15歳のクルド人少年ディヤルの夏は、サッカーと受験勉強に追われながらも未来へ続いていた。だが、父がいつものように入管へ向かったその日、日常は突然断ち切られる。母に突きつけられたのは冷酷な現実。わずか一日で家族は引き裂かれ、少年の人生は音を立てて崩れ始めた。

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 ジャーナリスト・池尾伸一の新刊『仮放免の子どもたち 「日本人ファースト」の標的』(講談社)より、日本で暮らすクルド人の苦境を一部を抜粋・編集してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


写真はイメージ ©getty

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突然、夢を失った中3男子

 2025年の夏休み。地元のクラブチームに所属するクルド人の中3男子、ディヤル(15)は毎日サッカーの練習に余念がなかった。帰宅すると高校受験の勉強のため机に向かう。だが、ディヤルの充実した毎日はあの日を境に一変した。

 8月19日の火曜日の午後、母親のロジンからスマホに連絡があった。

「お父さんと連絡がつかなくなってしまったの。何かが起きているのかもしれない」。その日の早朝、父親のスリマンは家を出ていた。東京・品川の東京入管に電車で向かうためだった。

 ディヤルの一家はトルコ政府の迫害を逃れようと、2013年に来日した。ディヤルが2歳、妹が1歳の時だった。母親とディヤルら子どもの3人は難民申請のための在留資格が与えられたが、2回目の来日だった父親は入国時から在留資格が認められず、非正規滞在となり、一時的に収容を免れている「仮放免」の立場だった。

 仮放免になると、仮放免の延長申請をするため、定期的に入管に出頭して、手続きをしなければならない。8月19日はその手続きのために出向いたのだった。

 手続きが無事終わると、父親は母親にすぐに連絡を入れる。だが、その日は違った。ロジンが電話しても、「電源が入っていないためかかりません」という自動音声になってしまうのだ。こんなことはかつてなかった。

 ロジンとディヤルはすぐに入管に行った。

「あなたの夫はもうここにはいません」

「わたしの夫はどこにいるのでしょう」。ロジンが入管職員に尋ねると、職員は言った。

「スリマンさんは収容しました」

 ショックを受けた母と子が、職員に面会させてくれるよう求めても「今日は会わせられない」の一点張り。そして言った。

「明日、一番に本人から監理措置の申請をするようにしてください。許可されれば解放されますよ」

 2023年の入管難民法改正で導入された、仮放免に似た「監理措置」で解放される可能性があるというのだ。母子は、急いで監理措置の申請書類の作成準備にかかった。

 その日、ディヤルは一家が代理人として依頼している弁護士に、何回も連絡したが、連絡が取れない。事務所に聞くと「弁護士は夏休み」。全部、自分たちでやるしかなかった。

 翌20日、申請書類を携えて、再び東京入管を訪ね、父に会わせてくれるように頼むと、職員は言った。

「あなたの夫はもうここにはいません」

 驚いた母子が「どういうことですか」と聞くと、職員は「トルコに強制送還しました」と言った。

「なんですって!」。ロジンは叫んだ。

「そんなはずはない。わたしたちはここにいるのに、信じられない。何てことしたんですか」。トルコ語と日本語をごちゃまぜにして泣きながら入管に訴えた。興奮したロジンは嘔吐し、気絶し、床に倒れ込んだ。首のところに赤いぶつぶつがでている。

「お母さんが大変だ。早く救急車を呼んでください」。ディヤルは助けを求めたが、入管職員は動こうとしない。

「もうどうしようもないんだ」

 ロジンの意識は5分ほどで戻ってきた。それでも抗議を続けていると、職員が言った。

「もうどうしようもないんだ。帰らないと、この子どもも連れて行くよ」

 ディヤルまでも収容し強制送還するというのだ。ロジンはあきらめた。職員は脱力した2人を追い払うように施設の外に押し出した。

 家には、親戚や知人らが集まってきた。弁護士は相変わらず連絡がつかない。だれもよい案を何も思いつかなかった。みんなが帰って、ディヤルがベッドに入った午前0時ごろ、ディヤルのスマホに連絡が入った。

「おれだよ……」

 弱々しい声が聞こえてきた。父親だった。トルコのイスタンブールの空港からだという。

「入管か何か知らないけど、制度が間違ってます」と悔しがる友だちも⋯“プロサッカー選手になる夢”を奪われた15歳クルド人少年のその後〉へ続く

(池尾 伸一/Webオリジナル(外部転載))