なぜ日本では、路上や駅のホームで「泥酔者」を見かけることがあるのか。日本社会と飲酒に関する著書を持つ米ローズハルマン工科大学のポール・クリステンセン准教授は、「そうした男性の多くは、私のような中流層のホワイトカラー層ではないか。彼らに自制を求めるメカニズムがないのは、彼らが権力を持っている層だからだ」という――。(第2回/全2回)(取材・文=NY在住ジャーナリスト・肥田美佐子)

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■日本では公共空間での飲酒が日常に組み込まれている

――ニューヨーク市では、路上や公園など、公共の場所での飲酒だけでなく、開封されたアルコールの瓶や缶を持ち歩くことも禁じられています。実際、タイムズスクエアで、ビールの缶を持った若い男性3人に警官2人が近づき、どこかに連れて行くのを見たことがあります。

2012年11月6日の大統領選投開票日の深夜、オバマ大統領の再選を祝う人々がタイムズスクエアに押し寄せたときのことでした。彼らは静かに立っていただけで、未成年にも見えませんでした。

アメリカでは、公園や海辺など、公共の場所での飲酒が、より厳しく規制されている都市もある。一方、私は中西部インディア州のテレホート市に住んでいるが、州都のインディアナポリスのように、公共の場所での飲酒が全面的に禁止されていない都市もある。

だが、公共の場所での飲酒が許されている地域でも、日米には開きがある。日本では、昼下がりや夕方にコンビニでビールを買って公園で軽く飲むなど、公共の場所での飲酒が日常に組み込まれているが、アメリカでは、そうした光景は見られない。

撮影=Bryan Cantwell
ポール・クリステンセン准教授 - 撮影=Bryan Cantwell

■飲みたい以上にアルコールを摂取させる「飲み放題」

――居酒屋やカラオケの多くが提供している「飲み放題」のオプションについてはどう思いますか。

若い頃、同じ質問をされていたら、「最高じゃないか!」と言っただろう。だが、(40代の今)改めて考えると、なかなか微妙な問題だと感じる。飲み放題というシステムが、本来飲みたい量以上のアルコールを「意図的に」摂取させる構造になっている。

日本の人々が飲み放題に慣れていることも問題だ。飲みすぎて吐いたり、翌日、二日酔いに苦しんだりと、飲み放題は短期・長期的なアルコールの過剰摂取を招く。だが、飲み放題というシステムが根づいてしまった以上、変革は至難の業だ。

■中流層は泥酔しても守ってもらえる

――日本で​は電車の中で泥酔し、終点まで寝入ってしまっても、持ち物を取られたり、危害を加えられたりすることはめったにありません。屋外で酔いつぶれる人もいます。日本の治安の良さは、飲酒文化にどのような影響を与えていると思いますか。

私は今、東京のホームレス問題について研究を始めたところだが、路上生活者の多くが警察や酔った人々から嫌がらせを受けている。仮に路上生活者が酔っていたら、袋叩きに遭ったり、持ち物を取られたりしかねない。

酔っても一定の身の安全が保障され、守ってもらえる立場にあるのは、山手線で通勤しているような中流層のサラリーマンだろう。その点を明確にしたうえで言うと、日本社会では、ハイレベルの治安の良さが一連の飲酒慣行を可能にしていると言えるかもしれない。

あるいは、人前で酩酊(めいてい)したり寝込んだりする人が多いという日本の飲酒慣行ゆえ、治安の良さが必要とされ、警察によるしっかりした見回りなどにつながっているという面もありそうだ。

■日本の泥酔者は「治安の良さ」を当てにしている

また、これはジェンダー色が強い問題でもある。中年男性は、酔って電車の中や公園、歩道で寝込んでも大した心配は要らないだろうが、女性はそうはいかない。

ハイレベルの治安の良さが飲酒を助長させているとまでは言わないが、治安の良さを当てにし、飲みすぎて車内や公園で寝込んでも大丈夫だと考えるきらいがあるのは確かだろう。つまり、治安の良さが飲酒に関する意思決定プロセスや考え方に影響を与えていると言えるかもしれない。

特に中流層の男性にとっては、ハイレベルの治安の良さが、さらなる飲酒を促す結果になっている。

何年か前、東京に滞在していたときのことだ。夜道を歩いていたら、1人の男性が歩道で酔いつぶれ、彼の胸の上に乗っている携帯電話が鳴っていた。もちろん、見ず知らずの人だったが、携帯電話を手に取って(日本語で)応答したところ、電話の主は彼の居場所を捜していた。私は場所を告げて立ち去ったが、おそらく、誰かが迎えに来たことだろう。

また、ちょうど1年前、東京に3カ月間滞在したのだが、1日に4〜6回、立小便をする男性を見かけた。想定を上回る頻度だった。

飲みすぎて吐いたり、千鳥足になったり、ギョッとするような場所で寝込んだりすることについては、もう少し責任感を持ってもいいのではないか。低賃金で働かされている居酒屋のスタッフが、深酒する客が汚した店内を掃除する羽目に陥るようなことにならないよう、もっと配慮を持つことは可能だろう。要はバランスの問題だ。

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■「中流層の男性権力者」を批判するメカニズムがない

――筆者はニューヨークに移住して何年もたちますが、いまだに、東京のJR駅のホームで、泥酔したスーツ姿のサラリーマンや吐瀉(としゃ)物を必死によけながら歩く夢を見ます。日本社会ではそうした行動が大目に見られているという事実について、どう思いますか。

実は、私もまだ慣れていない。彼らの多くは中流層の男性ではないか。そして、日本社会には、彼らに行動を慎むよう伝えるメカニズムがない。なぜか――。彼らこそが、日本(企業)で「権力」を握っている人々だからだ。

それゆえ、飲みすぎても見逃してもらえるのだろう。その結果、今夜も誰かが吐くほど泥酔するだろうという前提が日本社会で強化され、そうした飲酒慣行が根づいた。日本の飲酒文化を根底から変えることが難しいのは、そのためだ。

(前編で話したように)日本の飲酒慣行は、もともとサラリーマンが主役だったが、今や若い女性にも広がるなど、日本の生活の一部として根付いている。

■「酔っていたから」という免罪符

――前編で、お酒に対する日米の考え方の差を話してもらいましたが、特に、一般のビジネスマンの飲み方は、なぜ日米で大きく違うのでしょう? 文化の差でしょうか。

文化がひと役買っているのは間違いない。おそらく、社会全体のダイナミクス(力学)が関係しているだろう。

自分の行動が招いた結果に対して責任を持つということに関し、アメリカでは昨今、大きな動きが見られる。アメリカ社会で権力と影響力を持ってきた特定の層、つまり、私のような中流層の白人男性も自分の行動に責任を持つことが求められるようになった。

ひるがえって、日本社会ではどうか。正社員として定職を持つ年長の中流層男性、特にホワイトカラー層が自分たちの行動にどのくらい責任を持つよう求められているか。例えば、忘年会や新年会で飲みすぎ、店や駅のホームを汚した場合、その「結果」に対して、どのくらい責任を負っているだろうか。

もちろん、ほかの国でも、その場から逃げてしまおうと考える人もいるだろう。自らの行動に責任を持たなければならない社会構造の構築は、日本だけでなく、どの国にも必要な普遍的問題だ。

とはいえ、日本では依然として、「酔っていた」ことを言い訳に放免される事柄が多いように見える。

■何歳でもIDをチェックされることのあるアメリカ

――アメリカにおける飲酒年齢は21歳、日本では20歳です。日本でも、コンビニエンスストアなどの量販店でお酒を買う場合、レジのタッチパネルを使った年齢確認が実施されるようになりました。

あなたの著書『Japan, Alcoholism, and Masculinity: Suffering Sobriety in Tokyo』(『日本、アルコール依存症、そして、男らしさ 東京で断酒しようと苦闘する』(仮題・未邦訳)には、「私が知る限り、アルコールの自動販売機が広く普及している国は世界中で日本だけだ」と書かれています。ただ、同書の刊行(2014年12月)から8年余りたっており、現在では、日本でも、アルコール自販機の数が大きく減っています。年齢確認や自販機の激減といった動きをどう評価しますか。

いい変革だが、建前と実際の慣習には相違が付きものだ。日本でも、アメリカのような年齢確認のシステムが根付くか、それとも、そうしたシステムが徹底されず、これまでの慣行が続いてしまうのか。

一定の構造を構築することはできるが、(飲酒への緩いアクセスという)長年続いてきた慣行ゆえ、年齢確認に無頓着だったり、年齢を厳しく制限することにさほど関心がなかったりする人もいるのではないか。

ひるがえってアメリカでは、40代の私も、いまだにIDカード(公的身分証)の提示を求められることがある。21歳未満だと思われているわけではない。IDのスキャンなど、小売店による年齢確認が社会システムに組み込まれているからだ。

自販機が大幅に減っていることは認識している。自著を執筆していた頃、ちょうど日本の自販機に年齢識別用IDカード読み取り機が備え付けられ始めたところだった。だが、今でも、自販機は完全に撤廃されたわけではない。東京のどこに残っているか、場所を言えるくらいだ。

最終的なゴールは何なのか。(完全撤廃など)国際的な水準に合わせようとしているのか。それとも、未成年者の購入を防止するために減らしているのか。

■セルフレジでも酒を購入できるようになった日本

――日本では2023年1月末から、コンビニエンスストアのセルフレジにIDカードの読み取り機を備え付けることで、セルフレジでもアルコールが買えるようになりました。この動きについて、どう思いますか。

大変興味深い。私の推測だが、今回の措置は、コンビニエンスストアのアルコールの売り上げ増を目的とするものではないか。時間帯を問わずに気兼ねなくアルコールを買えるようになれば、売り上げ増につながる。

――あなたが指摘するように、日本は他国に比べ、お酒へのアクセスが容易です。しかし、世界保健機関(WHO)によると、アルコール依存症の人々の割合は、日本より規制が厳しいアメリカのほうが多くなっています。なぜでしょうか。

データの集計には「政治」が大きく関わっているように思える。自助グループなど、集計元によってデータが異なる。正確な数字をめぐっては、国内でも異論があるのではないか。

また、文化人類学者は、数字よりも、どう問題に対処するかという点に関心がある、日本であまり議論されていない、隠れた問題とも言えるものは、アルコールの消費をめぐる政策がどのように検討され、作られているのかという点だ。どのくらい多くの人々が飲酒で健康を損ね、自分自身や他の人たちに悪影響を及ぼし、そうした問題がどの程度、社会で認識され、議論されているのかという点も見えてこない。

公式な数字では、確かに日本におけるアルコールの乱用度は低い。だが、年齢確認の緩さや自販機の存在、公共の場所における飲酒や泥酔への寛容さなど、このインタビュー(前後編)で話してきたことすべてが物語っているように、日本は「お酒飲みのパラダイス・楽園」だ。

■日本は「飲酒に対する教育」が行き届いていない

――アルコールへの容易なアクセスや有名人を起用したコマーシャルなど、飲酒に寛容な文化や社会構造をめぐっては、日本政府と大手酒類メーカーのどちらの責任が大きいと思いますか。

究極の責任は政府にあると思う。ひとたび大手酒類メーカーに自主規制を求めると、厄介なことになる。どこまでが道徳的・道義的に妥当なのか、その線引きがはっきりしないからだ。

まず、政府は飲酒に関する教育を徹底すべきだ。アルコールを摂取すると、体がどうなるのか、安全な飲酒量とはどの程度なのかといった事柄を周知させることが重要だ。

写真=iStock.com/krblokhin
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■日本は健康を害するほど飲む若者の割合が高い

――あなたの分析(前編)によると、日本では、「夫は仕事、妻は家庭」という男女の役割分担の下で、「サラリーマン」を中心とする男性社会と飲酒文化という特別な構造が出来上がったといいます。男性は仕事が終わると街に繰り出し、一生懸命働いた自分への「ご褒美」として、また、仕事仲間との絆を深め、一丸となって、より大きな成果を上げるための「手段」として、大いに飲み明かしたと。

しかし、日本でも、コロナ禍を機にリモートワークが進み、職場の人と飲む機会も減っています。また、共働き家庭が増え、男性同士の頻繁な飲み会を可能にしてきた社会構造やインフラも変わりつつあります。こうした変化は、日本の飲酒文化にどのような影響を及ぼしていると思いますか。

確かに日本の一定の層や場所ではそうした変化が見られ、以前ほど飲酒に寛容でなくなったり、飲み会に熱心でなくなったりしている人たちもいる。一部では、特に仕事の一環として、飲み会を「義務」だと感じる雰囲気が薄れていると言えるかもしれない。

だが、2022年7月16日、英主要医学誌『ランセット』に掲載された、飲酒リスクに関する研究結果によると、世界204カ国・地域のアルコール摂取量と健康リスクを調べたところ、日本の若者はグローバルな比較において、飲酒量が有害なレベルに達する人たちの割合が高かった。

日本の国税庁が若者のアルコール離れを憂い、若者に日本産のアルコールをもっと飲んでもらうために、「サケビバ!」コンテストを実施するという報道を目にしたのは、その約1カ月後だ。

注:『ランセット』掲載の研究結果は、「GBD 2020 Alcohol Collaborators(GBD 2020アルコール・コラボレーターズ)」が発表。GBDは、米ワシントン大学「保健指標・保健評価研究所(IHME)」が、162カ国・地域の9000人を超えるコラボレーターズ(共同研究者ら)と手がける「世界の疾病負荷研究」のこと。『ランセット』誌発表の研究はGBDのデータを基に解析。

■アルコール依存症に詳しくない医者が多い

――国税庁は若者に日本産のアルコールをもっと飲んでもらいたいようですが、寛容な飲酒文化に対する究極の責任は政府にあるのですよね? 政府はどのような規制や措置を講ずるべきでしょうか。

まず、アルコール摂取の影響やアルコール依存症に関する教育を充実させることだ。ある日本の医師と話したとき、彼は、こうジョークを飛ばした。「医学部では、アルコール依存症について、わずか30分しか学ばない」と。

つまり、アルコール依存症に関する授業時間は、6年間の学生生活で「滑稽」なほど短いという意味だ。そして、もちろん、それは「危険」なことでもある。医師が患者のアルコール依存症を認識・診断し、治療する態勢が整っていないのだから。患者に十分な情報を与えて治療法を選ばせる「インフォームド・チョイス」が可能になるよう、医療関係者の教育を充実させることが重要だ。

駅のポスターで、飲みすぎるとホームから落ちるぞと警告するよりも、アルコールに関する十分な教育と知識を備えた医療関係者を育成することがカギだ。

■社員の健康には気を配るのに飲み会を強要する不思議

――日本企業についてはどうでしょう? クリスマスパーティーなどの費用は基本的に会社が負担するアメリカと違い、日本企業では従業員が費用を出し合うことが多く、事実上、参加が必須の場合も多く見られます。従業員が飲み会参加への重圧を感じないよう、また、参加しなくても昇進や異動で不利益を被らないよう、日本企業はどのように従来の飲酒慣行を変えるべきでしょうか。

やはり、より良い教育が一助となる。長期にわたる深酒が健康に及ぼす影響を人々が十分に認識するようになれば、従業員は、飲み会を「仕事」の一環として捉えるよう期待する上司などに「ノー」と言いやすくなる。つまり、「健康」を不参加の理由に使えばいい。

従業員の健康に留意するという点から考えると、日本企業の行動には、非常に興味深い「矛盾点」が垣間見える。

会社の健康診断で「メタボ検診」などを実施しながら、一方では飲み会を開く。飲酒に関し、より健全な慣行を促すことこそが、従業員に健康上の目標を達成させるためのストレートなやり方だと思うのだが。こと飲み会となると、話は別のようだ。

■日本の飲酒文化は「家族や自分の時間」を奪っている

――日本の男性が、アフターファイブの飲み会など、日本社会のシステムに組み込まれている飲酒文化によって失うものは?

なんと言っても大きいのは、「家族との時間」だ。そして、趣味など、「自分自身のために費やす時間」も犠牲にしている。

二日酔いで貴重な時間を無駄にすることも問題だ。私が話を聞いた日本の男性の多くは、「たとえ自分自身や家族のために時間を使いたいと思っても、二日酔いで週末がつぶれてしまう」と、こぼしていた。

ポール・クリステンセン(Paul Christensen)
米ローズハルマン工科大学准教授
文化人類学者。現代日本における飲酒文化やアルコール依存症からの回復、ジェンダー、特に男性性などの分野に関心がある。著書に『Japan, Alcoholism, and Masculinity: Suffering Sobriety in Tokyo』(2014年)。サンフランシスコ州立大学で修士号、ハワイ大学マノア校で文化人類学の博士号(2010年)を取得。博士論文は、日本のアルコール依存症と男らしさについて。ローズハルマン工科大学は米中西部インディアナ州にある。

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肥田 美佐子(ひだ・みさこ)
ニューヨーク在住ジャーナリスト
東京都出身。『ニューズウィーク日本版』編集などを経て、単身渡米。米メディア系企業などに勤務後、独立。米経済や大統領選を取材。ジョセフ・E・スティグリッツなどのノーベル賞受賞経済学者、ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェル、マイケル・ルイス、ビリオネアIT起業家のトーマス・M・シーベル、「破壊的イノベーション」のクレイトン・M・クリステンセン、ジム・オニール元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント会長など、欧米識者への取材多数。元『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』コラムニスト。『プレジデントオンライン』『ダイヤモンド・オンライン』『フォーブスジャパン』など、経済系媒体を中心に取材・執筆。『ニューズウィーク日本版』オンラインコラムニスト。
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(ニューヨーク在住ジャーナリスト 肥田 美佐子)