【中川安奈のFRIDAYReport】NHK出身同士!憧れの先輩・神田愛花に学ぶこと

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フリーアナウンサー1年目の中川安奈(32)が各界の著名人に教えを請う不定期新連載。初回ゲストは本誌連載が4年目に突入した神田愛花さん。NHK出身同士で共通点の多い先輩に学ぶこととは――。

「親にも言ってない」

中川:私がNHKに入局した’16年には神田さんはもうフリーになられていて。なのに局の先輩からは「神田さんはスゴかった」という話をよく聞いていたんです。明るいキャラクターや存在感に新人のころからずっと憧れていました。

神田:要は局では珍しい″異端児系″だってことかな。私はアンナちゃんがオリンピックの現地キャスターをしたみたいに大きな舞台は踏んでないんですよ。報道志望だけどずっとバラエティの人間で。フライデーさんで連載をやらせていただいたのもフリーになって10年経ってから。そちらはまだ1年経ってないじゃないですか。この違いはいったいなに?(笑)

中川:3年間、週刊誌に連載で執筆され続けているのは素晴らしいです!

神田:『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に初登場された時もすごかったよね? 私もご一緒させてもらったんですけど、事務所のお偉い方々が5人くらいスタジオにいらっしゃって。「黒船が来たぞ!」みたいになりました。

中川:人や環境にはものすごく恵まれています。神田さんと私はNHKを退局した年齢が31歳で一緒なんですよ。

神田:丸9年いたってことだよね?

中川:そうです。私の場合は担当していた『サンデースポーツ』を入局10年目を前にして卒業することになったのが大きな転機でした。神田さんがフリーになろうと決断されたのはどんなタイミングだったんですか?

神田:東日本大震災を渋谷の放送局で経験した時でした。報道センターに行くと編集前の映像があるんですが、刺激が強すぎて放送に出せないものを目の当たりにして。日常を真面目に生きていても急な自然災害で命って絶たれてしまう。明日からの生活がパッとなくなっちゃうこともあるんだと強く感じたんです。

中川:そうだったんですね。’11年、いまから15年前ですか。

神田:ずっと報道キャスター志望だったけど適性もあってバラエティ番組の担当が多かったんです。先輩方のキャリアを見ていると自分が報道に携わることができたとしてもきっと40歳ぐらいから。いまから10年経たないと無理だと感じた時に、じゃあ明日震災が来て人生が変わってしまったらどうするのかって。だったら辞めて少しでも報道の仕事に関われる可能性のある環境に身を置いたほうがいいと思ったんです。それからひとりで1年近く悩みました。決めたのもひとり。親にも言ってないです。

「NHKの会長になりたかった」

中川:神田さんは連載でも「NHKの会長になりたかった」と書かれるくらいだったのに大きな決断でしたね。

神田:愛社精神はすごくありました。入局して4年間、初任地の福岡にいた時は民放さんは一切見なかったですし。その頃のNHKに出ていない芸能人が全然わからなかったりするんですよ。とにかく会社や先輩に染まらなきゃと思って。新人時代のアンナちゃんはどうだった?

中川:ネイルと香水をすぐにやめました。

神田:先輩たちの指導を受けたんだね。

中川:はい。でも心の奥底ではちょっと腑に落ちていない感じはありました。局としても私たちの時代は″アナウンサーも個性を大切に″みたいな方針があったんですよ。だから矛盾を感じる、というほどではないにしても……。

神田:そんな時代あったんだ。

中川:あったんです! それに私も海外に住んでいたことがあったので、なんか″express yourself″っていうマインドが――。

神田:なにそれ。

中川:自らの表現を大切に! みたいな。

神田:急にペラペラになるからさ。(『Travis Japan』の)松田元太くんを見ているみたいで。

中川:すみません(笑)。そういう環境で育ったから、髪型から服装まで細かく指導を受けることに違和感はありました。だから自分のなかでギリギリを攻めようみたいな気持ちが……。

神田:いやー、良かったかも。私がNHKでアンナちゃんに出会っていたら叱ってた。「個性はネイルとか見た目じゃなくて、仕事の存在感で出しなさい」って。

中川:えーっ!(笑) でもおっしゃる通り、履き違えていたのかもしれません。

《かんだ・あいか/神奈川県出身。学習院大学理学部数学科を卒業後、’03年にNHKにアナウンサーとして入局。福岡放送局に勤務後、’07年から東京アナウンス室へ。’12年にNHKを退局し、芸能事務所のセント・フォースに所属。現在は昼の帯番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)にメインMCとしてレギュラー出演中》

《なかがわ・あんな/東京都出身。幼少期をフィンランドやプエルトリコで過ごす。’16年にNHKにアナウンサーとして入局し、『サンデースポーツ』やパリ五輪の現地キャスターとして活躍。’25年春に同局を退局後、芸能事務所のホリプロに所属しフリーアナウンサーやタレントとして幅広く活躍する》

『FRIDAY』2026年3月27・4月3日合併号より