【駒田徳広 我が道28】2000安打から半月後に言われた「奇麗に引退してくれないか」
2000年(平12)6月、代打を出されて腹を立て、試合中に帰宅した職場放棄に対するペナルティーの2軍落ちは1カ月続いた。
7月18日の広島戦(横浜)で復帰。14試合に出場したが、いまひとつ調子が上がらない。8月12日に再び抹消。今度は2軍の湘南シーレックスの試合で手応えをつかみ、最短の10日で1軍に戻った。
22日からの中日3連戦(ナゴヤドーム)で2安打。25日からの巨人3連戦(横浜)で4安打。29日からのヤクルト2連戦(同)で2安打。通算2000安打まであと10本のカウントダウンに入った。
早く打ちたいとは思っていたが、思わぬハイペース。9月1日からの阪神3連戦(甲子園)で4打数4安打、5打数1安打、4打数3安打と固め打ちし、一気にあと2本とした。
5日からは中日3連戦(ナゴヤドーム)。初戦に1安打し、6日の第1打席。2回2死、野口茂樹のスライダーを左翼線に運んだ。二塁打。通算2000安打を達成した。
その半月後、9月21日の中日戦(横浜)の試合前に笹川博チーム運営部長から「来季の契約をする意思はない」と伝えられた。戦力外通告だ。引退覚悟で職場放棄しておきながら虫がいいのは承知の上でお願いした。
「お金はいりません。代打でも何でもいいですから、もう1年置いてくれませんか」
これまで「みんなで頑張りましょう」と言ってきた私が、2000本打ってすぐ辞めたら、自分のことばかり考えて野球をやってきたように思われてしまう。それは嫌だった。
だが、笹川さんは「奇麗に引退してくれないか。辞めてNHKに行ってくれ」と言う。大洋、横浜OBでNHKの解説者になった人はいない。「道をつくってくれ」というわけだ。これはお受けできなかった。
どこか獲ってくれる球団はないか。知り合いの知り合いに野村沙知代さんのお友達がいて、話をつないでもらった。ご主人の克也さんは当時阪神の監督。名球会で行ったハワイで直接お目にかかってお願いした。「給料は2000万円でいいんだな。ちょっと待っとけ」と言ってくださったノムさんから年明け、01年1月9日に電話があった。
「阪神では獲れん。お前は広澤(克実)と年一緒だよな。同い年2人は厳しいわ。もうちょっと早く言えよ。早かったら何とでもできたのに」
広澤も私も39歳になる年。球団としては予算の都合もある。ノムさんが球団に掛け合ってくれただけでうれしかった。これですっきり引退を決意。17日に発表した。
20日には東京・丸の内のパレスホテルで「2000本安打を祝う会」を開いていただいた。大変な迷惑をおかけした権藤博さん、長嶋茂雄さんも出席してくださった。
◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。
