「クマの人への攻撃は防御目的がほとんど」では説明できない…人を狙って襲っているかのようなクマが登場し始めた“年”とは〉から続く

 本州では被害が急増しているツキノワグマだが、九州に至っては1950年代にすでに絶滅している。そして、日本列島のなかで、九州に次いでクマがいなくなる地方が出てきそうなのだとか。いったいどの地域でクマが絶滅するのか。そして、なぜこれほどの地域差が生まれるのか。

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 ここでは、東京農工大学大学院農学研究院『クマは都心に現れるのか?』(小池伸介 著)の一部を抜粋。知られざるクマの本当の生態と歴史を紹介する。


写真はイメージ ©Paylessimages/イメージマート

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ツキノワグマとヒグマ

 ツキノワグマとヒグマは、全然違うという人もいれば、基本的には一緒だという人もいる。これは見方の違いであり、何を一緒とするかによる。日本各地でアンケートを取ると、多くの人がツキノワグマの食べ物について問われて「サケを食べている」を選ぶぐらい、ヒグマとツキノワグマの区別がついていない。では、実際にツキノワグマとヒグマの食生活はどれぐらい違うのだろうか。結論から言えば、実はほぼ同じである。どちらも植物を中心とする食生活であり、春は新芽や若葉を食べ、夏は果実を食べ、秋になるとドングリやヤマブドウなどの果実を食べるという生活である。ヒグマが秋に遡上してくるサケを多く食べているように考えている人もいるが、それは知床半島にいるごく一部のクマだけだ。

 北海道の多くのヒグマは、ほとんどサケにありつけない。また、ヒグマの中でもエゾシカを食べる割合が多少高い個体や地域もあるが、それほど山の中にエゾシカがいるわけではないので、完全に肉食の個体はいないと考えられる。これには、クマという動物の進化の歴史が関係する。

 クマの仲間は、古くは肉食動物であったと考えられている。しかし、食べ物としての動物を得るためには狩りをする必要があり、簡単には入手できない。そこで、クマは雑食という食生活を選択するために、独自の進化を始めた。つまり、数少ない高栄養な動物性の食べ物だけに頼るのではなく、栄養価は低いものの大量に存在する植物にも頼った食生活を選んだ。その最先端をいくのがジャイアントパンダである。そのため、多くのクマの仲間は私たちと同じように臼歯が発達している。

 また、よく聞かれるのは「ヒグマのほうが凶暴か」ということだが、この点については表現に気を付けなければならない。「凶暴」という言葉には、受け取る人によって違う印象が加わり、何をもってして「凶暴」かどうか、定義をはっきりさせなければならない。

 同じ意味で、多くの人は「クマは臆病だ」と言うが、これも表現として間違っている。私はいつもクマに関しては「警戒心が強い」という言い方をする。ツキノワグマもヒグマも非常に人間に対する警戒心が強い動物で、基本的には人間と出会いたくはないという願望のもとに生活している。

 そのため、基本的な対策としては鈴などを身につけて音を出し、人間の存在をクマに知らせることは共通している。クマの性格を一般的に「凶暴」とか「臆病」などと言ってしまうと、その言葉が持つ人間側の意識として、恐ろしい、弱いといったイメージを予断として持つ人が出てくる。そのため「専門家は臆病と言っていたが実は臆病ではないじゃないか」というような誤解を生んでしまう。クマは凶暴でも臆病でもなく、ときとして人間を攻撃し、普段は人間を警戒している。

 基本的な生態、遭遇したときの対応などに関しては、少なくとも日本ではツキノワグマもヒグマも同じ認識を持っていいのではないかと私は考えている。ここまでで2種の基本的な性質を理解したところで、本書の主題であるツキノワグマに焦点を絞り、その分布と生態を詳しく見ていこう。

クマが絶滅寸前だという地域とは?

 ツキノワグマは本州には広く分布している。一方、四国は状況が全く違う。四国にもツキノワグマが生息しているが、わかっているのは「いる」ことぐらいである。どのような生活をしているのかも、よくわからない。何頭いるのかは推定でしかないが、2016年の推定では16頭から24頭、2024年に確認できたのが最低で26頭だった。つまり、2024年の時点で26頭以上のクマが四国にいたことだけはわかっている。

 ただ、山中にカメラを仕掛け、その映像を全てチェックした上でのミニマム26頭という数字から見ると、おそらく30〜40頭程度が実数ではないだろうか。日本クマネットワークによる2017年から2019年にかけての調査では、50台近くのカメラを3年にわたり山中に仕掛けても、それまで未確認であった個体は数頭しか発見できなかった(日本クマネットワーク2020)。この数は、個体群を維持することが難しい数と言える。26頭とすれば、オスとメスが半数でも13頭ずつ、中には子グマもいることを考えると、繁殖可能なオスとメスの数は極めて限られる。

 毎年、四国では繁殖の確認はできているが、そのごく限られた個体が子を産んでいる現状では今後、劇的に数が増えていくとは到底思えない。もちろん、近親交配はあると思われるが、これまでの調査では遺伝的な劣化がそこまで激しいわけではなく、むしろ近親交配の影響が出てくる前にいなくなってしまうかもしれない。そもそも満足に生息できるだけの場所が限られ、十分な広葉樹林も剣山系周辺にしか残っていない。そのため、もう分散できる場所が限られ、限定されたエリアでしか行動できなくなっている状況なのだろう。

 そうなれば、例えば子連れのメスがオスと出会ってしまう確率が高くなり、オスの子殺しの犠牲になり、育つことのできる子グマが少なくなってしまうこともあるだろう。

 つまり、四国のクマに対し、短期的にできることは、例えばトキのような形で生息域外飼育をするか、四国の西側のかつてはクマが生息していた高知県や愛媛県のほうに個体を移動させ、新しい個体群を作るかしかない。ただ、クマによる人身被害がこれだけ問題になってしまった今、四国の別の地域にクマを移動させることはとても不可能だろう。ちなみに、四国に生息するツキノワグマと本州に生息するツキノワグマとでは、遺伝的な特徴が異なる。そのため、本州のツキノワグマを四国にもっていけば問題は解決、という話にはならない。

 実際、10年くらい前に四国の人にアンケートした結果、家からどれぐらい離れた場所ならクマが生息してもよいかという質問項目の多くの回答が50km以上であった。現在の四国の主要な生息地である剣山から徳島駅までの直線距離が約50kmである。現状では、すでに多くの人が安心して暮らすためのクマとの距離を保つことができていないが、四国の人にとって、それぐらいクマは馴染みのない存在であり、ただただネガティブな存在でしかないのであろう。

九州のクマが絶滅した経緯

 九州のツキノワグマは、通説では1950年代に絶滅したと言われている(日本クマネットワーク2014)。最後に確認されたクマは1957年に宮崎県の見立・水無川付近で発見された子グマの死体だった。明治時代以降のクマの狩猟の記録は残っているが、その記録では狩猟で獲った数は合計で50頭ほどなので、明治時代の初めでも、かなり生息数は少なかったと思われる。

 九州のクマは、例えば熊本県から大分県、宮崎県にかけての九重連山、祖母・傾山山系など、高標高地域の一部の落葉広葉樹林にひっそりと生息してきたのだろう。猟銃が進化・普及する前までは、それでもなんとか個体数を維持していたが、狩猟によって獲られ、鉱山開発や林業などによって山林がなくなったり、人の手が入ったりして生息域が狭められ、次第に数を減らし、私たちが気付かぬ間に絶滅した。祖母・傾山山系には、クマを獲ったら山の神さまの祟りがあるという言い伝えが残っている。「イノシシ千頭、クマ一頭」と言われるほど、クマの数が少なかったようで、クマを1頭獲るたびに「熊塚」と呼ばれる塚を建てた。熊塚や祟りの伝承は、クマの数が減少し、貴重な動物となった背景の中で、捕獲を制限しようという心理が形や戒めとして現れたものなのかもしれない。

〈冬眠明けのクマは「歩きながら寝ている」状態に!? 睡眠、交尾、冬眠準備…クマたちの知られざる“1年の過ごし方”〉へ続く

(小池 伸介/Webオリジナル(外部転載))