小泉八雲の“再話”ともリンクする『ばけばけ』の構成 “怪談”を朝ドラで扱う意図を考える
「怪談がメインのドラマではない」
参考:髙石あかりは“あえて”練習していない? 神は細部に宿る『ばけばけ』“怪談”撮影裏
朝ドラことNHK連続テレビ小説『ばけばけ』がはじまる前から制作サイドはそう念を押していた。そもそも「怪談がメインってなんだ?」という気もするが、例えば、小泉八雲とその妻がモデルの主人公夫婦が狂言回しとなり、『まんが日本昔話』的に毎週、5回に渡って怪談を一作ずつ放送するとかそういうことを期待する視聴者もいるのだろうか。
怪談がメインではない。でも、日本の怪談を収集し研究した小泉八雲をモデルにした夫婦に怪談がまったく関わってこないわけはない。第12週「カイダン、ネガイマス。」はついにヘブン(トミー・バストウ)がトキ(髙石あかり)から怪談を聞きはじめる。これが彼の目的である滞在記の「ラストピース」になりそうだ。それは希望であり、残されるトキや錦織(吉沢亮)の絶望でもある。滞在記を書き終えたらヘブンは帰ってしまうという事実にトキたちは複雑な気持ちを抱く。
小泉八雲は妻・セツから口伝で怪談を収集して書き残した。執筆にあたってもセツが関与していたらしいとも言われ、ドラマの英語タイトル『THE GHOST WRITER's WIFE』のゴーストライターはトキのことを指している面もあるようだ。
ヘブンが怪談を聞くようになったきっかけは金縛り。金縛りに遭うようになったヘブンはお寺にお祓いに行く。そこで住職(伊武雅刀)に大雄寺にまつわる怪談『水あめを買う女』を聞き、すっかり怪談に目覚めてしまう。こうなると、怪談好きなトキは大活躍。いくらでもお話できるとヘブンにアピールする。
フミ(池脇千鶴)に買ってもらった怪談の本から朗読しようとすると、ヘブンは、朗読ではなく、「あなたの言葉で、あなたの考えで」話してくださいと言う。民俗学を学んできたヘブンらしい「口伝」を求めているのだ。
口伝とは、文字を持たない人たちが口頭で伝えること。昔の言い伝えは文字がなくても人から人へ、音で伝承されてきた。独特の言い回しなどもそのまま伝わって、温度のあるものになる。例えば、説経節と言われるものなどが口伝文学の一例で『しんとく丸』や『小栗判官』『山椒大夫』などがある。
人から人へ伝わって広がっていくから、地域によって微妙に相違がある。アレンジが加わっていくのだ。『水あめを買う女』も島根にもあれば京都にもあり、各地に広がっている。
ヘブンはジャーナリストなので、単にストーリーを楽しみたいだけではなく、その物語がこの地にどういう理由でどうやって伝わってきたのか、そういうことも含めて研究しているのだと思う。
制作陣は髙石あかりに、話芸のプロのような巧さは求めなかった。だから練習しないでほしいと頼んだという。とはいえ、髙石も芸能人というプロなので、一般人の素人の演技は逆に難しかっただろう。キーを高くして、明晰に語っていた。島根に伝わる子守唄も素敵に歌っていた。
トキがまず語ったのは『鳥取の布団』。まさに銀二郎(寛一郎)からトキに口頭で伝えられたものだ。
兄弟が寒い冬に身ぐるみをはがされて凍死してしまう悲しいお話。日本語は完全に聞き取れないヘブンだったが、トキの語りからいかに悲しい話か感じとる。むしろヘブンの解釈は、兄弟が死ぬまで一緒だったことは幸せだったのではないかというものだった。家族との縁が薄かったヘブンには、死への道行きを共に歩んでくれる人への憧憬の念があるようだ。
何度も何度も同じものを聞きたいヘブン。だがこの『鳥取の布団』。トキの元・夫から聞いた思い出のもので、トキもヘブンもなんとなく躊躇する。そこでトキは新たに『子捨ての話』を語る。この話も、日本各地に広まっていて、皆、微妙に違う話を知っている人も少なくないだろう。概要は、貧しいがゆえに子供が生まれるたびに捨てていた夫婦がいて、ようやく暮らしが楽になり、生まれた子を育てていたら、その子が死んだ子の生まれ変わりだった、というゾッとする話。これにもいろいろなバージョンがあって、夏目漱石の『夢十夜』の第三夜を思い出した視聴者もいたようだ。
「ひとつの伝説がまたひとつの伝説を呼び、今夜はいくつもの珍しい話を聞いた」という一文が八雲の著書『知られぬ日本の面影』の「日本海に沿って」の章にある。八雲が伯耆の国を旅した記録で、宿の女中から聞いた体(てい)になっているが、解説には、実際はセツから聞いた話であろうとする説があると書いてある。記録を多少、アレンジしているのだろう。
『鳥取の布団』は連れ(セツのこと)と浜村という村にいったときに、これから鳥取に行くと聞いた旅館の女中から聞いたものとして記されている。その晩、女中も交え、いろいろな話を聞いたなかで、連れが思い出して話したのが『子捨ての話』だった。
八雲はこうして日本に滞在し、旅もしながら、各地に伝わる怪談や昔話を聞き書きし、少しアレンジして文学作品として完成させていった。こういったものは「再話」という。
「『水あめを買う女』には続きがあるんです。その後拾われた赤子は元気に成長しましたというような後日談が。ところがハーンはそれを書いていない。原文(言い伝え?)にはない『母の愛は死よりも強し』という言葉を付け加えて『知られぬ日本の面影』に収めています。そこにハーンのオリジナリティがあるような気がします。彼の生まれ育ちがとてつもなく強く反映されている一文なので、ドラマのいいところで出したいと考えていました」と制作統括の橋爪國臣チーフプロデューサーは語る。(※)
「再話」は必ずしも元の話と同じでなくてもいい。聞いた人の感性でプラスアルファされていく(あるいはカットされる)。そうやってひとりひとりの物語として形を変えながら残っていく。昨今、何かとドラマが史実どおりでないことの是非が問われるが、小泉八雲は、変化する「再話」という文学を極めた人だった。
参照※ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/67e7afae79b3255976557ad5b64a0744fde0bdd5(文=木俣冬)

