家事とは“どうしよう”と向き合うこと 『対岸の家事』が令和に作られたことは大きな救いに
火曜ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』(TBS系)を、TVerで追いかけた日々。現在、2人の乳幼児を育児中の筆者は残念ながらこの時間帯のドラマをリアルタイムで楽しむことが難しかった。子を持つ前は21時には寝かしつけを終えて、22時のドラマをゆっくり観られるかな……なんて考えていたものだが、甘かった。実際の22時は睡魔に抗いのけぞる子どもたちを抱っこしたり、お腹をポンポンしたり、髪の毛を引っ張られたりしていたのだ。
参考:『対岸の家事』は決して“ファンタジー”ではない 制作陣が託した“こうあるべき”からの解放
●対岸から冷たい視線を投げかけるのも、橋を架けるのも自分
子育てがこんなに大変だなんて思わなかった、というのが正直な感想。もちろん「大変だ、大変だ」とは耳にはしていた。だが、対岸にいる限りは「そうなんだ」と知ったつもりにはなれても、実際に当事者にならないとわからないことばかりなのだ。
今の世の中は、そんな当事者になっている人たちが愚痴をこぼすもんなら「自分で選んだ道でしょ!」「そんなことも想定しないで選択したの?」なんて冷たい言葉が飛んでくる……気がする。というのも、他ならぬ自分自身が1番厳しい視線を向けている気がするのだ。
迷惑をかけないように。誰かにシワ寄せがいかないように。「無理ゲー」と言いたくなるようなギリギリの日々を送る礼子(江口のりこ)が「子どもなんて産んですみません」「仕事も家庭もなんて欲張った罰」と言うシーンは、きっと子育て中の人たちなら一度は思ったことがあるはず。
ただ一方で、詩穂(多部未華子)のように困っていそうな人がいたら声をかけたくなる衝動にも駆られる。なんなら街を歩きながら自分と同じように寝不足の表情でベビーカーを押すママを見かけると、「同志よ」とハグしてお互いを労いたいという気持ちにも。
もちろん、中谷(ディーン・フジオカ)が懸念したように、他人の家庭にあんまり深入りするのは、どうかと思うときもある。だが踏み込まなければ、自分を誰かを隔てる川幅は広がっていくばかり。そんなふうに感じるこの令和の世に、このドラマがオンエアされたのは大きな救いだったと思う。
「助けて」と声をかけること。「肩を貸します」と笑いかけること。そんなちょっとした心くばりで、独りだと泣いている人に橋を架けることができるのだと希望を持てた。それこそ、人の心は海の上の雨と同じように、たまたま通りかかったときに気づかなかったらなかったものにされてしまうのだから。
●家事=家の中で起こる「どうしよう」を日々考える愛情
このドラマを観ながら気づいたことがある。それは「家事」とは、炊事、掃除、育児……といった作業のことを指しながら、その実態はこの家で起こる「どうしよう」と向き合うことなんじゃないかということ。
もちろん、ご飯を作ってくれたら嬉しい。でも、それは作業を代わってくれるということ以上に、ご飯が作れないほど「どうしよう」という状態にある自分に気づいてくれたこと。そして、まずはご飯を作ることで元気をつけ、一緒にその「どうしよう」を解決しようと考えてくれる姿勢が嬉しいのだと思う。
実際に、外で働く夫が急に料理をしても、「なんでその手順でやる!?」「いやいや食器を洗いながら作ろうか?」なんてヤキモキして、「結局自分でやったほうが早いしイライラしない」なんてことにもなりかねない。「家事の分担」を希望する声は、作業そのものをお願いしたいというよりも、「自分と同じくらい当事者意識を持って家族を見つめてほしい」という願いなのではないか。
きっと専業主婦の詩穂が、夫の虎朗(一ノ瀬ワタル)に話を聞いてほしいと何度も懇願していたのは、日々起こる小さな「どうしよう」を一緒に考えてほしかったから。子どものこと、ご近所のこと、これからのこと⋯⋯。それはときに生産性のない愚痴のようなものに感じられるかもしれない。しかし、その小さな変化の積み重ねこそが生活そのものだ。
その日その日で状況は変化していく中で、家族がどうしたら幸せに生きられるのかを、日々話さないで、いつ話し合うのだろうかと思わされた。中谷夫婦のように明確なミーティング時間を取っても、すれ違うことがある。毎日顔を合わせていても、詩穂の苦しみに気付けなかった父・純也(緒形直人)のような家も珍しくないだろう。
ドラマの作中では、誰かのために生活を整えることは「愛」だと言うシーンがあったが、なるほどな、と思った。よく家事労働をどれだけの金銭価値があるかと換算されることがあるけれど、その「愛」がいくらかと言われているようでなんだかしっくりこなかったからだ。
どうしたら、みんなが笑顔で過ごせるのか。今日も気持ちよく生きることができるのか。それには、作業部分をアウトソーシングするという選択肢もある。あるいは、ときには仲間と助け合うという選択肢も。家事について考えることは、家族を愛することに直結する。
このドラマをきっかけに、世の中にもっと家事のことを気兼ねなく話し合える空気が漂っていったらいいなと思った。ひょっとしたら対岸にいると思っていた人が、実は自分と同じ当事者だったなんてこともあるかもしれない。あるいは、そこから生まれた余裕によって、冷たい眼差しを向ける自分自身との折り合いもつけられる気がする。そうして、海の上に降る雨がなかったことにならずにすむ未来に繋がっていってほしいと思った。
(文=佐藤結衣)

