※この記事は2014年02月06日にBLOGOSで公開されたものです

niconico 写真一覧
2月5日、耳が聴こえないハンディを持ちながら作曲活動を行っているとしてきた佐村河内守氏が、弁護士を通じ、代表作である交響曲第1番「HIROSHIMA」などを別人に作ってもらっていたことを公表。また「週刊文春(2月13日号)」が、その"別人"が、桐朋学園大学で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)であると報じた。

6日、その新垣氏が都内で会見を開き、佐村河内氏のゴーストライター問題について経緯を説明した。

冒頭発言

18年に渡り、彼の代わりに曲を書き続けて来ました。
世間を欺いて発表しながら、指示されるまま曲を書き続けた私は、佐村河内さんの共犯者です。
障害をお持ちの方々、彼の言葉を信じて曲を聴いてくださった非常に多くの方々、見事な演奏をしてくださった演奏家の皆様、本当に申し訳ありませんでした。

当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けていました。彼を通じて私の書いた曲が世の中に受け入れられ、嬉しかった気持ちがあったことは否めません。しかし彼がどんどん世間に知られるようになり、それにつれてこの関係が世の中に明らかになってしまうのではないかと不安を覚えるようになりました。同時に、これ以上自分の大好きな音楽で世間を欺きたくない、という気持ちが大きくなってきました。

私は何度かに渡り、彼に対し、「こんなことはやめよう」と言いました。しかし、彼は受け入れてくれませんでした、「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」と言いました。

そのような中で、フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチ・オリンピックで滑る際に、私の作曲したソナチネを選んだことを知りました。このままでは高橋大輔選手までもが嘘を強化する材料になってしまうと思いました。同時に、彼のショックを考えると、今公表するかとても迷いました。ただ、このまま私が何も言わずオリンピックで競技された後に発覚した場合、高橋選手はやはり非常に戸惑うのではないでしょうか。「偽りの曲で演技したではないか」と、世界中から日本に非難が殺到するかもしれません。

色々と考えた結果、高橋選手には事実を知った上で堂々と戦っていただきたいと思い、このような会見をひらかせていただくことになりました。高橋選手、そして音楽作品を聴いてくださった皆様には本当に申し訳ないことをしたと思っております。深くお詫び申し上げます。

質疑応答

niconico 写真一覧
―18年前、どういうことで知り合ったのか。

彼とは知人を介して紹介され、お会いしました。彼が映画の音楽を担当することになり、彼が必要としたオーケストラのための音楽ができる人を探して欲しいと知人に相談をされ、その知人から私のところに連絡がきました。最初の出会いはそのようなものです。

―18年間の間で、いつかやめようというタイミングは無かったのか。押し切られてしまったのか。

やめようと思いましたのは、できるならば早い段階でというのは、当初は彼の映画ですとかゲームの音楽のお手伝いという形で私はアシスタントとして関わっていた、という認識を持っていました。

その中ではゲームであり、映画を作るためのスタッフということで問題を感じてはおりませんでした。彼がある時期から自分は耳が聴こえないのだという風な態度を世間に対して取ったとき、そして、それをその上で彼の名で私が曲を書いて発表するとなった時点で、それは非常に問題のあることだと思いはしたのですが、そこではまだやめようということではなく、彼に従い、私も曲を書き続けました。

去年の5月にピアノの曲を提出したときに、もうこれ以上はできないと私は思いました。そこから、彼に何度かもうこの関係を続けることはやりたくないということを伝えました。以上です。

―耳が聴こえないということは、これまで接していてそうではないのかと思うことはあれば教えて下さい。

耳に関しては、私の認識でははじめて会った時から、今まで、特に聴こえないということを感じたことは一度もありません。

―通常どおり会話することができたのか。

はい、そうです。

報酬は18年間で700万程度

―佐村河内さんと、最後に会ったのはいつですか

昨年12月15日です。

―その時に、すべてを告白するということは言ったのか

言ってません。

―佐村河内さんに、今伝えたいことは

彼がメールに書いていたように、非常に多くの人の夢を壊してしまった。やはり、そもそもの関係が間違っていたのではないでしょうか。

―契約形態や印税などの管理については

彼が依頼をし、私が曲を書いて渡す。それによって報酬を受け取りました。 印税に関しては私は関係はありません

―2006年に佐村河内さんが高校の吹奏楽部に楽曲を提供しているのですが、その曲も新垣さんが?

はい。私がつくりました。

―どのような依頼で

彼がある高校の吹奏楽部の顧問とコンタクトをとり、彼がその部活のために曲を書きますといって、 依頼が来ました。

―曲のイメージや構成案などはあったのか

あの曲については、グラフなどの指示は特になかったです。楽器の編成は、吹奏楽のみならず、邦楽器を含んだもの。 また、顧問の先生のリクエストがあったと思います。ゲーム音楽を手掛けていたとのことですので、そのイメージでつくっていただけないかということでした。

―すべて新垣さんがつくられたと。

はい。

―新垣さんが曲をもっていったときに、実際にきいて品評を加えたなど、佐村河内さんが耳が聴こえていたと考えられるエピソードがあれば。

私が録音したものを彼が聴き、それについて彼がコメントするというシーンは何度もありました

―耳が聴こえないようによそおっていたと

はい。

―佐村河内さんとの出会いなどについて、様々なところで書いているが、それは嘘だったと?また、新垣さんは自身の名前がでなくても、作品が世に出ることで満足だったか。

CDの解説にあったような記述については、ほとんどが嘘です。フィクションです。 また、私は作曲をしましたけれども、一連の作品というのは、彼とのやり取りの中で生まれたものであるという認識を持っています。

―昨年、佐村河内さんを取材した際に、ピアノソナタの譜面を見せてもらったのですが、それも本人が書いたものではないと?

創作ノートは本人が書いているが、譜面は私が書いた

―佐村河内さんの楽曲は被災地のみなさんに多く受け入れられているし、テレビのドキュメンタリーの中でも被災地で苦悩している姿などが放映されている。そうした彼の思いやイメージというのは、伝えられていたのか。また、共作という形での発表という手段はなかったのか。

彼が、どのような気持ちでああしたシーンを撮影したのかは、私には分かりません。 ただ、私は彼から依頼を受けたときに、何か被災者の方のために曲を書きたいとは思いました。

―ドキュメンタリーで放映された様子は演技だったと?

私はそう思ってます。

―共作については

そうした提案は私からもしなかった。あくまで彼のゴーストライターであるべきだと思ってます。

―佐村河内さんの代理人よると新垣さんが表に出にくい理由があったとされているが

いえ、特にありません。はじめの段階からゴーストライターとしての役割であると思っていました。

―ゴーストライターとして曲を書いた報酬の額は?

18年間で、20曲以上提供いたしました。はっきりとした金額は調べていませんが、700万前後だと思います。

―新垣さんのために名前を伏せた、というような言われ方については

ゴーストライターが前に出てはいけない。ただ、それだけのことだと思います。

―高橋大輔さんが使用する曲は、義手のバイオリニスト・みっくんのために書いた曲とされているが、彼女との関係は?

彼女がバイオリンを始めた頃から、教室で伴奏していたので、その頃からの関係です。

―700万円ほどの報酬ということだったが、世の中を欺いて得た報酬ということで返上したりとか、曲を演奏した方への賠償などの考えは

今の私の気持ちでは、彼に報酬を返すということは考えていません。演奏家の方々に対しては、私は非常に感謝の念を持っています。それをお伝えしたいと思っています。

―佐村河内さんが曲をつくったと思ってCDを買った方もいると思うのですが、それに対しては

大変申し訳ないことをしたと思っております。本当に申し訳ありません。

―「HIROSHIMA」が注目を集めた芥川作曲賞への応募は知っていたのか?代作したものが応募されるというのは、本人の気持ちとしては

最初は知らなかったのですが、あるところから情報を得た時は非常に戸惑いました。

―自分で応募した経験や、今後の応募については

自分で応募したことはなかった。賞に応募するということではないですが、芥川作曲賞という日本の芸術音楽に送られる賞なので、私もその領域で芸術作品をつくりたいという意志は強く持っております。

―佐村河内さんから伝えられていたというイメージというのは、どういうものなのか。また、今後の著作権を主張するつもりは?

図表や言葉でイメージを伝えてきました。著作権については放棄したいと思います。

―佐村河内氏のピアノ技術については。また、無名の作曲家がデビューしにくいなどクラシック業界に対する不満や思いなどはあったのか。

彼は非常に初歩的なピアノ技術のみであります。現状に不満があったということはありません。作曲家が自分の作品を発表するための場は、決して貧しい状況だとは思っていません。

―今回公表された、新垣さんが代わりに作曲をされていたこと、佐村河内さんがちゃんと会話ができたというようなことは一体どの範囲の方がご存知だったんでしょうか。CD会社の方や、番組を作られた方は気づいていたんでしょうか。お二人だけしか知らない事実だったんでしょうか。

私自身は、彼と接触をするときはほとんど彼と私だけの二人だけだったです。やりとりにおいてはごく普通のやりとりをしていたということです。それ以外で彼と会うということはありませんでした。以上です。

―さきほど著作権を放棄されるという話があったんですけれども、すでに著作権を譲渡されているということはあったんでしょうか。提供した時にそういう話あいはあったんでしょうか。

そのような話し合いはしておりません。

―この問題についてJASRACとの話し合いは。

私はそれには一切関わっておりません。

―レコード会社とは。

コロムビアの方とはコンタクトを取っていなかったので、知りません。

―ふたりの関係が露見しないために、ばれないために、どんなことがあったのか。

それは一点であり、私が作っているということを口外しないことのみだと思います。私にもそうすべきではないと思っていたのです。偽名を使ったのは一回でした。

―昨年5月に、もうムリだ、と、そう思ったとのことですが決定打は?何度かお話をしたのは、それ以降のことか。

もうこれ以上は続けられないと思ったのは5月ですが、彼にそのことを伝えたのは7月でした。さらに12月に、もう一度、彼に要求しました。それがうまく行かなかったので、今の時期になりました。

「HIROSHIMA」という名で発表されると聴き、大変驚いた。

―交響曲「現代典礼」が、「HIROSHIMA」に変わった経緯、どういう心境だったか。

最初にゲームの音楽のための曲をつくり、それがCDが発売されました。それがユーザたちの中で評判を取りまして、そのあと彼から、一枚のCDに収まるような、ゲームではなくオーケストラの作品をつくりたいという希望を聴きました。それを発売するのだと、そのために1年間で作ってくれということで、引き受けました。結果的には私は事情はわからないのですが、それは発売はされずそのままになっていました。

もちろん、そのときには、「HIROSHIMA」というタイトルではありません。数年後に、そのオーケストラ作品が、「HIROSHIMA」という名で発表されると聴いたときには、大変驚きました。

―バイオリニストみっくん、そのご家族への思い、これからどのようなお付き合いをされるのか。

彼女にはぜひ、あの曲を弾いてほしいと思っています。彼女と家族のみなさんに対してはこれからも音楽を通じてコミュニケーションしていきたいという思いが強くあります。

―こういう会見をして謝罪するのはけじめだが、社会的な部分、身の処し方を教えて下さい。

できることならば、私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと強く思っています。

やはり彼との共同作業であると思う

―みっくんに音楽を弾き続けて欲しいと言われましたけど、その一方で著作権を放棄したいとおっしゃいました。この曲は残したいという曲と、佐村河内さんのために書いたので、自分の曲ではないという思いもあると思います。自分の音楽と、佐村河内さんのための曲を作るときには、気持ちが違うのか。

佐村河内さんのために曲を書くという面もありましたが、彼との関わりの中で作品が生まれるということなので、それはやはり彼との共同作業であると、私は全ての作品において思うのです。それと同時に、どれも全て私の出来る限りの力の範囲で作るものであり、そういう意味ではひとつひとつが非常に大事なものです。

―なぜ、週刊誌上での告白という形になったのでしょうか。ソチ五輪が開かれますので、大変厳しい言い方ですが、売名行為になるという向きもあると思います。

高橋選手には、そういう状況のまま踊って頂くことは非常に良くないことではないかと思ったからです。

―佐村河内さんの障害者手帳ですとか、それを証明する公のものを見たことはあるんでしょうか。

はい。一度だけ見せられたことがあります。手帳です。

―何級でしょうか。

そういうのは記憶にはありません。それは彼が、自分は耳が聴こえないんだと、世間にそういうスタンスを取った直後です。

―佐村河内さんがどの程度まで関わっていたかというのを具体的に教えて下さい。出来上がる途中でどのように関わっていったか。

ピアノの「鎮魂曲」の場合ですと、私がいくつかの音のモチーフ、断片の譜面をかき、それをピアノで録音し、それを彼が聴き、その中で、彼がいくつか選んだ断片をもとに、あとは私が全体構成を作曲するというプロセスでした。

―こうしてほしいというやりとりもあったということでしょうか。

そうです。

―聴覚の程度なんですけれども、音楽を聴きながらやりとりできるということは、ふつうの方と同じということでよろしいでしょうか。障害者手帳を詐取しているということなのか。

わたしは、彼と普通のやりとりをしていたのです。やはり、それは違うのではないかと思います。

―であれば、なぜそういうことをしているのか、本人の口からはどういう説明があったのか。

最初は、私に対しても少し耳が悪い状況であるということを示してたのですけど、でもやりとりしているうちに、だんだん戻ってきたと、そういうことがありました。やがてはそれもなくなりました。耳が聴こえないんだということうぃ示すための、外に向けての行為をしていたのだと思います。

―耳が聴こえない、という方が、CDが売れるのではないかと趣旨のことを発言されたことがあるという理解ですか?

これからはそういうかたちで行く、ということを聴いた記憶はあります。

―いつくらいのお話でしょうか。

それはゲーム音楽が発表された後です。

「みずいろのまち」については知らない

―3月に発表される予定だった福島県本宮市民の歌「みずいろのまち」については。

それは初めて聴きました。私は関わっておりません。

―作った記憶のない曲は。

さきほどの歌の曲は私は知らなかったです。自分の認識の中では、彼のほぼすべてを自分が担当している、ということです。

―今後、曲がお二人から離れて、自立していきていくということですけれども、高橋さんがソチで利用できなくなるといったことを防ぐためには放棄をしたほうが良いという判断か。

ちょっと私は詳しいことはわかりませんけれども、高橋選手があの曲で演技することが実現されなければならないので、そのための何か手続きが必要であれば、絶対しないと行けないと思っております。

―20曲で700万円ということですが、報酬面で不満に思ったことはありませんか。売れれば売れるほど、報酬が来ればいいなと思ったことはありませんか。金銭面にまつわるエピソードがあれば教えてください。

私が譜面を作り、それを渡し報酬を受け取るのは自然のことと思っておりました。彼が受け取ったあとは、もう彼のものなわけですから、彼がどう扱ってもいいということだと思っています。ですので、その後についてのことは私は一切タッチしない、したくないという気持ちがありましたから。そのようなことです。金銭トラブルは無かったと思います。

彼の情熱と私の情熱が共感しあえた時があった

―著作権を放棄されたということですが著作権料や、レコードを回収したことなどでの損害についてはどのように処理されるのか。佐村河内さんなのか、それとも新垣さんも払われる予定はあるのか。

そのことについては、どのような形で償えばいいのかということは、まだわかっておりません。

―18年間という密度の濃い時間。ゴーストライターという職業に徹していたとお見受けします。最初に会った時から友情であったり、そういう感じで結びついていたのか。それが変わったというのは、彼自身が脚光の中で、人間が変わっていくのをお感じになったのか。佐村河内さん変質がありましたら教えて下さい。

自分が取った映画の仕事を自分のアイデアで実現したいという思いがあり、そのために音楽に当てられた実際の予算を大幅に超えた、自分でお金を出してメンバーを雇いスタジオを借り、私が協力し、という形で作ってきました。彼は非常に強い、自分のやりたいことを実現されるために頑張ったんだと思います。そのようなことは度々あったと思います。そのような彼のことを非常に偉いなと私は思っていたんです。

彼が変質かどうかというのは私はそんなに感じてはいなかったかもしれません。彼とは基本的に彼が依頼をし、それを譜面をつくり、それを渡すというそれだけのやりとりを保っていました。その中で、なお、やはり彼の情熱と私の情熱が、非常に共感しあえた時というのはあったと思っています。

―新垣さんが止めることの出来る立場だったわけですが、止めたときに、彼からどういったコメントがあったのか。

やはり耳が聴こえないのだということを言い出したとき、非常に戸惑い、その必要があるのかどうかと思いましたが、このような関係を成り立たせるための方法であったということは私はそれを了承していたので、やめたいと直接言ったのは最近になるわけです。それまで彼にはっきりと自分の意志を伝えたことは無かったです。彼から依頼を受けるというごく普通に続けていました。

やはり、私はゴーストライターとしての役割を果たすためには、それが知られてはならないので、なるべくそれがやりやすい状況を望んだのは否めないです。

―純粋な芸術家としての創作物という立場から見て、共作者としての位置づけであったのか。それとも仕事を持ってきてくれるプロデューサーというような認識だったのか。

彼は実質的にはプロデューサーだったと思います。彼のアイディアを自分が実現する。彼は、自分のキャラクターをつくり、それを世に出したということで、彼のイメージをつくるために、私は協力をしたということだと思います。

―先ほど見ていただいた楽譜の写真なのですが、あれは新垣さんが作ったとのことですが、どのように作っているのか。

どういう音を選ぶのか、というのは私が全部やっている。ある種のイメージを彼から伝え聴いて、という感じです。

―指示をされたということになるのか?

彼が、どういう曲が欲しいという指示から始まるものです。それを受け取って私は作業を始めるということです。

―佐村河内氏は譜面がかけたのですか?

彼は書けません。

―被爆者の方への思いは?

音楽とは別に、広島の被爆者の方々に対する思いというのはございます。それを音楽で表現をするということもあるかもしれません。あるいは、その被爆された方への思いが、もしかしたら音楽に与える影響があるということもあるかもしれません。でも、それは非常にあいまいです。はっきりメッセージ性を持たせて作るというやり方は、自分の場合はとっておりません。

―以前取材させていただいたときに見せてもらった楽譜を、誰がどういう風に書いたのか、というのをご確認いただきたいのですが。

(楽譜を見ながら)これは、あるオーケストラのための作品の一部なのですが、そのある一ページを彼が書き写したものです。

―「ゴーストライターは前に出てはいけない」とのことでしたが、評価される中で自分が表に出たいという思いがあった富もうが、そのあたりの葛藤はあったのか

自分の作品が演奏されて、多くの方が聴いてくださるということは非常に嬉しいことでした。 なのですが、やはりこの場合はそれをどう自分の中で受け止めていいのか、というのがもうちょっとわからなかった。

―高橋選手がソナチネを利用するということを、どういう経緯で知り、その時の気持ちを?また今回の件を経て、それでも曲目変更なしと聴いた時は?

私が知ったのは発表されてからずいぶん経ってからだったと思います。なんとなくどこからか聴いたという感じです。 高橋選手があの曲を選んでくださったというのは、私にとって大きな喜びであります。 高橋選手がこのような事態にもかかわらず、なおこの曲を選んでくださり、演技をすると聴いて非常に嬉しく思いました。

―佐村河内さんは、耳が聴こえないということ以外に、耳鳴りがするとか杖を使っていたり、指に障害があったりするように見えるが、18年間付き合う中で、そういう症状はあったのか?

そのことに関しては、お答えできないです。彼からも説明を受けたことはなく、それがどのようなものかも私にはわかりません。

―始めてあったときから杖をついていたりとかしましたか

そういう時もありましたが、そうじゃないときもありました。

―今後、佐村河内さんへの裁判を起こす可能性は?あるいは今まで発表されたCDについては?

いままで彼の名義で発表されたものについては、そういうものだと思っています。私の方からは、裁判は考えていません。

―CDのクレジットなどは佐村河内氏のままでいいと?

皆様が納得されるかどうかわかりませんので、それはどうかわかりません。
新垣氏とみっくんが演奏する映像が上映された。 写真一覧

メディアも“無自覚の共犯者であると同時に被害者”

―最後に週刊文春に告発記事を書いたライターの神山典士氏からもコメントがあった。

今回、記事を執筆した神山です。

一つだけ、皆さんに訴えたいというか、聞いていただきたいことがあります。先ほど、会見の会場に入る前に僕のところにメールが来ました。昨年の正月に出版された、先ほど話にあった義手の女の子を主人公にした児童書が今日の段階で出荷停止にしますという連絡が出版社から来ました。僕にとっては、とても残念なメールで仕方ないかなと思いながらも、とても悔しい、悲しいという思いをしながら来ました。

ただ、僕の本を読んでくださった読者にとっては、その本にも佐村河内さんが出てくるので「神山は、なんで見抜けなかったんだ」「お前も共犯者あるいは加害者だろう」という思いもあろうかと思います。それについては、大変申し訳なかったとお詫びをするしかありません。同時に、僕も自分の作品がこれ以上読んでもらえないということになりましたので、被害者ということにもなります。

今回のこの事件は、皆さんもメディアをお持ちですので、どのメディアにとっても無自覚の共犯者にされてしまった。同時に被害者にもならざるを得ない。そういう非常に入り組んだ構造になっている。さらにいえば、今まで佐村河内というクレジットで演奏された楽曲、コンサート、そういったものを聴いて、涙を流した、感動した、自分の周りの人にも薦めた、自分の心の拠り所にしている、そういう風に思ってきたオーディエンスの方にとっても非常にショックだったろうと思います。

そのことについて、今日、新垣さんはご自分の立場から謝罪をされたわけですが、高橋大輔選手がコメントとして「私は、作家がどうであれ、曲を気に入ったのだから、これでは堂々と滑ります」と言って下さりました。これは僕らにとって何よりの言葉だったと思います。僕は直接は伝えられませんが、高橋選手にがんばってほしいとエールを送りたいと思います。同時に、この楽曲には一点の罪もない。音楽には何の穢れもない。そう私は考えます。今までの佐村河内ブランドで送り出された曲に感動した皆さん、そのことを自分で痛々しく思うのではなく、音楽に対してはこれからもお互いに愛していきたい、大切にしていきたいと僕自身は考えます。そういう意味では、僕の文章が書き続けられる限り、もっと深い深層がわかるまで頑張って書いていきたいと思います。

今日は是非みなさんに、先ほどの義手の女の子(みっくん)と新垣さんの演奏によるソナチネを短い尺でありますが聴いていただきたいと思いまして、数日前に小さなピアノバーで行った演奏会の様子を紹介します。このピアノバーは僕らにとっては思い出深い場所でして、辻井伸行くんが17歳でショパンコンクールに行く前の壮行会で使った会場であり、ピアノです。どうぞ聞いてください。

~映像流れる~

今の演奏してくれた義手のバイオリニストの少女のお父さんのコメントがあります。

「佐村河内氏に関わる真実を知りました時は、大変衝撃を受けました。5年もの長きにわたり信じきっておりましたので、憤り、あきれ、恐怖すら覚えております。

娘は佐村河内氏から格別の厚遇を受け、すばらしい曲を献呈いただいたり、コンサートに出演させていただくなど様々な恩恵をさずかりましたので、そのことについては、大変感謝しております。たた、ここ一年ほどは、絶対服従を前提に徐々に従い難い要求を出されるようになり、昨年11月に、『服従できぬ』と回答しましたところ大いに怒りをかい、絶縁された状態になっておりました。その後、この真実を知りました。佐村河内氏の周りには、音楽関係のすばらしい第一人者の方々や手話や福祉学校の熱心な先生方が大勢おり、得難い出会いもいただきましたし、まったく信じておりました。

真実を知りますと、それらの方々も、みんな騙されていたのかと人間不信や恐ろしい気持ちがわいてまいりました。娘も深く心に傷を負い、5年もの間気付いてやれなかったと、親として後悔の念にさいなまれております。娘を応援していただいている皆様にもご心配をお掛けしたり、失望させたかと思うと大変申し訳ない気持ちです。

しかしながら、幸いにして、娘はまだバイオリンを続けていきたいという気持ちを失っておらず、献呈された曲そのものについての愛着も失っておりませんので、この後もまっすぐ育てていきたいと切に願っております。

最後に娘に献呈いただいた曲で、オリンピックに挑戦される高橋大輔選手に関しては、どうか今回の件に惑わされることなく 健闘されることを心から祈っております。」


・佐村河内守氏作曲問題 ゴーストライター 新垣隆氏 記者会見 - ニコニコ生放送

広がる波紋

同氏については、TBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」などでも取り上げられている。昨年3月に佐村河内氏のドキュメンタリーを放送したNHKは、5日、「取材や制作の過程で、検討やチェックを行いましたが、本人が作曲していないことに気付くことができませんでした」とするお詫びを発表。JASRACは、「権利の帰属が明確になるまで、利用の許諾を保留する」と発表した。

また、広島市が同氏に授賞した市民賞の取り消しを検討していることが報じられたほか、日本コロムビアが「大変憤りを感じている」として発売中のCDの出荷停止を決め、世界文化社がインタビュー記事と付録CDを含む月刊誌「家庭画報」最新号、追加発行を停止。ことし6月まで予定されている、同氏の交響曲の演奏を含むコンサートは全公演がキャンセルとなるなど、波紋が広がっている。

関連情報

・作曲家 佐村河内守氏につきまして - 日本コロムビア
・「佐村河内 守」作品 発売中止のお知らせとお詫び - 東京ハッスルコピー
・佐村河内 守作曲 交響曲第1番≪HIROSHIMA≫ 全国ツアー - Samon Promotion
・佐村河内守氏の作品について - JASRAC
・人が作曲 授賞取り消し検討も - NHKニュース
・魂の旋律~音を失った作曲家~ - NHKスペシャル(2013年3月31日初回放送)

佐村河内守氏のプロフィール

「サモンプロモーション」によれば、
被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、
10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、
以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、
楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。
高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。

1988年、ロック歌手として誘いを受けたが、弟の不慮の事故死を理由に辞退。
聴力の低下を隠しながらの困難な生活が続く中、
映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。
1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びるが、
この作品に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となっていた。
抑鬱神経症、不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が
頭に鳴り止まない頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみつつ、
絶対音感を頼りに作曲を続ける。

2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、
全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。
同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。
この施設の女児の一人は、交響曲第1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、
この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を完成。
となっている。

関連商品

リンク先を見る
佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA
posted with amazlet at 14.02.05
佐村河内守
日本コロムビア (2011-07-20)
売り上げランキング: 1
Amazon.co.jpで詳細を見る


リンク先を見る
「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か―新潮45eBooklet
posted with amazlet at 14.02.05
新潮社 (2014-01-14)
売り上げランキング: 1
Amazon.co.jpで詳細を見る


リンク先を見る
みっくん、光のヴァイオリン‐義手のヴァイオリニスト・大久保美来 (感動ノンフィクションシリーズ)
posted with amazlet at 14.02.06
こうやま のりお
佼成出版社
売り上げランキング: 5,988
Amazon.co.jpで詳細を見る


リンク先を見る
交響曲第一番 闇の中の小さな光 (幻冬舎文庫)
posted with amazlet at 14.02.07
佐村河内 守
幻冬舎
売り上げランキング: 105
Amazon.co.jpで詳細を見る


リンク先を見る
魂の旋律-佐村河内守
posted with amazlet at 14.02.07
古賀 淳也
NHK出版
売り上げランキング: 645
Amazon.co.jpで詳細を見る