「町が燃えています」ソウル“巨大スラム”が半日で焼け野原に…火災原因は不明→「住民を追い出そうと火が…」渦巻く疑念
〈住民は「この町は韓国の恥部だ」と…「公共の電気ガス水道は行き届かない」ソウル『最後のスラム』で起きた“恐るべき事態”〉から続く
人口の上位1%が富の4分の1を占める韓国。格差社会の象徴とも呼ばれてきた場所がある。タルトンネ=月の町と呼ばれる韓国最大のスラムだ。NHKスペシャル「臨界世界 月の町タルトンネ ソウル最後のスラム」(4月26日夜9時から放送)。経済成長の光と影が交錯する巨大スラムの今を記録するなか、この地で起きた恐るべき事態とは。(寄稿:NHK趙顯豎、NHK有元優喜/全2回の2回目)
【画像】半日にして焼け野原と化したソウル“巨大スラム”の様子
◆ ◆ ◆
「いま、町が燃えています――」
2026年1月16日午前7時14分。東京の自宅の寝室で、浅い眠りの中を行きつ戻りつしていたところ、 ズンチャッチャ、ズンチャッチャ……という、KakaoTalkの軽やかな行進曲風の着信音で目が覚めた。
「はい、もしもし?」
「おはようございます。寝ていましたか?」
ソウル在住のコーディネーターのMさんの声はかすれがかっていて、彼もまた不意の知らせにより、叩き起こされたのだと察した。
「ああ、ええ。どうしましたか?」という寝ぼけた私の頭の中に、さっと不吉な影のようなものが差し、その影がイメージを結ぼうとする寸前で、Mさんは落ち着いた調子で言った。
「タルトンネで火が出ました。いま、町が燃えています――」

タルトンネ(2025年11月撮影) ©NHK
「取り返しのつかないことが起きた」
そう一目でわかった。火災翌日の午前8時30分。タルトンネには、見渡す限り焼け野原が広がっていた。
つい2日前までそこにひしめいていたバラックは灰と化し、消防車からの放水で土と混ぜ返され、吸い込んだ水が零下の夜のうちに凍り付いたせいで、奇体な真っ黒の造形物となって、あちこちに隆起していた。
トタン屋根、納屋のワイヤーネット、自転車のフレームなど、金属の物体は、ひしゃげ、ひん曲がった形で、黒い斜面に突き刺さっていた。 まだ所々に煙がくすぶっていて、プラスチックが溶けたツンとした匂いが鼻を刺した。
消防の発表によれば、1月16日早朝5時、空き家から上った火はまたたく間に燃え広がったという。消防隊員300名、消防車80台以上が出動し鎮火にあたったが、火は8時間にわたってバラックを焼き続けた。狭い路地に、簡易な木材やビニル・ウレタンなど燃えやすい素材の住居が密集していたことが、火災の規模を拡大させた要因だという。幸いにも死者は出なかったが、町に残る193世帯の3分の2にあたる129世帯の住居が全焼した。半日にして、町の中心部がまるごと焼失してしまったのである。
ためらいながら、焼け跡に足を踏み入れると、焼け残った住民の家財があちこちに散らばっている。味噌甕、公務員試験の参考書、古いグラビア雑誌、エメラルド色の焼酎瓶、子供用の手帳……。
「あぁ、見つけたぞ!」
遠くでうずくまり何かを探していた老いた男女の一群から、甲高い声があがった。
指輪かコインか、何かしらの財産を見つけたらしかった。
私たちの場所からは、彼らが笑っているのか、泣いているのか、わからなかった。
「住民を追い出そうと火がつけられた」と…
火災翌日、午前9時。タルトンネには、火災前とは明らかに異なる、殺伐とした空気が漂い始めていた。 町の広場にはビニールテントの退避所が設けられ、被災者たちが集い始めていた。
「いったい、どうするのよ!」
「このまま焼け出されておしまいなの!?」
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
「どうにかして、この町に残る術を探さないと!」
怒号や叫喚が飛び交っていた。
「取り返しのつかないこと」――つまりこの火災が、再開発を進める開発公社にも、立ち退きを拒む住民たちにも、決定的な影響をもたらすことは目に見えていた。全焼した129世帯に居住していた住民には、行政から臨時的な避難場所としてホテルが提供された。避難生活はいわば、彼らに与えられた一種の「猶予」だった。ホテル滞在の支援が終わる前に、次の行き先を決めねばならない。タルトンネには、帰る家がない。残る選択肢は、開発公社が臨時移住先として提供する賃貸住宅への移住のみ。これは、実質的な「立ち退き」を意味した。
社会で最も富める者を見上げ暮らしてきた住民のうちに、長年、澱のように溜まってきた情念が、火災を機に噴き出そうとしていた。住民たちは口々に、あることを語り始める。
「この火災は、仕組まれたんだ」
「退去しない住民を追い出そうと、火がつけられた」
「故意に火災を起こした開発公社とソウル市は責任を取れ!」
消防の調査により、火災の原因が不明とされたことが、「陰謀論」の広がりに拍車をかけたのだろう。開発公社は「ありえないことだ」と否定した。
焼け跡にテントを建てることで、タルトンネに留まり続けようと…
なし崩しに立ち退きが進むことを危惧する被災者の一部が、火災現場へと引き返し始めた。
彼らは、人生の痕跡である焼け跡にテントを建てることで、タルトンネに留まり続けようというのだ。
この壮絶な光景は番組の映像をご覧いただきたいが、開発公社との正面衝突は、避けられないものになろうとしていた。
「再開発によって消えゆくスラムの最後を記録する」――それが、この番組の、単純明快な趣旨であるはずだった。だが、今や私たちはタルトンネが、どこへ向かっているのか、そしてこの番組が何を記録しようとしているのか、わからなかった。少なくとも、事前に「わかっていたはずのこと」がわからなくなっていた。
都市から流れてくるゴミを拾ってタルトンネが成り立っている
火災翌日の午前10時。退避所で被災者たちの喧騒が続く中、火災現場にひとりの男の姿があった。
タルトンネで廃品を拾い集めて暮らす、キム・ファングク(65歳)だった。
「おい、見ろよ! さっぱりしていい眺めだろ!」
彼は、30年近く暮らしたタルトンネの焼け焦げた遺物を拾い始めていた。
私たちは、火災の前から、廃品を集めるキム・ファングクの姿を記録してきた。
「廃品を拾うこと」。
それは、タルトンネという土地に深く組み込まれた〈経済〉そのものだ。
取材を始めた当時、まず私たちの目を引いたのは、この町自体が、カンナム、いやソウルという都市の巨大なゴミの集積所となっていることだった。
町には日夜、都市で消費された大量の廃棄物が、トラック一杯に積まれ運ばれてくる。
ウイスキーの空瓶、ロードバイク、給湯器、PCの回路基板……。
住民たちもまた、都市から流れてくるゴミを拾い集め、解体し、都市の回収業者へと売りに出る。
あたかもタルトンネという土地自身が、都市が不要とみなした物を通じて「その日暮らし」をしているかのようだった。
火災後のタルトンネに来て2時間あまり、 私たちは何を記録しようとしているのかわからず戸惑っていた。
ただ、せわしなく、体を揺すって焼け跡から廃品を集めるキム・ファングクの背を追いながら、強い感情が沸き起こるのを感じた。
何かはわからないが、何かが終わろうとしている。したがって、私たちは「いま、ここ」を記録する必要がある、と。
◆NHKスペシャル「臨界世界 月の町タルトンネ ソウル最後のスラム」
2026年4月26日(日)夜9時放送。「NHK ONE」で、5月3日(日)まで見逃し配信予定
https://www.web.nhk/tv/pl/schedule-tep-g1-130-20260426/ep/XWRZR7997X
(趙 顯豎,有元 優喜)
