韓国スターバックス炎上騒動が想起させる“ナチスの暴行” 李在明政権の「企業統制」を問う
韓国大統領は行政の長であり、国家の元首である(憲法第66条)。韓国人が李在明(イ・ジェミョン)大統領を尊重するのは、彼が「自然人としての李在明」や「共に民主党出身の李在明」を超え、「大統領職(Presidency)」という立場にあるからだ。
大統領は最後の憲法守護者であり、彼が崩れれば国家そのものが消滅しかねない厳重な地位にある。
4.1ユダヤ人商店不買運動の教訓最近、李大統領の巧みな国政運営や高い支持率、選挙における主導力に対して思わず感嘆の声が出ることも多い。
ただ、大統領という地位にありながら、自身の事件の裁判官になろうとする「セルフ免罪法」の推進や、大統領の一言で政府が特定企業への不買運動を主導することについては、「これは度を越している」という思いを隠すのが難しい。
前者は「すべての国民は法の前に平等である」という憲法第11条違反であり、後者は「(国家は)法律が定める場合を除き、私企業の経営を統制したり管理したりすることはできない」という憲法第126条に逆行する問題だ。
いずれも憲法に関わる重大な事案である。
朴槿恵(パク・クネ)や尹錫悦(ユン・ソンニョル)ら歴代大統領が憲法違反で弾劾されたことを、李大統領は反面教師としてほしい。

5.18民主化運動の記念日である5月18日「タンク(戦車)デー」イベントを打ち出したスターバックスコリアが非難されて当然なのは言うまでもない。
だからといって、大統領の側近であるチョン・ソンホ長官の法務部が、根拠となる法律も司法府の判断もなく、民間企業の購買内訳を調べることは正当化されない。
また別の側近であるユン・ホジュン長官の行政安全部や、アン・ギュベク長官の国防部も、公的予算の執行対象から恣意的に特定のブランドを排除したが、これも過剰禁止や職権乱用罪に該当し得ると考える。
5.18民主化運動の偉大な価値は、法治主義の中で守られてこそ輝くのではないか。
政府が違法性が確定していない特定企業に対し、予算権と行政権を振りかざして「官製不買運動」を主導することは、ナチス政権が力ずくでユダヤ人の商店を枯死させた出来事を彷彿とさせる。
1933年4月1日、ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルクなどドイツ全土で、茶色のシャツを着たナチス突撃隊(SA)の隊員たちが、ユダヤ人が経営する百貨店、商店、法律事務所、病院の前に現れ、顧客の出入りを阻んだ。
街のあちこちに「ドイツ人よ、自分を守れ!ユダヤ人から買うな!」という宣伝ポスターが貼られた。ヒトラー首相の就任からわずか2カ月後の電撃的な措置だった。人種洗浄作戦の第1段階である。
聖人君子も怪物に変える権力の逆説ナチスは、政権が不買運動を強制すれば対外的な反発や法的な議論が生じることを懸念し、これを「法の執行」ではなく市民による自発的な愛国運動として装った。
ナチスの4.1不買運動への呼応は芳しくなかったが、ヒトラー政権の執権名分である「神聖なナショナリズム」が暴力へと転換される発火点となった。
1935年にはユダヤ人の市民的権利を法的・制度的に剥奪する国内法が制定され、ホロコーストの幕開けとも言える「水晶の夜」事件が1938年に起きる。
この段階に至ると、ナチス統治下のドイツ人たちは、民族の神聖さを蝕む「害虫のようなユダヤ人」をリンチし、拷問し、殺害することに、さしたる罪悪感を感じなくなっていた。
権力は、正しく使えば国民を繁栄させるが、誤って使えば憎悪犯罪集団に変質させてしまう。
コーヒー会社の広告騒動から90余年前の欧州で起きたナチスの暴行を連想したことには、筆者の偏見や誤解、あるいは過度な想像力が働いたかもしれない。
しかし、民主主義は欠陥だらけの人々の共同体であるという謙虚な前提から出発すべきだと学んだ。
聖人君子が政権を握っても、ある瞬間、怪物になり得るという「権力の逆説」を、我々は歴史の中で幾度も見てきた。
5.18のようにいかに神聖で崇高な価値、道徳的名分に満ちた事案であっても、違反した対象を国家が断罪する際は、必ず憲법と法律が定めた適正手続を経るべきだ。
この教訓を、李在明政権の人々が胸に刻んでほしい。
(記事提供=時事ジャーナル)
