「こっちへ、いらっしゃい」“伝説のヤクザ”が美人芸者と浮気→恋人女優が家に押しかけ嫉妬に狂い…安藤昇と瑳峨三智子が破局した真相
〈「このままでは死んじゃうぞ!」“伝説のヤクザ”の恋人女優が、“クスリ漬け”で体重38kgまで激ヤセ…安藤昇が目撃した瑳峨三智子の変わり果てた姿〉から続く
“伝説のヤクザ”として知られ、のちに映画俳優としても活躍した安藤昇。男女の関係にあった女優・瑳峨三智子は、一時は病に苦しみながらも、安藤の献身的な支えで回復へと向かっていた。再起を願い続けた安藤にとって、それは“男の意地”でもあった――。
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しかし、そんなふたりにも別れの時が訪れる。何が関係を終わらせたのか。大下英治の著書『安藤組 修羅たちの戦い』(宝島SUGOI文庫)より、その結末の真相をひもとく。(全3回の3回目/1回目から読む)

昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇 ©文藝春秋
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嵯峨の女優としての再起を願った安藤
瑳峨の肉体的な回復が伝えられたのは、昭和43年初夏。体重も増えた。何よりも、薬との絶縁が効果があったとも噂された。
安藤の篤い介護のおかげで、瑳峨は肉体的には立ち直りつつあった。そこで、安藤は、もう一度、女優として立ち直ってほしいと願った。
『週刊ポスト』昭和45年7月17日号で安藤は、その気持ちを率直に語っている。
〈《口はばったいようだが、自分が手がけた作品を最後まで完成しよう、そんな気持ちでしたよ。そんなぼくの気持ちに、彼女も実によくこたえてくれたと思う。いろいろ巷間で噂される女ほど、実はそうではない、いい人間が多いんだ。彼女は典型的なそんなタイプの女ですよ。経済的にだって、ルーズなでたらめな女じゃない。
もし芸能界に入らず、からだも健康だったら、いい結婚をして、幸せな妻の座をつかんだ女だと思う。この3年半、ボクたちには将来を思うような余裕はなかったんですよ。必死に病魔と闘った彼女に、ボクは男の意地をかけてきた。意地で彼女の再起を手伝ってきたんだ。それを愛と世間でいってくれるのなら、それもいい。しょせん、男の愛って、男の意地じゃないですか。》〉
瑳峨の再起は、安藤の意地であった。
が、そのような2人にも破局がやって来た。当時、安藤は、京都祇園の芸妓「愛みつ」こと中村文柄とも関係を持っていた。
美貌の芸者・愛みつの三味線
愛みつは、かつて歌舞伎役者・4代目尾上菊之助(のちの7代目尾上菊五郎)の恋人ともいわれた美貌の芸者であった。
安藤は、東映の京都撮影所での撮影が終わると、とあるバーにマネージャーと通うようになった。それは、愛みつの妹が経営するバーであった。そこに姉である愛みつが、ふらりとやって来て、安藤に一目惚れしてしまう。
その後、愛みつは、しばしば安藤が京都に借りていたマンションにやって来るようになった。稽古用の三味線をマンションの安藤の部屋に置いたまま、芸者としてお座敷に向かうこともあった。
ある日、瑳峨三智子が、安藤には内緒で安藤の住むマンションにやって来た。合い鍵を持たない瑳峨は、管理人に「瑳峨ですけど……」とでも言ったのであろう。管理人が、安藤と瑳峨との関係を勝手に察して、部屋の鍵を開けてしまったようだ。
瑳峨は、マンションの安藤の部屋に入ると、“三味線”を見つけて我を失ったに違いない。安藤に、芸者の恋人ができたことを悟った。
瑳峨は、安藤に会うことなくそのまま東京にUターンした。
安藤は、そんなことは露知らず、帰宅した。そこで、切り刻まれた無残な三味線の残骸を見つけて驚愕した。
〈サガミチだな……〉
本来ならば、クールな印象さえある瑳峨は、嫉妬に狂うようなタイプではなかったはずである。が、安藤との3年間が、瑳峨を変えていた。情が濃くなっていのであろう。瑳峨は、もはや嫉妬からくる怒りが抑えられない女性になっていた。その一件から、安藤は、瑳峨との関係を絶つ。
破局後の祇園暮らし
しかし、考えてみれば、安藤との3年半という月日は、恋愛サイクルの短い瑳峨にとっては異例の長さといえる。例えば、最初の結婚相手の友田二郎とは1年。不幸な事故死を遂げる森美樹とは、半年。岡田眞澄とは、婚約して2年1カ月を迎えて、瑳峨のほうから婚約を破棄している。
実際に2人が同居した期間は、1年余だともいう。そんな瑳峨が、男性と3年半付き合ったというのは、ほとんど奇跡ではなかったか。もちろん、安藤自身には、ほかに女性がいたものの、瑳峨にとって安藤の存在は、特別だったに違いない。その後、安藤は、愛みつとの関係を深めていく。愛みつは、住処を失った安藤を自宅に誘った。
「こっちへ、いらっしゃい」
安藤は、京都のマンションを引き払い、愛みつの家に住み始めた。建物1階はバー『愛みつ』、2階が住まいであった。2階には部屋が2、3あった。
安藤は、2階の10畳ほどの部屋をあてがわれた。隣の部屋では、年がら年中、芸者衆がペンペンペンと三味線の稽古をしている。粋な音色に聞き惚れながら、安藤は、祇園暮らしを続けた。
(大下 英治/Webオリジナル(外部転載))
