「研ナオコを男にしてやってください」…大ヒット曲「愚図」を生んだ“芸能界の超大物”からの後押し 「この子なら女版“堺正章”になれると売り出してもらったわけ」
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第65回は、歌手だけでなくマルチタレントとして大活躍の研ナオコさん。長く芸能界の第一線で活躍し続ける源流はどこにあるのか、とっておきのエピソードです。
「まっ、いっか」
2017年、研ナオコ(72)にお願いした連載のタイトルは「まっ、いっかで45年」だった。いかにも彼女らしい言い回しと、今でも思うが、こんなエピソードがタイトルの元になった。

〈昭和46年にデビューして1年ほど地方回りをした頃、マネージャーから「こんなことをしてても売れない。私、やめるからアンタもやめない?」って言われ、事務所をやめちゃった。ところが、やめた後にマネージャーと連絡がつかなくなって、「あれ、だまされた!?」と思ったけど、「ま、いっか」と〉
飾らず、こだわらず、サバサバしていて自然体な研ナオコらしい言葉なので、話を聞いているそばから「これしかない」と思ったように記憶している。
ところで、事務所をやめてどうなったのか――。
〈見出してくれたのが事務所(田辺エージェンシー)の田辺昭知社長です。田辺社長は昭和40年代に活躍したグループサウンズ「ザ・スパイダース」の元リーダー。私がデビュー前に事務所を立ち上げていたんです〉。
田辺社長といえば、誰もが知る芸能界の実力者。おいそれと名前を出すことなどできないが、研ナオコ流に、業界の超大物の名前をさらりと口にした。
その“見出された経緯”だが、事務所をやめた彼女は、有楽町で行われたオーディション会場をウロウロしていていた。その時、自分をじっと見ている人が2人いた。そのうちの一人が田辺社長で、3、4カ月してからレコード会社に呼ばれた。何だろうと思って出かけたのだが、「今日から田辺さんが面倒をみてくれるから」と言われ、さすがに「あの田辺さんが!?」とビックリ。
宝塚出身の女優やモデルに交じって研ナオコの写真があり、「こいつが面白そうだ」と選んでくれたのだとか。その時の田辺社長の本音について、人づてに聞いた話として、研はこう明かしてくれた。
田辺社長は「できあがった子はいらない。作っていきたい」と考えていたという。それは“磨けば光る原石を見つけたい”という、月並みな話ではなく、オーディション会場で研ナオコを見て、一目で類まれなタレント性とスター性を見抜いたのに違いない。その眼力たるや、さすがは田辺社長である。
連載から6年後の2023年。研は著書『70歳、すっぴん人生』(Gakken)を上梓したのだが、この時も日刊ゲンダイで、著書の取材を担当したライター・藤井優の構成による「スッピンでしゃべります」という連載をやっている。
この連載でも10回くらい、田辺社長の名前が出てくる。これほどの大物の名前を自然体で語ることができるタレントは、やはり研ナオコをおいて他にいない。極めつけは同連載のラストで記したエピソード。
〈最終回にふさわしい方、といえばこの人しかいません。田辺昭知さんです…アタシがここまでやれたのも、この方のおかげと言っても過言ではありません〉
〈この子なら女版「堺正章」になれる…気がついたら田辺エージェンシーのタレント第一号として売り出してもらったわけ〉
「研ナオコを男にして」
歌手として売り出した際の、鉄板ネタがある。最初にヒットしたのは「愚図」(75年)だが、この時のエピソードが面白い。楽曲を提供したのは作詞が阿木燿子、作曲が宇崎竜童。夫妻が初めて他の人に提供した曲だった。田辺社長が夫妻に頼んだ時に、
〈「研ナオコを男にしてやってください」と言ったとか言わないとか〉(「スッピンでしゃべります」から)。
2度の連載ではデビュー前からの付き合いの野口五郎を始め、堺正章、梅沢冨美男、美川憲一、明石家さんま、志村けん、アルフィー、樹木希林、とんねるずら、錚々たるスターとの交遊が明かされた。それもざっくばらんな語り口で。
興味深いのは研ナオコがどんな生い立ちでどんな教育を受けて、芸能界を駆け上がったのか、だ。
静岡・天城湯ケ島で育った。本人曰く、「伊豆の山奥」。父親はトラックのドライバーでその合間に、兄も一緒に母親の畑仕事を手伝っていた。子供の頃の彼女の役割は両親が外で仕事をしているので、家事をすることと、祖母の面倒を見ることだった。祖母は寝たきりで、床ずれした時に薬を塗ってあげる優しい子だった。
友だちと遊ぶより一人でいるのが好きで、「遊ぼう」と誘われると「いな〜い」と返事したという。みんなと同じことをするのも嫌いで、幼稚園のお昼寝の時間では「眠くもないのに昼寝なんかできない」と一人で遊んでいたとか。いかにもといったエピソードの数々。
「自分は自分、人は人」
前掲の『70歳、すっぴん人生』から自身についてどんな人間か語っている部分を拾ってみる。
〈常に「自分は自分。人は人」という考えがいつも根っこにあった〉
〈アタシは昔から不完全〉
〈人のためじゃなければアタシは頑張れないのね。自分のことなんかテキトー、いい加減なものですよ〉
〈今まで生きてきた自分の人生を否定しない。頑張ってきたそれまでの自分がかわいそう〉
タイトルにもしている「すっぴん」については〈中途半端が嫌い。休みの時はほとんどすっぴん。メイクするとスイッチが入るから仕事中はビシッと〉とメリハリをつけている。そしてスッピンが注目され、メイクする動画をYouTubeで流したら600万回再生されたという(当時)。
肩の力が抜けていて本当にユニークな女性(ひと)だ。
峯田淳/コラムニスト
デイリー新潮編集部
