かつてホルムズ海峡に派遣された海上自衛隊「緊迫の任務」…「敵に襲われても反撃できず、衝突しそうな距離に船が…」

写真拡大 (全6枚)

日本人も無関係ではいられない中東情勢

中東情勢……いや世界はどえらいことに巻き込まれたやないか。ここは我ら日本人もそろそろハラくくる時が来たんちゃうか。高市早苗首相をリーダーに選んだまでは良かったが、早速このザマや。そりゃあ、アメリカが始めた戦争とはいえや、日本人も無関係やとは、とても言えん。

日本のエネルギー自給率はたった13パーセント、原油に至っては99.8パー、つまりほぼぜーんぶ輸入。そのうちの9割がここ中東からや。原発の再稼働すらままならん今や、この紛争が長引き、ガソリンの値段が上がり続け、あげく備蓄燃料も底をつけば、日本は確実に「死ぬ」のである。その点が産油国でもあるアメリカと大違いなのである。ここはトランプ大統領からケツ叩かれるまでもなく、日本人も安心安全な暮らしと財産を守るためにも行動をおこすべきやろう。

つい先月沖縄はじめ南西諸島で実施された「アイアン・フィスト(鉄拳)26作戦」と銘打たれた日米共同訓練で自衛隊と共に訓練に参加した佐世保基地を母港とした強襲揚陸艦「トリポリ」は、これまた本訓練で陸上自衛隊のカウンターパートとなった米海兵隊第31海兵遠征部隊は約2500人を乗せてすでに中東某海域に到着、トランプ大統領の命令あらば、直ちに、カーグ島に強襲上陸かけれるよう待機中なのである。「トリポリ」の母港は佐世保やぞ。第31海兵遠征部隊は沖縄から出陣しとんのやで。今更日本だけ無関係とかいかんやろ。

それに、イランから遠く離れた日本から「戦争ハンタイ」やの「話し合いで平和を」となんぞ吠えても、そんな声はイランにも中東にも届かんぞ。ことは平和ボケした日本人なんかが想像もつかんほど、この争いは根が深いうえに複雑や。まさに聖書の時代から中東は争いが続いてるのである。コーランも旧約聖書も読んだことない日本人が気安く善悪を説くもんやないで。

日本は「小切手外交」と批判された過去も

さて先日「侍ジャパン」が敗北した相手ベネズエラもそやが、産油国の首都にまで少数とはいえ米軍特殊部隊に侵攻され交戦のあげく国家元首夫妻まで拉致されても、独裁政権の崩壊を歓迎する国民の方が多いのである。イランもや。最高指導者と称するハメネイ師まで空爆で殺害され、軍事施設から石油関連施設まで破壊されても国民の多くが現政権の崩壊を願うとるのである。それほど「神の名の下(もと)に」やりたい放題の革命防衛隊と称するテロ支援組織や女性のファッションにまで口挟み、それを理由に逮捕どころか拷問死まで追い込んだ「宗教警察」の横暴に怒り心頭、せやからイラン全土で反政府デモがくりひろげられとるんやろ。

在日イラン人始めイラン国外のイラン人に至っては、滞在国で「トランプ大統領がんばれ」というスローガンのもとのアメリカ激励デモまで起こっとるのである。なあ、分かってきたあ? 「憲法守れ」やの「友愛」やのを叫ぶだけで、イランが核開発止めてくれるわけもなく、1200人の民間人が殺されたイスラエルが戦闘止めてくれるはずもないのである。

それとも、日本だけ国際社会との連帯ムシしてイランと密約して日本のタンカーだけホルムズ海峡通してもらう交渉するぅ? あの宗教原理主義者が異教徒の日本人とまともな交渉に応じるわけないやろ。

日本人はもう忘れたのか?

1990年サダム・フセイン率いるイラク軍が突如クウェートに侵攻して勃発した湾岸戦争ではエネルギーのほとんどをこの湾岸諸国に頼りながら、我が国は多国籍軍に参加することなく、130億ドルものゼニだけ差し出して、国際社会から「小切手外交」とばかにされたのを、お忘れか? ワシは忘れてないで。当時の政権与党の自民党幹事長は後のリッケン民主党の小沢一郎前センセイやった。

翌年、ペルシャ湾に自衛隊を派遣

湾岸戦争停戦後のその翌年、日本はそんな国際社会から浴びせられた白い目に耐えられず、現在は戦場と化したペルシャ湾に35年前の1991年当時、6隻の艦艇からなる実動部隊の艦隊を派遣したのである。サダムフセインがペルシャ湾にばらまいたどれだけあるかも分からん機雷を発見、処分するという掃海戦を展開するためにである。

オペレーション・ネーム(作戦名)も「ガルフ・ドーン(湾岸の夜明け)作戦」と銘打って。不肖・宮嶋もこの戦後初の実動部隊の海外派遣にも同乗取材を敢行し、これは不肖・宮嶋にとっても初の自衛隊長期密着同行取材となった。当時三十路(みそじ)に届いたばっかの不肖・宮嶋は掃海部隊に同乗し、機雷ウヨウヨ危険極まりないペルシャ湾でクウェート沿岸で燃え盛る油田の煤煙の漂う灼熱の甲板上で、部隊とともに汗と冷や汗をかいてきた。

今の若い視聴者の皆様は信じられんやろうが、当時は初の実動部隊による海外派遣ということで派遣有無自体を巡っても世論は二分し、国会では当時から野党のセンセイ方がヒステリックにハンタイを叫び、審議を長引かせては、翌年の同じく陸上部隊のカンボジア派遣のためのPKO(国連平和維持活動)協力法案めぐっては当時も懲りもせず「牛歩」までやり、世界に恥をさらしてでもハンタイしとったのである。

そんな国民注視のプレッシャーも跳ね返し、部隊は早朝から34度を超える灼熱地獄のなか、安全のためライフ・ジャケットと防弾ヘルメットを脱ぐことも許されず、文字通り、板子1枚下は地獄の海域で日本のいや油を必要とする世界中の人々のため、安全な航路を確保すべく、献身的な活動を続けてきたのも目の当たりにしてきた。

しかし、国際社会から感謝されたそんな掃海部隊の活躍の前後には国辱的ともいえる外交政策の失態があったのである。ペルシャ湾派遣前は地に落ちていた日本の国際社会からの評価を派遣部隊は見事復活させたのにもかかわらず、その後もまた再び我が国の評価を地に落とすことをやってもうたのである。

「テロ特措法」を制定し、支援を強化

ガルフ・ドーン作戦から10年後の2001年9月11日、世界中を恐怖と不安に陥れたアメリカ同時多発テロ事件。その直後に始まった、アフガニスタンでのテロ掃討作戦「不屈の自由作戦」にも、湾岸戦争での「小切手外交」への批判の教訓から、日本も本作戦を支援すべく、翌10月にはテロ対策特別措置法略して「テロ特措法」を制定させた。

この「テロ特措法」に基づいて、海上自衛隊が補給艦や護衛艦で編成された実動部隊をここペルシャ湾やインド洋に、航空自衛隊は日本国内やグアム島などにC-130輸送機を派遣し、「不屈の自由作戦」に参加する米軍はじめ多国籍軍の艦艇に洋上補給や人員輸送などの活動を続け、各国海軍から頼りにされ、かつ感謝されてたのである。

何を見てきたように……って、眉を顰められた方、ワシは自他ともに認める報道カメラマンや。第一次インド洋派遣部隊が日本各地から出港するときから、帰港するまで、さらに派遣直後は叶わなかったが、2004年3月、ペルシャ湾某所や今やイラン革命防衛隊により実質封鎖されているホルムズ海峡で派遣部隊に合流後、しばらく艦隊に同乗、「Arabian Knights(アラビアの騎士)作戦」と銘打たれた給油任務に同行することを皮切りに3度も現地取材に及んだのである。

インド洋もペルシャ湾も年がら年中灼熱地獄、さらに幅33kmしかないホルムズ海峡は当時も「タンカー銀座」で手の届きそうなとこにでっかいタンカーがうようよなのである。そんなとこを縫うように護衛艦を操艦せなあかんのである。海峡通過時だけやない。もっとも緊張するのは。RAS(Replenishment at Sea)洋上給油である。

速度とコースを全く同じに保ち、日本の補給艦と多い時には両側計3隻が航行しながら蛇管をつなげたまま給油給水を続けるのである。普段から訓練を続ける自衛艦や共同訓練してる米軍だけやない。「不屈の自由作戦」に参加している多国籍海軍とも、ちょっとでも息が合わなければ衝突、大事故である。さらに何時間にもわたる洋上給油中は艦内も含め、火気厳禁、つまり敵に襲われてもいっさい反撃できんどころか武器が一切使用できんのである。ペルシャ湾からインド洋まで敵はアフガン山岳地帯奥地に潜むアルカイーダだけやない。それを支持する狂信者を仰ぐテロ組織が洋上にも現れるのである。

現に米海軍の駆逐艦「コール」はインド洋に面したアデン湾に停泊中、アルカイーダ メンバーの操る小型ボートの自爆攻撃で艦体が大破させられたばかりか、19名の米軍乗員が死亡、39名が負傷したのである。こんなんを洋上でしかも3隻連なってるときに食らおうもんなら給油中の燃料に引火、大惨事である。したがって給油中は艦隊の周囲を護衛艦と艦載ヘリが周囲を警戒し接近してくるLSF(Low and Slow Flyer セスナのような小型航空機)や小型ボートにまで一瞬たりとも目を休めれんのである。

野党の反対で派遣部隊は一時、撤収

こんなにも国際社会に献身的でプロフェッショナルで緊張に襲われる任務をつづけながらそれに理解を示してくれるどころかハンタイまでしよるのである。他ならぬ同じ日本人の政治家が。

かくしてインド洋での任務がつづいて6年目を迎えた2007年、参議院選挙で自公与党が大敗、与党が過半数を占めていた衆議院に対し、参議院は鳩山由紀夫氏が代表を率いた民主党はじめ野党が過半数を獲得、いわゆるねじれ現象のため、結局、野党のハンタイにより、国会会期中に時限立法だったテロ特措法の11月1日だった期限延長が決議できず、失効してしもうたのである。これにより派遣部隊は現場海域で活動する法的根拠を失い、インド洋から撤収を余儀なくされたのである。

しかし翌年1月、福田康夫政権は新テロ特措法ともいえる特措法を新たに制定、日本は3カ月の空白期間ののち、ふたたび部隊を派遣させることになった。こうやって自衛隊は同じ日本人の政治家により、まさに「政争の具」にされたのである。これが国益のため、またテロとの戦いに臨む同じ日本人でもある自衛隊員に対する政治家の仕打ちなのである。

不肖・宮嶋、こんな期限切れで、最後の補給活動を担った部隊や、活動再開となった新たな任務部隊の出港から帰国から、現地インド洋まで再び駆けつけ取材を続けたのである。

撤収の瞬間、乗員たちの表情は…

思い出したくもないが、テロ特措法が期限を迎える2007年11月1日、当時の自衛隊最高指揮官は福田康夫首相、その下には石破茂防衛相である。

不肖・宮嶋もその瞬間をインド洋上で派遣部隊ともに迎えた。

2001年のテロ特措法成立以降、この日まで日本は延べ59隻の護衛艦と補給艦をインド洋やペルシャ湾に派遣、全11か国の海軍艦艇に計794回、約49万リットルの燃料を給油しそのRAS(洋上給油)技術と献身的な活動は被給油艦艇からもおおいに評価、感謝もされてきたものの、それが、野党のハンタイにより派遣部隊は作戦を終え、直ちに帰国する命令を下されたのである。その命令が内地の石破防衛相の映像を通じ、現地部隊に達せられた。

それは作戦を共に戦っていた戦友ともいえる多国籍軍部隊を残し、自分らだけさきに帰っておいでぇ……と、まるで義理も人情も友情、信頼さえも解しない非情なもんである。野党第1党の鳩山由紀夫民主党代表のスローガンは「友愛」だったにもかかわらずである。

海上自衛隊給油活動部隊は一国単独でのしかも真っ先での戦線離脱は「敵前逃亡」ともとられ、「卑怯者」の誹りも受けかねず、断じて受け入れ難かったのは想像に難くなかったが、そこは近代海軍である海上自衛隊である。選挙という正当な民主的方法で国民から選ばれた国会議員が国会で下した決議である。従わざるをえない。

言いたいことをぐっと飲み込み「卑怯者」の誹りを受けようと、そんな命令にも淡々と従わざるを得なかったのである。しかし、ともに戦った仲間を残し、任務途中で早期に戦線離脱することがどれほど海の男たちの誇りを傷つけたことかその無念さは察して余りあった。

日本時間2007年11月1日2400(フタヨンマルマル)時、インド洋時間1900(ヒトキュウマルマル)時、インド洋上、補給艦「ときわ」艦橋で艦内マイクを握った当時の派遣部隊指揮官、尾島義貴1等海佐は部隊にたんたんと、こう命令を下した。「只今をもって派遣部隊は任務を終了する。本艦の航跡(こうせき)は消えても、我々の功績(こうせき)は消えることはない。本艦は只今から祖国に向かって進路をとる」と。

日も落ち、静まり返った全艦内に届いた指揮官の命令に嗚咽する者こそいなかったが、乗員皆の表情には深い落胆と無念の表情がにじみ出ていた。

高市首相は覚悟を見せるのか

この35年間、不肖宮嶋が従軍したのは「ガルフ・ドーン作戦」や「アラビアン・ナイツ作戦」だけやない。世界一の猛暑と恐れられるアフリカ、ジブチの海上自衛隊活動拠点にも3度訪れ、アデン湾での海賊退治に周辺海域の情報収集活動に従事する航空部隊や水上部隊にも同行してきたのである。また今回、イラン革命防衛隊の標的にされたバーレーンの多国籍軍統合司令部にも2度取材に訪れていたのである。コソボ、ユーゴスラビア、ルワンダ、イラク、最近もウクライナと実弾飛び交う紛争地のほとんどにも出かけた。

しかし、インド洋派遣部隊が派遣されていた8年間だけでも最高指揮官である首相は小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と5人。防衛相に至っては久間章生、小池百合子、高村正彦、石破茂、林芳正、浜田靖一、北澤俊美と7人も変わっている。その間自公政権から民主党へと政権交代までおこったのである。

それ以前から以降も変わってないのは憲法と、そして世界から1秒たりとも紛争が無くならなかったという事実くらいである。

確かにアメリカがベネズエラやイランで行った軍事作戦は厳密に言うたら「国際条約違反」やろ。そんなんワシでも分かる。それよりドバイ国際空港から民間のタンカーにも無差別にミサイルやドローンを降らせるわ、オマーンと挟んだ国際海峡でもあるホルムズ海峡を勝手に封鎖するんも「国際法違反」やろ。とっくに機能不全に陥った国連の定めた国際法に今やなんの効力があると言うんやあ?

日本が再びいや三度「卑怯者」やの「裏切者」のそしりを受け馬鹿にされるのか、それとも覚悟を示し高市首相が求める「強い日本」となるか、いまが正念場である。

【もっと読む】海上自衛隊の護衛艦「かが」がついに空母化に成功…日本の自衛艦の「止まらぬ進化」に中国が抱く「大きな恐れ」

【もっと読む】海上自衛隊の護衛艦「かが」がついに空母化に成功…日本の自衛艦の「止まらぬ進化」に中国が抱く「大きな恐れ」