レンガ積みのトンネル、塗装のはがれた変電所、世にも珍しい“アプト式”のレール跡まで…軽井沢の奥地に眠る「峠越えの廃線跡」をたどる
〈もはや別荘地だけではない…北陸新幹線“山の奥のリゾート駅”「軽井沢」には、いま何がある?〉から続く
軽井沢駅前からタクシーに乗って、人通りの多い旧軽や中軽とは反対の東側に向かってもらう。通るのは、国道18号の旧道だ。すぐに道は急カーブが続く九十九折りの山道に入る。乗っているタクシー以外には、ほとんどクルマもバイクも通らない。
【写真多数】レンガ積みのトンネル、世にも珍しい“アプト式”のレール跡まで……軽井沢の奥地に眠る「峠越えの廃線跡」を写真で一気に見る(全54枚)
以前、同じ場所に来たときには、ツーリングのバイクがいくつも駆けていた。そのときは真夏だった。山の上には寒さが残るこの季節は、まだツーリングのシーズンではないということなのだろうか。
などと考えながら、九十九折りの山道をタクシーに揺られることおよそ20分。国道沿いに少し開けた駐車場とトイレが設けられた場所に着いた。
ここでタクシーを降りて、国道脇に備えられている急な階段を登る。登った先にあるのが、信越本線の廃線跡、そして廃駅でもある熊ノ平駅だ。

軽井沢の奥地に眠る「峠越えの廃線跡」をたどる 撮影=鼠入昌史
軽井沢の奥地にある“峠越えの廃線跡”
まだ旅のはじまりだというのに息も絶え絶えになりながら階段を登り切ると、そこには古いレールと古いホーム、そして使われていない変電所。さび付いたレールの先はトンネルへと続いている。人の気配のほとんどない、碓氷峠の山の中。
熊ノ平駅は1893年、信越本線横川〜軽井沢間の開業と同時に信号場として設置され、途中駅への昇格・信号場への降格を挟んで1997年の廃止まで活躍した。
ほんの30年前には現役だったとは思えないほど、静まり返った廃駅から群馬県は安中市の横川駅まで、6kmちょっとの峠越え廃線跡の旅のはじまりである。
当時の鉄道では到底考えられないような急勾配
実のところ、「峠越え」などと言われてもピンとこない。登山を趣味にしているわけでもないし、九十九折りの峠をクルマやバイクで攻める趣向もない。もちろん日本は山だらけだから、旅をすればどこかしらで峠を越えねばならぬ。
ただ、だいたいが新幹線に乗って寝ているうちにトンネルで抜けてしまうから、峠越えを意識することはまずないといっていい。せいぜい、「ちょっと耳がツンとするなあ」と思うくらいだ。
かつては難所の中の難所とされた碓氷峠とて同じこと。北陸新幹線は、実際の碓氷峠よりもだいぶ北側をトンネルで駆け抜ける。
トンネルを抜ければすぐに軽井沢駅に到着するから、降りる支度をしているうちに峠越え。だからやっぱり、峠越えを意識することはないのだ。
だが、新幹線がまだなかった頃には、艱難辛苦の思いで碓氷峠を越えていた。信越本線横川〜軽井沢間、通称“横軽”がそれだ。江戸時代には中山道が通り、参勤交代では多くの大名が盛んに行き交った大動脈。
幕末には、14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女・和宮も碓氷峠を越えて江戸に下った。あまりの険しい道のりに、和宮のために少し勾配の緩やかな新道を切り拓いたという話まで伝わっている。
明治に入るとさすがに江戸時代までの山道獣道の中山道は廃されて国道が整備され、そして1893年には鉄道も開通した。
その時代に新幹線のような高速鉄道もなければ、長いトンネルを掘る技術もない。だから、66.7‰という当時の鉄道ではとうてい考えられないような急勾配を登ることになった。
もちろん、当時の蒸気機関車がそんな急勾配に耐えられるはずがない。
世にも珍しい「アプト式」を採用
そこで採用されたのがアプト式。おおざっぱにいえば、レールの中央にギザギザの“ラックレール”というものを敷設し、車両側に取り付けた歯車を噛ませて登ってゆくという仕組みだ。
これで天下の難所を越えることはかなったが、輸送量が増えてくると所要時間がかかりすぎてしまってどうしたってボトルネック。そこで、1963年にすぐ北側に並行する新線を建設した。
勾配は旧線と変わらなかったが、この時期には歯車を噛ませなくても乗り越えられるようになっていたのだ。
そして、この新線が1997年の北陸新幹線開業まで使われていた。新幹線が通ってしまえば、喘ぎながら登る急勾配の線路は必要ない、といったところだろうか。かくて、碓氷峠の山の中には、旧線と新線、ふたつの廃線跡が残されたのである。
遊歩道に整備された旧線の一部
かといって、山の中の廃線跡を簡単に歩けるはずもない。勝手に立ち入ってしまうのはNGだし、野生動物と遭遇したら大変だ。冬眠明け、腹を空かせたクマにでも出会ってしまったら、それこそ喰われてしまうに違いない。
そう思って調べてみたら、旧線の一部、横川〜熊ノ平間が「アプトの道」として遊歩道に整備されているらしい。
遊歩道ならば自由に歩くことができるし、他にも人がいるだろうからクマの方から避けてくれるハズ。そういうわけで、軽井沢からおおよそ中間地点にあたる熊ノ平までタクシーに乗ってやってきたのだ。
熊ノ平の廃線・廃駅ぶりをしばらく堪能したら、先に進もう。
うす暗い廃トンネルの中へ
実はすでに峠のピークは越えていて、あとは横川に向かって緩やかな下り坂。軽井沢駅に着いたときには曇り空で震えるほど寒かったが、ここに来て日差しが出てきて廃線跡歩きにはちょうど良い天気になってきた。
熊ノ平駅の脇のトンネルの穴は、4つある。そのうちのふたつにはレールが繋がっている。新線の廃線跡がこちら、ということなのだろう。
残るふたつのトンネルにはレールがなく、さらにそのひとつには遊歩道が続いている。ここを進んで行けば、横川駅にたどり着くことができるのだ。
さっそくトンネルの中に入ろう……と思ったら、その前に小さな鳥居と祠があった。近づいて見ると、「熊の平神社」とあった。
いまではひとけのない山の中の廃駅も、かつては多くの職員が働き、そして暮らしていた。そんな彼らの手によって、小さな祠が建てられたのがはじまりだという。
さらにその隣には、1950年の山崩れて犠牲になった職員とその家族50名の殉難碑。いまでは新幹線で寝ているうちに抜けてしまう峠道も、かつては命がけでそこを守っていた人たちがいたのである。峠を抜けるトンネルでも、口を開けて寝てばかりもいられませんね……。
トンネル地帯を進んでいく
祠と殉難碑にお参りをして、ようやくトンネルの中へ。レールも剥がされて遊歩道になっているから歩きやすいし、照明もあるからトンネル内といっても安心感がある。
なかなか人に出会わないので野生動物への不安はちょっぴり高まってくるが、まあたぶん大丈夫。
トンネルもそれほど長いものではなく、すぐに外に出て、またすぐにトンネルに入って出ての繰り返し。トンネルの壁面がレンガ積みになっているところに、明治時代に建設されたという、その時代が感じられる。
いくつかトンネルを抜けて1kmほど歩いたところで、大きく視界が開けた。
碓氷峠を象徴する構造物
レンガ積み、高さ約30mの4連アーチ橋。正式には碓氷第三橋梁、通称“めがね橋”で知られるあの橋だ。碓氷峠を象徴する構造物で、しばしば写真で紹介されているあの橋だ。
めがね橋の上の欄干は、胸の高さほど。そもそもが鉄道のための橋なのだから、人が歩くことなんて想定されているわけがない。
恐る恐る下を覗き見れば、そこには国道18号の旧線がヘアピンカーブ。峠攻め愛好者にはたまらない道に違いない。が、いつまでも下を見下ろしていたら吸い込まれてしまいそう。
なので逆に山の上の方を見上げてみると、何やら鉄道の高架のようなものが見える。信越本線の“新線”、つまり1997年まで電車が走っていた線路だ。旧線から手の届きそうな近さの山の中を、同じようにトンネルを繰り返しながら通り抜けていた。
いまでは新線の廃線跡に自由に入ることはできないが、定期的に行われている安中市のイベントに参加すると廃線跡ウォークを楽しめるのだとか。
新線は遊歩道ではなくレールが敷かれたありのままの姿。碓氷峠の険しさを、よりつぶさに感じることができるに違いない。
めがね橋を渡り終えたら、すぐにまたトンネルの中へ。3つほどトンネルを抜けると、右手の下の方に碓氷湖が見える。
さらに先に進み、熊ノ平から見て最後のトンネルのその手前。そこには真上を通る国道18号旧道にあがる小径があった。「中山道」という小さな看板も立っている。
江戸時代までは“マラソン会場”だった?
せっかくなので登ってみると、国道の脇に山の中へと続いてゆく山道というか獣道がある。
これが、江戸時代まで東西の大動脈だった中山道。少しだけ入ってみたが、確かに細く険しい山道が続いている。こんなところを、江戸時代の人たちは当たり前のように行ったり来たりしていたというのか。
それどころか、幕末の1855年には、安中藩の藩士たちが安中城から碓氷峠の熊野神社まで走るマラソン大会、“安政遠足”を開催していたという。鉄道もクルマもないご時世。時代が違うといえばそれまでなのだが、昔の人の健脚ぶりたるや、新幹線で寝てばかりいる現代人とは比較にもならない。
ともあれ、この最後のトンネルを抜ければ、「峠の湯」という温浴施設の脇を通り、霧積川の脇をまっすぐに横川駅を目指すだけ。南側には中山道の坂本宿の町並みがいまにも残る。
江戸時代、峠越えを控えた人たちがここで一服。どんな気持ちで峠に挑んだのだろうか。
シェルパくんと並走しながら横川駅へ
なお、この「峠の湯」までは、廃線跡のアプトの道のすぐ脇に現役の線路が敷かれている。かつての横川機関区跡に設けられた碓氷峠鉄道文化むらのぶんかむら駅からとうげのゆ駅まで、トロッコ列車「シェルパくん」が運転されているのだ。いわば、鉄道文化むらのアトラクション。
「シェルパくん」が走るその距離は2.6km。廃線跡を歩いてゆけば、横川駅まで4km近くも続く道のりだ。途中には、旧線が電化された1912年に建設された丸山変電所の建物がそのまま残っていて、見どころもあるにはある。
が、トンネルをいくつも抜けていたそれまでとはうってかわって、比較的退屈な散歩道。そこを1時間ほど歩いて、ようやく横川駅が見えてくる。
どこを歩いても重要文化財
この信越本線旧線は、丸山変電所や熊ノ平駅、またトンネルやめがね橋などがすべて国の重要文化財に指定されている。
重要文化財の中をくぐり抜け、重要文化財の上を歩く。ずいぶんと貴重な経験だ。
ところが、めがね橋のレンガ積みの橋脚には、何やらいたずら書きも見られる。そういうことをしちゃ、ダメですからね、ほんとに。
かくして熊ノ平から約2時間。ようやく横川駅に着いた。ここからは、信越本線が高崎駅まで通じている。駅前には「峠の釜めし」で知られるおぎのやの本店。峠越えを控える列車が機関車を付け替えたりしている間によく売れたのだという。
それがいまでは、ロードサイド店舗の方が売れているという「峠の釜めし」。駅弁なのにロードサイドとはなんとも微妙だが、それもまた時代の流れなのだろう。
撮影=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
