「こんな姿、見せられない…」男の家を泊まり歩く28歳女が、泣き崩れたワケ
見た目も仕事も隙がなく、完璧な女。
周囲からは“憧れの的”としてもてはやされるが、そんな人物にこそ、裏の顔がある。…完璧でいるためには、ストレスのはけ口が必要だからだ。
PR会社で多忙を極める28歳の綿谷あんなは、求愛してくるいろんな男のもとを毎晩泊まり歩き、決して自宅に帰らない。
母親の“呪い”に、乱れた生活。そして歪んだ自尊心…。
これは、そんな女が立ち直っていくストーリーだ。
容姿端麗な28歳、綿谷あんな。多忙なPR会社で働くが、常に余裕のある振る舞いで社内では憧れの的だ。しかしその裏では、毎晩男の家やホテルを泊まり歩き鬱憤を晴らしていた。
毒親の母からの依存、見栄っ張りな性格…もがき苦しむあんなが家に帰らない大きな理由。―それは、散らかった自宅が嫌いだからだった。あんなは掃除をはじめ、家事が全くできなかった。
▶前回:ヤドカリ女子:仕事も男も手玉に取る28歳女。彼女が決して自宅に帰らない理由とは

「おはようございます!時刻は午前4時50分…」
眩しすぎるライトの向こうで、早朝の情報番組を担当する女子アナが微笑んでいる。その様子をスタジオで眺めながら、あんなはマスクの下であくびをかみ殺した。
―クライアントの商品が紹介されることになったのはありがたいけど、朝4時にテレビ局入りはきついな。
PR担当として放送に立ち会わなければいけないが、さすがに体の負担が大きかった。昨日、麻布十番に住む男のマンションに泊まれたのが、唯一の救いだ。
自宅に帰ったおとといは、結局一睡もできなかった。
今日は誰の家に帰ろうか。そんなことを考えていると目的のコーナーが始まり、慌てて意識を切り替えた。
◆
「綿谷さん眠くないんですか?」
コンビニで買ったアイスコーヒーを啜っていると、不意に隣のデスクから話しかけられた。
「今日、朝4時にTQBテレビ行ってましたよね。もう21時ですけど…」
眠くないわけがない。しかしこう尋ねられるということは、平気そうに見えているということだ。
「大丈夫。2時間後に化粧品のインスタライブがあるから、何かあったときのためにいないとね」
「え、あれ山本さんの案件ですよね?」
「うん。でも何回かヘルプ入ったし、一応最後まで見届けようと思って」
へえ、と彼は感嘆の息を漏らす。
「案件たくさん抱えてるのに、先輩のヘルプまで…。さすが綿谷さん、すごすぎます」
そのときだった。スマホが振動して着信を知らせる。画面には“山本さん”と表示されていた。
「はい、綿谷で…」
『リリース送付先に、「インスタライブは今夜23時から」って今すぐ電話して!』
耳元で叫ぶ声に、あんなは思わずスマホを耳から離す。
「どういうことですか?」
『リリースが間違ってた。…明日の日付になってたんだよ』
職場で常に“完璧”を演じていたあんなだが…
◆
「はい…。大変申し訳ございませんでした」
あんなは電話の向こうのクライアントに、スマホを持ったまま何度も頭を下げる。
マスコミの担当者とは普段から密に連絡を取り、彼らのLINEも知っていたので、インスタライブ自体はなんとかなった。だが、クライアントの怒りは収まらない。
『山本さんにもきつく言ったけどね。彼からは、あなたがうちの商品のファンでどうしてもやりたいって言い張るから、チームに入ってもらってプレスリリース任せたって聞いたよ』
「え…」と漏れそうになった驚きの声を、あんなはギリギリのところで飲み込んだ。
やりたいなんて言っていない。「お前余裕そうだからヘルプ頼むよ」と言われたのだ。それにプレスリリースも任されていない。
でも、こんな基本的なミスはきちんと見ていれば誰かが気づいたはずだ。自分の落ち度でもあるし、誰のせいだろうとクライアントには関係ない。
『こんなあり得ないミスするくらい手一杯なら、引き受けないでほしかったよ!』
「本当にご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ございません…」
震える指でスマホを握りしめ、あんなはもう一度深く頭を下げた。

◆
顛末書を書き終えると、すでに25時半を回っていた。ブブ、とスマホがLINEの新着メッセージを告げる。
山本かと思ったが、母親からだった。読み切れないほど長文で、父や妹への愚痴が書き連ねられている。
既読をつけてしまったことを後悔しながら『ごめんね、まだ仕事中だから明日返すね』とだけ返信した。
長い1日だった。朝4時にテレビ局に行ったのが、遠い昔のようだ。緩慢な動作でコートに袖を通す。オフィスを見回すと、もう誰も残っていなかった。
足元がふらつくが、誰も見ていない。清潔なベッドに横たわって、今すぐぐっすり眠りたい。
“ご自身もたくさん案件抱えているのに”
“お前余裕そうだからヘルプ頼むよ”
“こんなミスするくらい手一杯なら、引き受けないでほしかったよ!”
掛けられた言葉の数々が、脳裏をよぎる。
余裕そうなのは、演じているだけ。完璧になりたいから頑張ってきたのが、裏目に出た。
会社を出て、タクシー乗り場に向かう。数人の後ろに並び、タクシーに吸い込まれていく人を眺めながら溜息をついた。
そのとき握っていたスマホの画面が光り、あんなは目を落とす。差出人は“ママ”と表示されていた。
『こんな時間まで働かなきゃいけないなんて、あっちゃんのキャパ超えてるじゃない〜。他の人にも迷惑かかっちゃうよ(-_-;)もっと向いている仕事にしたほうが良いと思う♡』
並ぶ文字に、呆然とする。すぐにスタンプが追加で送られてきた。
「なんでこんなこと言われなきゃいけないの…」
思わず本音がこぼれる。上司やクライアントに否定されるなら仕方ない。だが、母親はPR会社と広告代理店の区別もついていない人間だ。
じわり。視界がぼやけ、あんなは慌てて目を擦った。疲れているんだ。こんな時は早く、私を求める男のところに行こう。
ピンクのネイルに彩られた人差し指でトーク履歴をスクロールするが、自然と動きが止まった。
泊めてくれる男を探していたはずのあんなだが、あることに気づく
―こんな弱った姿を見せたら、哀れに思われる。
スマホをバッグに投げ入れ、あんなはその場にしゃがみ込んだ。
私を求める男はいても、弱ったときに頼れる人はいない。何のために男たちの愛を確かめてきたんだろう?余裕ぶって仕事を抱え込んで、私は何をやっているんだろう?
ぐるぐると考え込んでいるうちに、涙がぽたぽたとアスファルトに落ちていく。28歳の女が深夜に背中を丸め、肩を震わせて泣く姿は、なんて滑稽だろうか。
「あの…。綿谷さんですよね?」
そのとき遠慮がちに降ってきた声に、あんなは我に返った。すっとネイビーのタオルハンカチが差し出される。
「タクシー来てますけど、乗れますか?」
泣き顔を見られないよう顔を手で覆っているので、誰なのか分からない。声にも聞き覚えがない。あんなは慌ててタオルを受け取り、目元を抑えて立ち上がる。
そのとき初めて、相手が自分に視線を合わせてかがんでくれていたことに気づいた。
ふわふわの天然パーマ、黒縁の眼鏡、ぱっとしないスーツ姿…。でも私のことを知っている…誰だ…?
「ありがとうございます。えっと…」
「浅霧です、浅霧祥吾。去年の新入社員研修で2週間お世話になった…」
「ああ!」
記憶がよみがえり、あんなはぽんと手を叩いた。
いつもシャツがスラックスからはみ出ていて、寝癖が隠しきれていなくて、教えても教えてもわかってるんだかわかっていないんだか伝わってこなかった、浅霧くんか!
「ごめんなさい。タオル、洗って返すね」
会社の人、しかも研修中に教育係を担当した入社2年目の男の前で、弱った姿を見せるなんて。あんなの想像する限り、何よりもあり得ないことだった。

職場で張り付けている笑みを作って見せたが、涙でメイクがすべて落ちているその顔に、祥吾は心配そうな表情を浮かべる。
「全然、それはいいんですけど…。1人で帰れますか?タクシーは来てますが」
そう言われ、あんなは後部座席のドアを開けたまま待つ車を見た。
―私は今日、どこに帰る?
「もちろん、帰れる…」
段ボールやごみ袋でまっすぐ歩けない部屋。母親から送られてきた食品や化粧品が転がるテーブル。男から貰ったブランド品であふれ、閉められないクローゼット。脱いだ服で埋まったベッド。
言い切る前に、ぶわりと涙があふれだした。
「…家に、帰りたくない」
言葉は頭で考えるより先に、あんなの唇から零れた。
「…じゃあ、とりあえず僕の家に行きましょう」
祥吾の骨張った手が、そっと肩を支えてくる。
タクシーに乗り込むと「落合南長崎までお願いします」とドライバーに告げる彼の声が、どこか遠くに聞こえた。
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初めて、男に弱った姿を見せたあんな。着いて行った後輩男子の部屋で、見てしまったモノとは

