「Nデー」

 それは空騒ぎに終わり、訪れることのない1日だった。

 パリ・サンジェルマン(PSG)のブラジル代表FWネイマールが、バルセロナに移籍する日を巡り、報道は加熱していた。「ウスマン・デンベレ+ネルソン・セメド+1億ユーロ(約120億円)」「イヴァン・ラキティッチ+1億5000万ユーロ(約180億円)」「今シーズンはレンタルで、買い取りオプション付き」などなど、さまざまな条件が洩れてきた。しかし結局、交渉は決裂。PSGはトレードではなく、2億5000万ユーロ(約300億円)のキャッシュを要求していたという。

「集中力を失った」

 ネイマール騒動のせいか、バルサは開幕から3試合で1勝1分1敗と、スタートダッシュに失敗した。チーム編成が決まらない。その不安定な状況が、選手たちのメンタルを蝕んだのは明らかだ。バルサはどうしてブラジル人スターに固執したのか――。


リオネル・メッシの欠場もあり、開幕から低調な戦いを続けているバルセロナ

「バルサの戦術に適応するのは難しい」

 それは通説で、優れた選手でも苦しんでいる。たとえばポルトガル代表MFアンドレ・ゴメス(現エバートン)などは、精神的に参ってしまうほどだった。バルサは下部組織から一貫したスタイルがベースにあり、プレーのオートマチズムに組み込まれながら個性を発揮する必要があるだけに、勝手が違うのだ。

 しかし、活躍したブラジル人たちは苦にしていない。むしろ、個性を発揮した。ロマーリオ、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ、ダニエウ・アウベス、そしてネイマール。彼らは華やかなプレーでチームに勝利をもたらす英雄だった。

 ヨハン・クライフ監督は、ロマーリオという最後のピースを得て、「ドリームチーム」の伝説を完成させた。ボビー・ロブソン監督は「ロナウドこそ戦術だ」と言い切った。ルイス・ファン・ハール監督はリバウドと衝突しながら、リーグ連覇など最盛期を過ごした。フランク・ライカールト監督はロナウジーニョの加入で、栄光の時代を作った。ジョゼップ・グアルディオラ監督はダニ・アウベスがいたからこそ、超攻撃的なサッカーを実現させた。そしてルイス・エンリケ監督はネイマールの力を引き出し、「MSN」(メッシ、スアレス、ネイマール)を確立した。

「ジンガのリズムに乗ると、自然に体が動き出すのさ」

 かつてインタビューしたとき、ロナウジーニョはそう説明していた。ジンガはブラジルの護身術カポエラの幻惑的なリズムを発祥とすると言われるが、サンバの上半身と下半身が別の生き物のように動く感覚にも似ている。ブラジル人特有のリズムで、体の奥から突き動かされるものだ。

「ジンガは体をスウィングさせることだけど、もっと感覚的なものかな。たとえばドリブルしている時や、動きや方向を変えるフェイントの時とかに自然に出る。音楽に合わせ、どう体を動かすのか、決まっていないのと一緒だよ。自分自身、プレーを決めているわけじゃない。その時の感覚にゆだねているのさ」

 感性でプレーすることによって、その動きは予測できない。その天才的なひらめきが、バルサのオートマチズムとかみ合う瞬間がある。そのとき、想像を超えるショータイムが始まるのだ。

「ロニー(ロナウジーニョ)は底抜けに陽気。カンプ・ノウのファンの熱気をエネルギーにできた。その奔放なプレーでスタジアムも盛り上がって、さらにロニーも乗ってくる。最高の関係性だったよ」

 17歳から25歳までバルサでプレーしたブラジル人、チアゴ・モッタは言っていたが、適切な表現だろう。

 バルセロナという街は、苛烈なサッカーを好む。創造的か、革新的かを問う。勝つだけでは、人々は満足しない。その点、自由で何事にも囚われないブラジル人のきらめきは欠かせなかった。

 もっとも、その野放図さが故か、バルサとブラジル人スター選手の関係の最後は、苦い後味が残る。

 ロマーリオ、ロナウドは在籍2シーズンに及ばず、リバウドは監督との確執で退団した。ロナウジーニョは自堕落な生活が影響して移籍を余儀なくされ、ダニ・アウベスは単純に条件のいいオファーをさっさと選択。ネイマールもアウベスと同じく、「自分が世界一の選手になる」というエゴで、リオネル・メッシのいないチームを選んだ。

 この夏には、2018−19シーズンに「ネイマールの後継者」として迎えられたフィリペ・コウチーニョが、たった1シーズンでバイエルンへ期限付き移籍した。コウチーニョの場合はカンプ・ノウのファンの不興を買った。低調なプレーに対してブーイングを浴びると、これに憤慨。得点後、声援を浴びたのに、両耳をふさぐパフォーマンスで返した。これで両者の関係は悪化の一途を辿り、居場所がなくなった。

 しかし、バルサとブラジル人が溶け合った瞬間のプレーは記憶に残る。ロナウジーニョは、サンティアゴ・ベルナベウで行なわれたレアル・マドリード戦で、満員の観客からスタンディングオベーションを受けた。敵の心も震わすプレーだった。

 ネイマールの喧騒は、サンバのリズムに変わらなかった。徒労感だけを残した。来年の夏、交渉は再開すると言われるが――。

 今シーズンのバルセロナの前線に、ブラジル人選手はひとりもいない。