「自分の気持ちに嘘をつくな」ヒールターンした上谷沙弥が伝えたい、本当の自分でいることの大切さ
「もしかして、ここが自分の居場所なのかも」という直感だけを頼りに飛び込んだプロレスの世界。しかし、その後の道は決して順風満帆ではありませんでした。
理想を追うほど苦しくなり、怪我で長期欠場を経験し、ヒールターンを決断したときには批判が殺到しました。それでも彼女は、自分を曲げませんでした。
後編では、上谷沙弥さんが「本当の自分」を手に入れるまでの道のりを語ってもらいました。
前編: 「全然やりたくない」から始まったプロレス人生。ヒールレスラー上谷沙弥が語るアイドル時代の挫折と転機
理想に近づくほど苦しくなっていった
――気づいたら練習生になっていましたが、実際にプロレス界に入ってみてどうでしたか?
練習はハードだったけど、もともとダンスをしていたから体力には自信があったし、運動神経もいいほうだったから、順調に技術を習得できたよ。努力した分だけ成長している実感もあって、少しずつ楽しくなっていった。
「フェニックス・スプラッシュ」という難易度の高い技を習得できたときは嬉しかった。私以外にこの技を使う女子選手がいなかったから、「上谷すごい!」って言ってもらえたんだ。
――予想外に、順調に結果が出ていたんですね。
そうだね。空中技を武器にしてから試合に勝てるようになって、デビューから2年目の2021年12月には、白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座、スターダムの主要タイトルのひとつ)を取ることができた。
でも、「上谷すごい!」と褒められるほど、「もっと期待に応えなきゃ、もっと盛り上げなきゃ」という気持ちが大きくなっていって、「更にみんなが驚くような凄いことをやらなきゃ」と、自分で自分を追い込んでしまったんだ。
理想のプロレスラーに近づいているのに、どんどん苦しくなっていく。そんな日々が続いたんだよね。
――自分を追い込んでいくなかで、変わろうと思ったきっかけは?
試合中に空中技で相手選手にケガをさせてしまったことと、高台からプランチャーを飛んだ際に左ヒジを脱臼し、靱帯損傷で4ヶ月欠場したことかな。その間は、じっくり自分と向き合う時間になったよ。この時は答えは出なかったけど、「このままじゃダメだ」「変わらなきゃ」という気持ちが芽生えたんだ。
――欠場から復帰して、何か変わりましたか?
海外遠征でアメリカのフィラデルフィアに行ったときに、WWE(アメリカのプロレス団体ワールド・レスリング・エンターテインメント)のリア・リプリー選手(強いフィジカルと粘り強さを持つ、同団体の女子世界王者)を知ったんだよね。強くて綺麗で品があるヒールレスラーで、 それまで持っていたヒールのイメージが見事に打ち砕かれた 。
それに、はじめて他団体(プロレスリングWAVE)との試合を経験して、コミカルなプロレスに「こんなプロレスもあるんだ」と驚いて。そうやって新しいものに触れるなかで、「変わらなきゃ」という気持ちが、ますます確信に変わっていったんだよね。
弱い自分とサヨナラするために真逆の自分に
――ケガの前から少しずつ積み重なっていた「変わらなきゃ」という気持ちが、ヒールターンにつながっていったんですね。
あのころの私は、まわりの言動で気持ちがグラつきやすくて、自分の芯みたいなものがなくて、そんな自分が嫌いだった。そういう弱さは、いろんな場面で顔を出してきたんだよね。
たとえば、気持ちが追いつかなくて、トイレでこっそり泣いたり、サイン会でファンの方から嫌なことを言われてギャン泣きしたり(苦笑)。
ベビーフェイスのユニットでヒールユニットと戦ったときは、対戦相手に契約書を改ざんされる罠にはめられて、最終的に私以外のメンバーがユニットを去ることになって……。試合後、一人で号泣しながらバックステージに戻った。あの日は本当に「プロレス人生で一番絶望的な日」だった。
――その後、どうされたんですか?
一人でチームを守ろうと踏ん張っていたよ。強制脱退させられた仲間のぶんまで頑張らなきゃって思ったんだ。あのときは、「ベビーフェイスだから、いい子でいなきゃいけない」と思っていたし、そのイメージを守るために普段の発言にも気をつけていた。
でも、本当の私は感受性が強くて、自分の気持ちに嘘がつけないタイプ。いい子を演じるために思ったことを言えない状態が続いて、どんどん苦しくなっていったんだ。
それに、当時は素の自分のままリングに上がっているような感覚で、試合中に弱い自分がチラつくこともあった。そういったことが積み重なって、 「弱い自分とサヨナラしたい」 という気持ちが爆発して、2024年7月29日に、ヒールターンした。
――実際にヒールに転向して、まわりの反応はどうでしたか?
「向いてない」「絶対に無理だ」という声が多かったね。昔から「上谷はメンタルが弱い」と言われることもあったから、この反応は覚悟していたよ。
あと、ヒールターンした日に、それまでのInstagramの投稿を全部削除して、アイコンも黒く塗り替えて、「終わりは始まり」と投稿したら、何百件もの批判コメントが殺到した。
でも、自分でヒールターンをすると決めたから、誰に何を言われても気持ちは揺らがなかったよ。
<Instagram @saya_h.a.t.e)>
「嫌われていい」と思ったら、自分に素直になれた
――ヒールに転向して、自分のなかで何か変わりましたか?
それまでできなかった自由な発言や行動が、できるようになった。ヒールは嫌われるのが当たり前だから、いい子を演じなくてよくなったんだよね。自分に嘘をつかずに、言いたいことを言うようにしたら、マイクパフォーマンスにも感情が乗るようになったんだ。
――ビジネスパーソンも、言いたいことを言えなくて苦しいシーンがあります。でも、会社員にはヒールターンがないので、ちょっと羨ましいというか……。
確かに!(笑)でも、してほしい。意識を変えることはできると思う。 「嫌われてもいい」と腹をくくるだけで、自分に素直になれる 。私がそうだったから。やっぱり、言わないで溜めこんでいると、相手がつけあがっていくよね。「この人には何言っても大丈夫」と思われたら損。逆に、「この人言い返してくるな」くらいに思わせたら勝ちだと思うよ。
――その意識の変化が、赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座、スターダムの最高峰タイトル)獲得にもつながっていったんでしょうか?
そうだと思う。ヒールターンしてから、自分らしいプロレスができるようになったから。当時、赤いベルトを保持していた中野たむ選手とは、もともと師匠と弟子のような関係だった。でも、私がヒールになったことで関係がこじれてしまい、だまし打ちで赤いベルトを奪ったんだよね。そこからお互いにヒートアップしていって、去年の4月に敗者引退マッチにまで発展した。
――「負けたほうが引退」というルールですよね。よく踏み切れましたね。
私も、「とんでもないことになったな」って思ったよ(笑)。でも、お互いに引けない状態になっていたんだよね。二人ともプロレスに自身の全てをかけて戦っていたから、あそこまでヒートアップしてしまったんだと思う。
引退をかけたときに初めて、プロレスが自分にとってこんなに大切なものだったんだって気づいた。 あの試合で「プロレスは私の人生だ」って、本当の意味で覚悟が決まったんだよね 。
女性ファンが会場に来るようになった
――それくらいのころから、プロレスの外でも注目されるようになりましたよね。
今の女子プロレスは、まだまだ世間に知られていないと思っていて、だからこそプロレス以外でも結果を出したいと思ってたんだ。だから、赤いベルトを巻いて団体の顔になったときに、「自分が動かなきゃ」という意識が強くなったんだよね。
そのタイミングで、『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系列)に出演することになって。300mを走り、最下位が脱落していく「女子300m走サバイバル」という企画。準決勝まで勝ち進んだけど、そこで敗退して号泣してしまった。
番組中に泣いてしまったのは本当に辛くて、悔しかったから。でも、結果的にそれが反響につながったから、ありのままの姿が伝わったんだと思う。
――バラエティではリング上と全然キャラが違いますよね。どちらが本当の上谷さんなんですか?
よく聞かれるけど、どっちも本物だよ(笑)。バラエティには、普段の自分で出ているし、芸人さんたちみたいに上手に話せるわけではないから、ありのままでいるようにしているよ。
リングでは絶対に負けたくないし、リング上で一番輝きたいと思いながら上がってる。でも、相手選手も輝かせた上で勝つほうが難しいし、かっこいいと思っているから、いつもそこを意識してる。
――そんなありのままの姿が、プロレスを知らなかった人たちにも届いているようですね。
そうだね。バラエティに出るようになってから、女性のお客さんや家族連れが増えたんだ。メイクを真似してくれる方もいるし、「使っているカラコンやコスメはどこのですか?」といった質問も増えたよ。
最近、嬉しかったのは、小さな子どもが「将来プロレスラーになりたいです」と言いに来てくれたこと。自分の存在が誰かの人生の選択に影響しているんだって実感したよ。すごく嬉しい半面、気を引き締めなきゃとも思っているよ。
過去は全部、いまに繋がっていた
――今の活躍の背景には、アイドル時代の経験も生きているんでしょうか?
生きているよ。アイドルをやっていたからリング上での振る舞い方が違うと思うし、演技のレッスンはマイクパフォーマンスに繋がっている。 当時はうまくいかなくてムダだと思っていたけど、そのすべてが今の私を作っているんだ 。
欠場中も、自伝を書いていたときも、「あのころの経験があったから今がある」と感じる場面が何度もあった。どんなにうまくいかない時期も、後から振り返れば必ず意味があったとわかる日が来ると思うよ。
――最後に、今キャリアに迷っている読者へメッセージをお願いします。
自分の気持ちに正直でいてほしい。まわりに流されて、言いたいことを我慢してしまうことってあると思う。でも、自分の人生の責任を取ってくれるのは自分だけ。自分の気持ちに嘘をついたまま進んでも、どこかで苦しくなってしまう。
だから、 自分を信じて、自分の気持ちで決断してね。頑張っていれば、必ず誰かが見ていてくれているよ 。私がそうだったから。
4月26日、横浜アリーナ「ALL STAR GRAND QUEENDOM 2026」へ向けて
去年、たむ選手との敗者引退マッチで戦った横浜アリーナで、今度は玖麗さやか選手のワールド王座への挑戦を受けるよ。私は赤いベルトをかける。向こうは自分が所属するユニット・COSMIC ANGELSの存続をかけてくる。それだけの覚悟を見せてくるなら、こっちはそれ以上の悪夢を見せてやるだけ。V10、絶対に防衛してやる!
前編: 「全然やりたくない」から始まったプロレス人生。ヒールレスラー上谷沙弥が語るアイドル時代の挫折と転機
プロフィール
EXILEサポートダンサーやバイトAKBなどで活動後、2019年にプロレスデビュー。抜群の運動神経で注目を集め、2019年度の新人王を獲得。2020年2月16日の新木場1St RING大会で林下詩美の勧誘を受けQueen’s Questに加入。2021年のシンデレラ・トーナメントで初優勝を飾ると、同年12月29日の両国国技館大会で中野たむを破りワンダー王座を初戴冠。2024年6月に”1人QQ”となってしまうが、7月28日札幌大会で突如H.A.T.E.に加入。同年12月29日の両国国技館大会で中野たむを下しワールド王座を初戴冠した。2026年2月に初の自伝『アイドルで落ちこぼれだった私がプロレス界のセンターに立った話』(KADOKAWA)を発売。
X(旧Twitter) @saya_h_a_t_e Instagram @saya_h.a.t.e「ALL STAR GRAND QUEENDOM 2026」
2026年4月26日(日) 神奈川・横浜アリーナ
詳細:https://wwr-stardom.com/queendom2026/
取材・文:安倍川モチ子
撮影:ナカイマホ
編集:内藤瑠那
