【鈴木 崇弘】【イラン攻撃の悪夢】日本で止まるのは「コンビニ」「病院」「物流」か…?日本が”正常運転”できなくなる「物資不足」のヤバすぎるシナリオ
「コンドーム値上げ」が意味すること
イラン情勢がいかに生活を直撃するか、本当の意味を日本人はまだ知らないのではないか。ただ、世界では着実にそれを象徴するニュースが飛び交っている。たとえば、こんな話題だ。
「コンドームが値上がりするかもしれない」――。
ブルームバーグ(4月23日)によれば、世界最大のコンドームメーカー、マレーシアのカレックス社が、イラン戦争の長期化による原材料不足や物流混乱を受け、最大30%の値上げを検討しているという。包装材や潤滑剤など、石油由来の化学品コストが急騰しているためだ。
だが、これは決して笑い話ではない。むしろ、日本人が直視すべき危機の入口ともいえる。
コンドームに限らず、食品包装、紙オムツ、医療用点滴バッグ、注射器、タイヤ、住宅設備――私たちの生活を支える製品の多くは、原油からつくられるナフサを原料としている。そのナフサ価格は、イラン情勢の緊迫化以降、急騰している。
原油について、日本政府は備蓄がある、供給に問題はないと説明する。だが現場では、すでに包装材の値上げ、住宅設備の受注停止、資材調達難といった異変が起き始めた。
危機は「ガソリン代が少し上がる」程度の話ではないことは日々、明らかになりつつある。
しかも、この原油高はガソリン代だけでは終わらない。企業の仕入れ価格はすでに上昇し始めており、今後数カ月かけて食品や日用品など身近な商品の値上げが家計を直撃するとの見方が強まっている。
しかも今回の危機は、70年代のオイルショックとは質が違う。世界中に張り巡らされた供給網と、在庫削減を極限まで進めた現代社会において、戦後日本が築いてきた物流、医療、食料供給という社会の土台そのものが、静かに揺れ始めているのである。
実はショックに“弱い”日本の構造
今回の危機を、1973年の石油危機と同列に語るのは危うい。原油価格の高騰という現象は似ていても、日本社会そのものの構造が、当時とはまったく別物になっているからだ。
まず産業構造が違う。1973年当時の日本は、重厚長大型の製造業が経済の中心だった。部品や原材料の供給網も、いまほど国境をまたいで複雑には張り巡らされていない。ところが現在は、世界中に分散した部品・素材・物流網のうえに産業が成り立つ。ひとつの地域で混乱が起きれば、その影響は瞬時に日本国内へ波及する。
在庫の考え方も一変した。かつては家庭にも企業にも、一定の備蓄や余裕があった。ところが現在は、在庫を極限まで削減する「ジャスト・イン・タイム」が経営の常識となった。倉庫に余分な商品を置かず、必要な時に必要な分だけ届ける仕組みである。その結果、ひとつの部品や原料が止まれば、工場全体が止まる脆さも抱え込んだ。
依存の質も違う。1973年は、主として石油そのものの不足が問題だった。だが現在は、石油から派生する化学製品、包装材、医療資材、物流燃料に加え、電力・通信・決済システムまで連動している。原油高は、社会インフラ全体を揺らす複合危機なのである。
情報環境も一変した。当時はテレビや新聞が主な情報源で、情報の流れは比較的限定されていた。いまはSNSが瞬時に不安を拡散し、買い占めや風評被害を増幅させる。危機そのものより、情報パニックの方が早く社会を揺さぶる可能性すらある。
さらに現代社会は、デジタル依存を深めている。キャッシュレス決済、オンライン物流管理、在庫管理システム、クラウド業務――電力や通信が止まれば、商品があっても売れず、運べず、所在すら把握できない。
そして何より、社会の「余白」が失われた。企業の人員、家庭の備蓄、地域コミュニティの助け合い、時間的な余裕。かつて存在したクッションは、この数十年で大きく削られた。効率化の果てに、日本社会は以前より豊かになった一方で、ショックに弱い構造へと変わってしまったのである。
物流停止=社会停止
さらに、1973年と現在には、表面的な共通点もある。日本が中東産原油への依存を抱え、情勢悪化によって価格高騰に見舞われ、生活不安から買い占めやパニックが起きかねない構図だ。そこだけ見れば、「またオイルショックか」と感じる人もいるだろう。
しかし、問題の深さは当時とは比較にならない。
まず、サプライチェーンの複雑性である。1973年の日本は、いまより国内生産の比率が高く、企業も一定の在庫を持っていた。多少の混乱が起きても、国内で踏みとどまる余地があった。ところが現在は、部品・素材・完成品までグローバル分業が進み、企業は在庫を極限まで削っている。海外で一カ所止まれば、日本国内の生産現場まで連鎖的に止まりかねない。現代の方が、はるかに脆弱なのである。
物流依存度も大きく違う。かつては地域内で生産し、地域で消費する比率が相対的に高かった。いまは全国・全世界をまたぐ物流網が前提だ。トラック、船舶、港湾、倉庫のどこかが止まれば、社会全体が機能不全に陥る。「物流停止=社会停止」と言っても誇張ではない。
石油の役割も変質した。1973年には、石油は主に燃料として意識されていた。だが現在は違う。石油はエネルギーであると同時に、包装材、樹脂、医療資材、化学肥料、日用品などを生み出す素材産業の出発点でもある。いわば石油は、現代文明を支えるインフラそのものになっている。
さらにIT依存が加わった。1973年はアナログ社会であり、混乱しても紙と人手で回せる部分が残っていた。いまは物流も金融もデジタル管理である。停電や通信障害が起きれば、モノがあっても運べず、売れず、決済もできない。エネルギー危機が、そのまま二次災害へ転化する時代になったのである。
もっと恐ろしいこと
だが、本当に恐ろしいのは、ここまで見てきた物資不足や値上げそのものではない。
ひとつの欠品が物流を止め、物流の停滞が医療や食料供給を揺らし、その混乱が家計と企業経営を直撃する――現代社会では危機が危機を呼ぶ「連鎖」が始まるのである。
それについては後編『日本はなぜショックに弱い国になったのか…!ホルムズ危機で始まる“連鎖的崩壊”「 効率化40年」の悪夢の代償』で詳しく見ていこう。
