「今もやりきれない」絶頂期にバス事故に遭い仕事も健康も失った大東めぐみ「誤報も絶望に追い打ちをかけて」
「ロケに行かなきゃ…」。1990年代、天真爛漫なキャラクターでお茶の間の人気を博した大東めぐみさん。絶頂期にあった2008年、渋谷の交差点でマイクロバスにはねられ、人生は一変。事故直後、意識が朦朧とするなかで彼女の頭に浮かんだのは、切実な言葉でした。仕事と健康、そして積み上げた信頼さえも一瞬で奪われた絶望の淵で彼女が見た景色と、今も消えない「やりきれない思い」を伺います。
【写真】「元気印」の愛称で大人気だった「これぞアイドル!」な20代の大東さん(6枚目/全18枚)
渋谷の交差点で人影から突然マイクロバスが…
── 1990年代、多くのバラエティ番組で活躍し、お茶の間の人気を博した大東めぐみさん。順風満帆なキャリアを築いていた人生は、2008年の交通事故によって一変します。現場はたくさんの人が行き交う、渋谷駅近くの交差点でした。
大東さん:あの日はNHKでの仕事に向かう前に銀行へ寄るため、渋谷駅近くにいました。西武百貨店のA館とB館の間にある横断歩道で信号が変わるのを待っていたんです。人が多く、斜めに渡ろうとする人もいて、右端に立っていた私の前にも人が重なっていました。
歩行者信号が青に変わり、「渡ろう」と足を出したそのときでした。隣にいた男性が突然「わっ!」と大声を上げたのとほぼ同時に、人の陰から右折してきたマイクロバスにはねられたんです。気づいたときには、コンクリートの上に倒れていました。全身と頭を強く打ったはずなのに、不思議と痛みは感じなくて。
ただ頭の中に浮かんだのは「ロケに行かなきゃ」ということだけでした。マネージャーに電話をして「車とぶつかっちゃったから15分くらい遅れるかも。NHKにすぐ連絡してください」と、伝えたことを覚えています。
── はねられた後に、ですか…。意識ははっきりしていたのでしょうか。
大東さん:正直、よく覚えていないんです。記憶が断片的で…。後で聞いた話では、マネージャーが駆けつけたとき、人だかりの中で顔面蒼白の私が倒れていたそうです。
気がつくと救急車のなかにいました。窓の外を猛スピードで流れていく景色が見えて、隣ではマネージャーが仕事のオファーを断る声が聞こえてきました。「大丈夫。私、その仕事行けるから」と喉元まで言葉が出かかったところで、再び意識が遠のきました。
病院に着いて医師に「頭を強く打ったので診てください」と必死に訴えると「足が折れているから先にレントゲンを撮りましょう」と言われて。そこでようやく自分が骨折していることを知りました。
事態の重さに気づいたのは、その日の深夜です。高熱と激痛に耐えながら「これからどうなるんだろう…」と言葉にならない恐怖が押し寄せてきました。診断の結果は左足4カ所骨折、左膝の前十字靱帯断裂。さらに頭を強打した衝撃で、顔の左側の歯が挫滅(ざめつ)し、全治3か月の重傷。膝は赤ちゃんの頭ほどに腫れ上がり、立つこともできませんでした。
テレビでは「赤信号で渡った」と疑われて
── 当時、大東さんはテレビのバラエティ番組などで多忙を極め、キャリアの絶頂期でした。お仕事への影響も大きかったのでは?
大東さん:1週間後に控えていたCM撮影は白紙になり、レギュラー番組も1つを残してすべて降板に。当時の私は「元気で明るい」イメージでキャスティングしていただいていたので、事故で動けなくなった現実は、タレントとしての存在価値を揺るがす致命傷でした。
「世界中どこでも行きます、何でもやります」というパワフルな行動力こそが私の武器なのに、それができなければ自分には何も残らないのではないか。芸能界は入れ替わりの激しい世界です。鳴かず飛ばずの時期を経て、ようやく仕事がいただけるようになったからこそ、失うのがすごく怖かった。
しかも当時は、独立して自分の会社を立ち上げたばかり。そんななか、事故で強制的に仕事を奪われ、積み上げてきたキャリアが一瞬で消え去っていくような絶望感に襲われました。さらに追い打ちをかけたのが報道による二次被害です。
── どのような報道被害があったのでしょうか。
大東さん:ニュースの事故を再現したCG映像で、私が赤信号を無視して横断したかのように報じられたんです。実際には青信号で渡っていたのに、きちんと取材されないまま映像が作られていて。「間違っています!」と声を挙げたかったけれど、身動きができない状態ではそんな気力すらありませんでした。その後、事故当時、現場にいた方々が証言してくださって疑いは晴れましたが、一度広まってしまったネガティブなイメージは簡単には消えませんでした。
── キャリアが突然断ち切られ、さらに誤報で世間のイメージまで歪められてしまう。精神的にも大きな打撃だったと思います。その後、お仕事はどうなったのでしょうか。
大東さん:すべての仕事がなくなるなかで、唯一続いていたのが地元・名古屋の情報番組でした。プロデューサーが病室まで来て励ましてくれたのですが、「長期間席を空けておくのは難しいんです」と告げられて。その瞬間、「ここを失ったら本当に何も残らない」と思い、「大丈夫です。来週から行けます」と即答したんです。
足はまだ思うように動かず、松葉杖と車椅子での復帰でした。リポーターとして「伝える仕事」への思いが強かったので、この番組だけは絶対に手放したくなくて。けれど、結局、仕事が以前のように戻ることはありませんでした。テレビを見ていて、「あの事故さえなければ、私もあそこにいたかもしれないのに…」と、何度思ったことか。やりきれない気持ちは正直、今でもあります。
杖での生活「日常の大変さ」を知った
── 歩ける状態に戻るまでに、2年ほどかかったそうですね。
大東さん:最初の1年くらいは、足に装具をつけ、杖をついて生活していました。当時まだ小さかった長男の送り迎えもその状態で行っていたんです。 ただ、いざ杖をついて外に出てみると、電車に乗ったり人混みを移動したりするのが本当に怖くて。
後ろから押されたら危ないし、周りの人はスマホを見ている方が多くて、私が杖をついていることに気づいてくれるとは限らない。自分がそういう立場になって初めて、体が不自由な人や高齢の方が、日常の中でどれだけ気を張っているのか実感しました。事故から長い年月が経った今も、体への影響は残っています。左膝は前十字靱帯が外れたままで、痛みが出ると日常生活にも支障があります。いずれ手術を受ける予定です。
── 一瞬の事故が、健康な体だけでなく、当たり前の日常を奪っていく。他人ごとではありませんね。
大東さん:「朝『行ってきます』と元気に出た人が帰ってこない」。誰もそんな未来、想像しませんよね?でも、それが一瞬で起こってしまうのが交通事故なんです。私もはねられた日の朝、NHKのロケに行く前に、子どもに「夕飯、何食べたい?」と聞いて家を出ているんです。帰りに買い物をして帰ろうと思っていたのに、そこからすべてが一変してしまいました。
積み上げてきた仕事も思い描いていた未来も、一瞬でゼロになる。交通事故に遭ってよかったことなんて何ひとつありません。だからこそ、事故をどこか遠い話だと思わずにいてほしいんです。いつもの道を歩くとき、仕事に向かうとき。その当たり前の日常が、次の瞬間にも同じように続くとは限らない。それを身をもって知りました。
取材・文:西尾英子 写真:大東めぐみ

