「さんざん専業主婦でラクしてきたんだから、今度は君の番だ」。リストラで無職になった夫から放たれた非情な言葉。20年間家庭を守ってきた西崎彩智さん(当時44)は、パソコンも使えない絶望的な状況から時給800円のパートへ。離婚、そして起業。元夫への怒りを「ガソリン」に変え、元夫を超える収入を稼ぎ出すまでに至った「執念の自立」の全貌に迫ります。

【写真】「夫の年収超えてやる!」48歳・シンママ、自宅の1室で起業した当時の西崎さん ほか(全10枚)

専業主婦20年…リストラに遭った夫が豹変「今度は君の番だ」

── 20年間専業主婦だった西崎さんが、44歳で時給800円のパートを始めた経緯を教えてください。

専業主婦だったころから家を整えることが大好きだったそう

西崎さん:最初の就職は22歳のとき。平成元年、バブル真っただ中の入社でした。1986年に男女雇用機会均等法が施行されたものの、女性は「クリスマスケーキ」に例えられて「25歳を過ぎると価値が半額になる」なんて言われていた時代です。インテリアコーディネーターになりたくて住宅メーカーに入社したものの、24歳で外資系企業に勤める元夫と結婚。そこから20年間、専業主婦として家庭に入りました。

ただ、元夫は根っからの亭主関白。子どもが幼いころ、ベランダに干した洗濯物を入れてほしいと頼んだら、「男が洗濯物を入れるなんて、外から見られたらどうするんだ」なんて言われる始末でした。 

転機が訪れたのは2011年2月。50歳になった彼がリストラに遭ったんです。4月から長女は高校、長男は中学に進学を目前に控えた時期。「これからお金がかかるのにどうしよう」と、途方に暮れました。

── 旦那さんはどうされたのでしょうか。

西崎さん:それが「今までは俺が頑張ってきたんだから、今度は君がどうにかして」と、私に言ってきたんです。「専業主婦なんだけど…」ととまどうと、「さんざん専業主婦でラクしてきたんだから、今度は君の番だろ」と。


 
いま思えば、再就職がうまくいかないストレスがこちらに向いたのだと思います。そうとうな数の履歴書を出したと思うのですが、50歳で年収の高い人の再就職先って本当になかったんですよね。 

── 20年間、必死に家庭を守ってきた西崎さんに「今までラクしてきたんだから」とは…あまりに心ないひと言だと思います。とはいえ、状況的にこのままでは生活が立ち行かない。子どもたちにも迷惑はかけられない。そんな思いから自分が就職するしかないと、腹を括られたのですね。

西崎さん:収入がなくても、光熱費などの請求書はどんどん届くいっぽうですから。無職の夫とケンカして止まっていても仕方がないと思い、42歳で就活を始めました。でも私、パソコンすら使えなくて…。結婚前に働いていた住宅系企業の経験も活かせず、不採用が続くなか、ようやく見つけたのが駅ビルにあるヨガスタジオの「受付パート募集」という求人でした。時給800円でしたが、もはや選択肢はありませんでした。

娘からの号泣電話。「仕事」を理由に現実から逃げていた

── 家庭のために44歳で働きに出ることを決意された西崎さんですが、パート勤務中に離婚を決断されたそうですね。

西崎さん:働き始めたら仕事が楽しくて、入社半年で売上も向上。ありがたいことに「店長になりませんか?」と声をかけていただきました。仕事が充実するほど帰宅は遅くなるばかり。夫と不仲な現実から目を背けていたんだと思います。


 
実は夫の退職前から長女の1年間の海外留学が決まっていて、娘のために留学費用を稼ぐことも働く励みになっていたのですが、ある日、留学中の娘から電話があったんです。娘は電話越しで号泣していました。

── いったい、なにがあったのですか?

西崎さん:友達の親御さんを通じて私の写真を見たら「ママが痩せている!」と驚いたようです。「ママ、ご飯食べてる?家に帰ってる?」と。私がお茶を濁していたら、「ママは帰ってこない、パパは引きこもっている。そんな家に中学生の弟がたったひとりでいると思ったら、青空のもとで留学生活を楽しんでいる自分が申し訳ない」って、大泣きしたんです。

そして、「もうパパはいらん。ママがちゃんと家にいてくれれば、弟はきっと落ち着くだろうから、そうしてほしい」と。娘はとにかく弟を心配していて、ひとりでつらい思いをさせて申し訳ないという思いがあったようです。娘にそんな思いをさせた自分が情けなかった。でも、その電話が、逃げていた現実と向き合う大事なきっかけになりました。

思えば、夫がリストラに遭うまでは、わが家は「たまり場」でした。ママ友から「ちょっと相談していい?」って言われて家で話を聞いたり、忙しいママ友の代わりにお子さんを預かって料理をふるまったり。家は心身ともにくつろげる場所だったんです。

でも、夫のリストラを境に、家に人を呼ぶことを避けるようになりました。無職になった夫が家にいる、その事実を誰にも知られたくなかった。変なプライドがあったんでしょう、「西崎さん、大変ね」とも思われたくなかったんです。でも、そのプライドが自分を孤独にしていたことを、娘からの電話で言い当てられた気がしました。 

息子は当時、家の状況を察して家事を手伝い気遣ってくれていました。それなのに、私は「忙しいからごめんね」と逃げていた。家族がバラバラのこの状況はやっぱり変えなきゃいけない。そのためには、娘が言うように離婚するしかない、と決心しました。

元夫に離婚を申し入れたものの、なかなか離婚に応じようとせず一時は難航しました。でも、子どもたちの高校、大学のダブル受験の前になんとか新生活をスタートさせたかった。それを目標に頑張って準備を進め、どうにか実現できました。長女が高校2年生の冬に海外留学から帰国した後、私が46歳のときのことです。

「絶対に元夫の年収を超える」怒りをガソリンに変えて

── 離婚後、お仕事はどうされたのでしょうか。

西崎さん:ヨガスタジオの仕事は44歳から2年ほど続けて、正社員にならないかとお声がけもいただきました。でも、先の人生を考えたときに、ずっと好きだった「片づけ」を仕事にしたいと思ったんです。

現在のお片づけ講座の風景。右から2番目が西崎さん

起業前に再びママ友を家に呼ぶようになったのですが、そこでのやりとりが起業のヒントになりました。「離婚したんだよね」と告白したら、ママ友たちからも「実は私も家に帰るのがキツイ」という悩みを多く聞いたんです。本来安らぐはずの家が苦痛になる。その原因が「片づけられない心」にあると気づきました。

── 自分とママ友の経験に共通点があることに気づいたんですね。

西崎さん:そうです。「部屋を片づけたら心もスッキリする」ことは身をもってわかっていたので、このノウハウをビジネスにできないかなと考えました。専業主婦時代に友人とチームを組んで、片づけ代行をしていたことがあったのですが、起業を目指していたタイミングで、再び知人から家の片づけを依頼されるようになり、ひとりで始めてみようと思い立ったんです。最初は訪問型の片づけ講座から始め、事業を広げていきました。

── 2015年に起業したときの目標は「年収1000万円」だったそうですね。

西崎さん:はい。元夫の年収が約1000万円だったこともあり、絶対に超えようと目標にしました。ありがたいことに、2019年には目標を大きく超え、会社も法人化。法人化する前に起業塾で知り合った男性と再婚したのですが、そこには頼らず、子どもたちの学費はすべて自分で払いきりました。

昔、元夫が20年間専業主婦だった私に言い放った、「今度は君が何とかして」への反発心もそうとう大きかったと思います。今さらながら、「私って、こんなに負けん気が強かったんだ」って思いますね(笑)。

20年間専業主婦だった自分に「今度はお前が稼ぐ番」と言い放った夫。その言葉に対する怒りと反発心が起業家としての素地を作ったといえるかもしれません。

ともすれば意気消沈しかねない言葉の刃を、力に変えた西崎さんの人間力。同じ言葉を投げかけられたとき、あなたならどんなふうに感じ、どう行動するでしょうか。

取材・文:たかなしまき 写真:西崎彩智