スーパーエース・西田有志 
がむしゃらバレーボールLIFE (5)

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 現在のバレーボール男子代表で、大きな期待と注目を集めている20歳の西田有志。そのバレー人生を辿る連載の第5回は、最後の春高出場をかけた戦いと、ジェイテクトSTINGS加入までの秘話をお送りする。

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海星高校のエースとして活躍した西田 photo by P&P浜松

 2017年7月のインターハイで、初の全国大会ながらベスト16まで進出した海星高校。3年生エース・西田有志は、春高出場、さらに本戦で勝ち進むことを目標に掲げ、同年11月の三重県予選に臨んだ。

 5セットマッチの決勝まで進んだ海星の相手は、やはり絶対王者の松阪工業高校。インターハイ予選決勝では「エース以外にできるだけ得点させない」という戦略をとって勝利を収めた。しかし雪辱に燃える松阪工業はそれに対応し、エースを中心にバランスよく得点を重ねて第1セットを先取した。

 海星は第2セットを奪い返したが、西田は「チームとしてはやるべきことをやれました。でも、キャプテンである僕が全然よくなかった」と振り返る。その原因については次のように話した。

「体よりもメンタル面の問題だったと思います。その時に、初めて『サオリーナ』という大きい体育館でプレーすることになったので、『観戦する人の数が増えるのかな』と考えてしまった。そして何より、インターハイでベスト16になったことが『勝たないといけない』という気負いになってしまいましたね。試合に必要がない感情を持っていってしまいました」

 結果、第3セット、第4セットを松阪工業に奪われ、夢は潰えた。王者の牙城を崩して全国に行けたのは、3年時のインターハイのみ。西田は中学時代に松阪工業からも誘いを受けていたが、「(松阪工業に)入っていたら何回も全国に行けた、と思ったことはないです」と断言する。

「もともと海星も三重県では上位のチームでしたが、松阪工業と全国出場をかけて戦えるチームにまでなった。それだけでも満足感がありましたね。松阪工業には試合中にもいろいろ考えながらプレーしている選手が多かったので、僕も楽しかったですし、たくさん勉強させてもらいました」

 この春高予選の決勝が高校ラストゲームになった。しかし西田は、「もちろん悔しかったですけど、ちょっと複雑だったというか、気持ちがごちゃごちゃしていた」という。同年10月に内定が発表されていた、ジェイテクトSTINGSでの活動がすぐ後に控えていたからだ。
 
 日本の、特に男子バレーは大学を経て実業団入りをする選手がほとんどだ。高校からサントリーサンバーズに入団した越川優のような例もあるが、Vリーガーとは体力、技術の差が出やすい。インターハイでも活躍した西田には大学からもオファーが届いていたが、選んだのはVリーガーになる道だった。

 きっかけは2年時の2016年6月に行なわれた、東海地方の高校が集まる「東海総体」だった。

 当時、海星がたびたび練習試合を行なっていた星城高校の選手の中に、ジェイテクトSTINGSのスタッフの息子がおり、「めちゃくちゃすごいから見てよ」と西田のことを話したという。それがほかのスタッフにも伝わって、「どれほどのものなのか?」と、ジェイテクトSTINGSの寺嶋大樹総監督(当時。現スーパーバイザー)が大会の視察に訪れたのだ。


高校3年時の2017年10月、ジェイテクトSTINGSへの内定が発表された photo by Urakawa Ikken

「よく跳ぶしパワーがある」と思った寺嶋は、プレー映像を当時の監督(現総監督)増成一志に送った。増成の第一印象は「高校生にしてはよくやっている」くらいだったそうだが、数年先の活躍を見据えて声をかけることにした。試合後に西田と話した寺嶋は「本田圭佑みたいだな」と思ったという。

「すごく謙虚なんですけど、時折ビッグマウスというか、自信が言葉に表われるんですよね(笑)」

 寺嶋がその時に話した内容は、高校卒業後、もしくは大学を卒業した後にジェイテクトに入団してほしいというもの。西田は卒業後の進路として、中央大学も考えていた。髪型やネックレスなどをマネしていた、憧れの石川祐希がプレーしていたからだ。

 ただ、西田が入学する年に、石川は大学を卒業していく。それに加え、アンダーカテゴリーでの苦い経験が、高校からのVリーグ入りを後押しした。

 2年時にユース代表に選ばれた西田は、点取り屋ではあったがサーブレシーブが得意だったこともあって、当初は守備専門のリベロとして登録された。それでも、「中学選抜の時に腰を痛めていて、ほとんど練習ができなかったのが心残りだったので、『やっと来たか!』って思いました」と胸を躍らせていたという。

 その8月には初めて国際試合も経験。翌年の3月末に開幕したアジアユース選手権大会には、本来のポジションであるオポジット登録になり、チームは史上初の優勝を果たした。西田は自身のSNSでその喜びを伝えたが、内心は「無念」という気持ちが強かったという。

「一学年上の、鎮西高校にいた宮浦健人(早稲田大4年)さんがレギュラーで、僕はアップゾーンでその活躍を見ているだけでした。もちろん優勝はうれしかったんですけど、それ以上に『自分は何をしにここに来とんのや!』という悔しさがありました」

 身長は宮浦のほうがわずかに高いが、サウスポーのオポジット、強烈なサーブを持っている点も共通している。アジアユース選手権では日本の主将を務め、大会のMVPを獲得。大学でも成長した宮浦は「大学ナンバーワンオポジット」との呼び声も高く、今後は日本代表でも活躍が期待される選手だ。

「宮浦さんに追いつきたい、追いつくだけじゃなくて追い越したいという気持ちが強くなりました。『同じことをしていたら、絶対にあの人には勝てん』と思い、ジェイテクト入りを決心したんです」

 そんな西田のVリーグデビューは、目指していた春高が行なわれていた最中の2018年1月6日。その堺ブレイザーズ戦で、「数年先の活躍を見据えて」スカウトされた西田は、周囲の度肝を抜くパフォーマンスを見せた。(第6回につづく)