急性リンパ性白血病から3年7か月に及ぶ闘病生活を経て、Jリーグのピッチに返り咲いたアルビレックス新潟の早川史哉選手。奇跡のような復活劇の裏で、夫婦が抱えていたのは治療の影響による妊活、不妊治療の葛藤でした。

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白血病を乗り越えて夢を繋いだ主人の姿に

急性リンパ性白血病を乗り越え、Jのピッチに帰ってきた早川選手(写真:ALBIREX NIIGATA)

── 急性リンパ性白血病を発症後、ご主人は骨髄移植、リハビリを経て2019年10月、3年7か月ぶりにJリーグのピッチに立ちました。その姿には格別な思いがあったと思います。

早川さん:「嬉しい」という言葉だけでは表現できないほど、胸がいっぱいでした。苦しい治療を乗り越えて白血病を克服したことは、本当に「すごい」というひと言に尽きます。ただ、復帰戦では喜びを感じながらも、ヘディングで競って背中からピッチに落ちるシーンが何度もあったので、最後までピッチに立ち続けられるのか、試合が終わるまでは不安でした。

── ご主人はプロアスリートの体に戻るまで、大変な道のりを歩まれたと思います。

早川さん:復帰に向けてリハビリをしている頃は、まだ結婚前で遠距離状態だったので直接は彼の姿を見られていないんですが、電話で話をすると「毎日の練習がきつい」とか「最後まで走れなかった」と話していたことはありました。

トップチームの練習に合流する前は高校生と練習をしていたんですが、「高校生が走れる距離を自分は走ることができなかった」と話していたことも。体もそうですが、心がしんどそうだなというのは伝わってきました。

「彼女」から「妻」へ。抱いた子どもへの葛藤

── おふたりは2020年に入籍、そして22年に結婚式を挙げました。「彼女」から「妻」になって何か変化したことはありましたか。

早川さん:結婚を機に変わったことはあまりないかもしれません。ただ、闘病中には家族じゃないことを本気で悩んだこともありましたし、私自身も「家族ではないから」と、どこか遠慮してよく自己嫌悪に陥っていたので、これまでの悩みに答えがでたような、晴れやかな気持ちになれました。

それに、付き合っているときはキラキラしたところというか、相手のいいところしか見えないような時期もあったんです。それが、闘病を経て、強いところも弱いところも見えてきました。だからこそ、結婚後は人間としてお互いに理解しあえる関係が築けていると思いますね。

── お子さんについてはどのように考えていたんですか。

早川さん:実は入籍した後もしばらくは子どもについて話すことはありませんでした。もちろん、子どもが欲しいという思いはずっと持っていたんですが、プロサッカー選手として復帰しようとしている彼に押しつけることはできないなと考えていたからです。

それに、白血病の診断を受けたときに、主人から、将来は子どもができない可能性があると医師から説明されたこと、そして可能性を残すために、精子凍結を進められたことを、涙ながら打ち明けられたことがあって。子どもを作ろうと思っても、彼にはできない可能性があったんです。

そうなると主人は「自分に非がある」と自分を責めるかもしれないという思いもありました。だからなかなか話を切り出すことができなかったんです。それにもう少しふたりでゆっくりと過ごす時間があってもいいのかな、と。

── そういった葛藤がありながらも不妊治療を始めることに。何かきっかけがあったのでしょうか。

早川さん:白血病の治療をする前に主人は精子凍結をしていて、毎年保管の更新をするために病院へ行っていました。更新日を間近にした21年の年明けだったと思いますが、「更新に行ってくるね」という話になったとき、今なら話せるかもしれないと意を決して切り出してみたんです。そのときに彼も(不妊治療に)前向きに向き合ってくれて。22年の結婚式が終わって不妊治療を始めることにしました。

闘病経て誕生した命「本当に尊い」

不妊治療を乗り越え、お子さんを授かった早川さん夫婦

── お子さんを妊娠したことがわかったときは早川さんの気持ち、伝えたときのご主人の反応はいかがでしたか。

早川さん:長期戦になることも、子どもができないことも覚悟していたんですが、1度目の不妊治療で妊娠することができたんです。(不妊治療は)初めての経験ですし、体の変化もいろいろあって大変でしたが、妊娠がわかったときは、もちろん嬉しかったですし、安心もありました。主人に報告したときは、「いろいろ頑張ってくれてありがとう」と、これ以上ない笑顔で喜んでくれましたね。

── 23年4月に第1子が誕生。それまで命と向き合ってきたおふたりだからこそ、新たな命の誕生には感慨深さもあったのではないでしょうか。

早川さん:子どもが生まれること自体、素敵なことだというのは変わりありませんが、闘病の影響で子どもができなかったかもしれないという状況を考えると、我が子のことをいうのもなんですが、本当に尊いなとあらためて感じていて。生まれたときはもちろん、今、子育てをしたり子どもと遊んだりする日常のなかで、「幸せだな」と思う瞬間が多いですね。

ようやく描けた家族3人の未来

── お子さんは海外でも羽ばたいて活躍して欲しいという願いと、ご主人が背負ってきた背番号にちなんで、「瑛翔(えいと)」と名付けたそうですね。今年でもう3歳になります。ご主人はどんな父親ですか?

早川さん:スタジアムでサッカーをする主人をよく見せるのですが、そんな姿を見て、まだ幼いですが息子も少なからず尊敬しているんじゃないかなと思いますね。主人は子どもとたくさん遊んでくれるいいパパです。

── 早川さんご自身は、母親になって何か変化したと感じることはありますか。

早川さん:気持ちの面で少し穏やかになったような気がします。学生の頃までは「楽しいことがない」とか「つまらなくて嫌だ」とよく思っていましたけど、今は自宅で家族とただ一緒に過ごすことだけでも幸せを噛みしめる毎日です。

── お子さんにはどんなふうに育ってほしいですか。

早川さん:サッカーをやりたいなら嬉しいですが、自分が好きなこと、やりたいことをとことんやりきるような、そんな人生を送ってもらいたいです。

── ご主人の闘病を経て、おふたりの絆がより深まったと感じますか。

早川さん:もちろん病気にならないにこしたことはありませんが、早川史哉という人間をより理解することができたと思いますし、以前にも増して尊敬するようになりました。絆も深まったと思います。

病気になって最初は私もどう接していいかと戸惑いもありましたが、そんな経験を経て、「付き合っている人」から「人生をともにするパートナー」になっていったのかなと思います。

── 最後になりますが、早川さんご自身の今後の夢を聞かせてください。

早川さん:病気の発症後は、再発の恐れから、明るい未来を想像することが許されないように感じたこともありました。でも、結婚、出産など、人生を前向きに激変させる出来事もあり、少しずつ私も将来が描けるようになりました。最近は、家族でトレイルランニングの大会に出てみたいと思っていたり。

今後、やってみたいなと思っているのは、家族3人で何か1つのことにチャレンジすることですね。私個人としては、引き続き、主人のサポートや子育てはもちろん、学生時代や社会人になってから得た知見や経験を活かしながら、そのときトライしたいことをしっかりと実現させていきたいです。

取材・文:石井宏美 写真:早川真優 サムネイル画像:ALBIREX NIIGATA