かれなかった自分ばかり見てしまい、報われなかったことへの悲しみと怒りが、離れていった相手へのおかしな執着につながります。

2: 「応えるかどうかは相手しだい」を受け入れられない

一方、振った側の気持ちを考えてみると、自分のために愛情を向けてくれた、いろいろとがんばってくれたことはよく伝わっていても、「それでも好きになれなかった」というのが答えです。

感謝と申し訳なさを同時に抱えるのは振る側にとってもつらいことですが、好意を向けてくれる人への誠実さとして、終わることを選ぶ人も大勢います。

中途半端なつながりで、相手を都合よく遊べる人と思っていた、好かれていることにあぐらをかいていた人でも、結局は相手の望む関係にはなれないなら離れることがほとんどです。

どんな関係であっても立場は対等であり、思いを向けるのが自由なら相手がどう応えるかもまた自由。

好意や努力を報われたいと思っても、「応えるかどうかは相手しだい」であるのが現実で、それは同じ立場の自分にもいえます。

がんばったのに選んでくれなかった相手を責めることは、「こちらの好意や愛情を受け止めるべき」「応えるのが義務」のような一方的な役割を押し付けるのと同じです。

3: 好かれない自分を否定したい

自分が振る側になれば、「がんばったのだからこちらの努力に報いるべきだ」という相手に対してストレスを感じるはずで、客観的な考え方を忘れてしまうとかえって自分が追い詰められます。

振られた自分、選ばれなかった自分をきちんと受け止め、「それでも私は自分のために努力できた」と思える強さが、未練も執着も残さず前に前に進むためには大切。

それができずに「好かれなかった自分」を否定することに躍起になると、「つらさの元を取る」ために復縁や新しい関係を考えます。

「よりを戻したい」「また付き合いたい」「好かれたい」と思う気持ちの本音が、「こんなにつらいのだから相手は報いるべき」になっていないでしょうか。

ふたりの関係のためにかけた労力を相手のせいにして、それを自分に関わる理由にして、「だから好きになって」と願うのが元を取りたい人の心理です。

がんばったのに好かれない自分で終わることが耐えられないのですね。

4: 追いかけることの目的を履き違えている

「私ばかりこんな思いをするなんて」と、自分を振った相手を恨みながら復縁を望む人を見ますが、それは本当に愛情と呼べるものでしょうか。

本当に実感したいのは「私を好きになってくれる相手の姿」ではなく「努力が報われる自分」であり、ふたりの関係を自分の満足の手段にすると、期待通りに振る舞わない相手を責めることが当たり前になります。

よりを戻せたり片思いを許してもらえたりしても、結局は「報いてくれるかどうか」が関心の中心になり、対等で心を開いた関係は築けません。

「元を取りたい」と願うのは自分の事情であり、相手には相手の思いがあります。

すでに決着をつけたふたりの関係にしがみつく人を見て、それが自分への純粋な好意ではなく「応えることを要求している」とわかれば、その姿に愛情を覚えるでしょうか。

がんばったけれど好きになってくれなかった人を追いかけても、一度「無理」となった人がこちらを振り向いてくれる可能性は低く、さらに深い傷を負う終わりを迎えることを、忘れてはいけません。

執着を捨てるのは自分のため

つらい失恋をして、元を取りたいと願う気持ちは誰だって持つ可能性はあります。

振られたことを受け入れられない、あんなにがんばったのだから好かれるべきとふたりの関係に正当性を持ち出す気持ちは、それだけ大きな愛情を向けていたからです。

それでも、応えるかどうかは相手しだいなのが現実なのだと思えば、おかしな執着を向けてもさらにつらい思いを重ねるだけ、と知るのが自分のため。

見るべきなのは、「好かれなかった自分」ではなく「好きな人のために努力できた自分」です。

その恋愛の目的が交際や結婚で結果は叶わなかったとしても、関係を続ける過程で純粋に相手を思う気持ちがあったことを、その自分を、認めてあげると心が満たされます。

誰かを真摯に愛せる自分を知ることが、次の恋愛への勇気になります。

相手のことを忘れられないときは、「元を取りたい」ではなく相手のどこを好きなのか、どんなところに好意を覚えるのかを冷静に見つめてみると、自分が相手に向ける感情の中身がわかります。

そのとき、相手の姿ではなく「受け入れてもらう自分」しか想像できないとしたら、それは恋愛ではなく執着と依存なのだと気がつくはずです。

つらい失恋をしていつまでも報われなかった自分にしがみつくのは、ネガティブな感情に支配されるうえに相手の姿まで歪めてしまいます。

元を取りたい気持ちがあるとしても、その結果また傷つくのであれば本末転倒です。

執着は捨てるのが自分のため、向ける好意や愛情は「相手のどこを好きなのか」という純粋な気持ちに立ち戻るのが正解と心得たいですね。