パワハラで部長職を降ろされても「部下のためを思った指導です」「この私が左遷されるなんて…」大手メーカー勤務の男性(53)を加害者にした“歪んだ思い込み”
「相手の気持ちは考えなかった。威厳を保つために必要なことだった」
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そう語ったのは、部下にパワハラを行ったとして降格処分を受けた53歳の男性だ。20数年前、若手社員だった頃「気配りのできる上司になりたい」と語っていた彼に、一体何が起きたのか?
職場でのパワハラや家庭内の不和の背景には、他者や自分をケアする力が乏しいことに起因する男性の「生きづらさ」があるのではないか。そんな問題意識のもと、男性たちの葛藤にジャーナリストで近畿大学教授の奥田祥子さんが迫った『抱え込む男たち ケアで読み解く生きづらさの正体』(朝日新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目)
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「相手の気持ちは考えなかった」
2024年の晩秋、パワハラ加害の認定を受けて懲戒処分を受け、大手メーカーの営業本部長の職を降ろされ、人事部付の役職なしの社員となって約3か月。取材場所に現れた高井光一朗さん(仮名、当時53歳)は、挨拶代わりにちらっとこちらを見たきり、憔悴しきった様子で押し黙ってしまう。数分後、わずかの間天井を見上げたかと思うと、意を決したように鋭い目線を向け、こう話し始めた。

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「すべて部下のためを思った指導です。パワハラ被害を訴えた課長(40歳)は、20代の頃に数年間、営業のイロハを叩き込み、部を離れた後も何かと相談に乗ってやり、営業部に引き上げた部下。総務など複数のバックオフィス部門を経て10年ぶりに営業に戻ってきて戸惑っていたので、早くプレイングマネジャーとして能力を発揮できるよう、精一杯教えたんです」
「パワハラではなかったと、考えていらっしゃるのですね?」
「ええ、そうです。もちろん、ほかの部員がいる前で𠮟りつけたり、執拗に問い詰めたりするようなパワハラは行っていません。まあ、強いて挙げるなら……周囲に人がいないところで、『せっかく営業に戻してやったんだから、もっと頑張って成果を上げろよ』『部下が有能だから、君は楽じゃないか』などと、あくまでも励ますつもりで、笑いも交えて冗談っぽく声を掛けたことは何度かありましたが……。奴が精神を病んだからといって、パワハラと会社が認めて、この私が左遷されるなんて……どうにもやりきれません……」
途中で気持ちが昂ってきたようで、息が荒くなり、いつしか目は充血していた。
これは、自分の管理・指導方法や仕事に対する価値観が正しいという「思い込み」から、日常的に部下の考えや要望を聞くなど相手を「ケアする」ことができず、「冗談」を装いつつ、一方的に指示、命令を続けるという、マイクロアグレッションの要素があるハラスメントの事例である。加害者にその自覚はなく、本人曰く、「指導」や「励まし」のつもりであっても、被害者は心に大きなダメージを受けたと考えられる。その部下はうつ病の診断書を提出して約1か月半、休職したという。
部下と接するプロセスにおいて、相手に関心を払い、上司の自分に何を求めているのかを把握して配慮するなど、ケアすることの重要性に気づいていれば、ここまで深刻な事態を招くことはなかったのではないか。
呼吸が落ち着いてきた頃を見計らい、こう尋ねてみた。
「部下がどうして、職務に戸惑っていたのか、理由を尋ねましたか?」
「いいえ。成果を上げるしかないわけですから、理由を聞いてもしょうがないです」
「その『指導』を相手がどう受け取るかは、考えなかったのでしょうか?」
怒りを露わにするかとも思ったが、高井さんは意外にも淡々とこう答えた。
「相手の気持ちは考えなかったですね。上司から部下への指導とは、自分が正しいと思っていることを伝えるものですから。上位の管理職である営業本部長としての威厳を保つためにも、必要なことでした。その考えは今も変わりません」
それ以上、質問しても、答えてはくれなかった。
パワハラ問題を取材していて、「相手のためを思った指導だった」と主張する加害者は少なくない。だが、これまで長年の継続取材を通して理解してきた人物像から、高井さんに限って、ハラスメント行為に及ぶような人物であるはずがない、と考えていた。
それが筆者の思い込みであったことを知る。
継続インタビューを始めた頃、当時29歳の高井さんは、上司との人間関係で苦しんでいた。上司から「ケアされない」つらさを身をもって経験していた彼がなぜ、パワハラ行為に及んでしまったのか。この20数年に及ぶ取材を振り返りながら考えてみたい。
「厳しい指導」で休職した過去
高井さんとの出会いは2000年までさかのぼる。成果主義人事制度の導入による職務の個人化や職場のコミュニケーションの希薄化などにより、メンタルヘルス不調を訴えて欠勤、休職する社員の増加について、取材・調査を始めて間もない頃だった。
その頃の高井さんは、メンタルクリニックで適応障害の診断を受けて約1か月半にわたり休職し、職場復帰から半年ほど過ぎた時期。快くインタビューを受けてくれたものの、体調が気がかりで、質問の言葉選びに苦心したことを昨日のことのように思い出す。
綴じ糸がところどころ切れて変色した取材ノートには、彼の生気のない表情や体を丸めた不安げな姿勢など、非言語コミュニケーションの様子を克明に記録している。
「今も月に1回程度通院していますが、薬は精神安定剤を必要なときに飲んでいる程度です。先生に頼んで『うつ病』ではなく、精神疾患の程度が弱い印象のある『適応障害』の診断名にしてもらったぐらいですから、それほど症状は重くなかったんです。仕事に取り組む意欲を失ってしまったことが、休職することになった理由でして……」
挨拶を交わしてから10分ほどの間、沈黙を挟んでなかなか取材を開始できる雰囲気ではなかったのだが、うつむき加減だった顔を上げ、彼が小さい声ながら語り始めた。それを受け、ようやく核心に触れる質問を投げかけた。
「つらい経験をされたようですが、何がきっかけだったのですか?」
「そうですね。入社以来希望していた営業部に異動してきて、意気込んでいたのですが……。上司の課長から『仕事を取ってくるまで、帰ってくるな』などと𠮟られ続け、厳しい指導についていけなくて……。私が質問したり、自分の考えを話したりしても、全く聞く耳を持たない感じで、意思疎通も図れなくて……。情けないです……。でも……職場復帰してからは、周囲の人たちに助けられて、ようやく調子が戻ってきたかな、という感じなんです」
「気配りのできる上司になりたい」
その課長は、高井さんが休職から職場復帰する直前、定期人事異動で営業部内の別の課の課長へと異動した。以前から内々に決まっていた人事であると部長からは聞かされたという。
2000年当時は、ある書籍をきっかけに、「パワハラ」という和製英語が世に出る3年ほど前。厚生労働省がパワハラの定義を初めて公表するのは、12年後のことだ。今となっては、高井さんが受けた「厳しい指導」をパワハラと断定することはできない。職場で優位に立つ者による指導やコミュニケーションの方法によっては、相手の心身にダメージを与えるという認識に乏しかった時代、彼が職場復帰して仕事の調子を取り戻すまでの苦労はいかばかりか、想像に難くなかった。
「周囲の人たちに、どのように助けられたのか、教えていただけますか?」
「新たに着任した課長が私の意見や要望をよく聞いてくれ、担当する職務についてわかりやすく説明してくれる人で……少しずつ、営業の仕事にも慣れてきました。課長以外、人はほとんど変わっていないのに、まるで違う職場のようです。それから、別の部署にいる同期のみんなが励ましてくれて、感謝しています」
感情の表出を努めて抑えていた高井さんの顔にはいつしか、笑みがこぼれていた。
「私も、いつか管理職になれたら……部下や職場の皆さんに気配りのできる上司になりたいと思っています」
そう真剣な表情で言い切ったのが、印象に残っている。
その後のインタビューでも、職場の人たちと人間関係を育む努力を重ねている様子だったが、出会いから5年ほど経た頃から、連絡しても取材を断られるか、返信がない状態が続く。
「ケアできる」上司とはかけ離れた管理職に
もう継続インタビューは難しいかと諦めかけていた2010年、不意に高井さんから連絡が入る。3か月前に39歳で同期の先陣を切って営業部の課長に昇進したという。1週間後、会って話を聞くと、課長ポストを手にするまでには並々ならぬ努力があったこと、さらに職場の対人関係に対する考えに変化が生じたことを知る。
「われわれ団塊ジュニア世代は、常に厳しい競争にさらされてきましたからね。係長から課長になるまでのこの数年間は、特に大変でした。営業という実績が比較的見えやすい部署でいかに得点を稼ぐか、と同時に失敗して減点されないか……。そんな中で……同期はライバルとして敵視する仲になりました……」
以前よりも「声が大きい」「堂々とした雰囲気」と、取材ノートにはある。
「かつて上司の厳しい指導がきっかけで心の病を患って休職された時に、同期の皆さんが励ましてくれて感謝している、気配りのできる上司になりたい、とおっしゃっていましたけれど……。あのー、失礼ですが、考えが変わったということなのでしょうか?」
高井さんが眉をひそめ、その表情の変化を悟られないようにやや視線を落とす。そして、こう切り返した。
「会社という組織で生き残っていくには仕方ないですよ。職場の人間に気を遣っていたら、自分が足をすくわれますから」
部下たちを「ケアできる」上司とはかけ離れた課長になっている高井さんの姿を前に、適切な質問もできずにもどかしさを感じた取材だった。
それからも、高井さんは46歳で部長、50歳で営業本部長就任という出世街道を歩む。この間も、当初目指していた管理職像からは、ますます遠ざかっていくのが見て取れた。
改正労働施策総合推進法(通称「パワハラ防止法」)が施行された翌年の21年、営業本部長ポストに就いて数か月が過ぎた彼に、職場のパワハラ防止対策について意見を求めると、「今どきの若い社員は指導をいじめと捉え、困ったものです」とパワハラ対策と真正面から向き合っている姿勢が見られず、認識の甘さに危うさを感じたものだった。
会社員終盤、消費者の心に寄り添えたら……
そうして、冒頭で紹介した2024年晩秋の場面へとつながる。パワハラと認定されながらも、「指導」と言い張り、「相手の気持ちは考えなかった」と話す高井さんは、かつて上司の厳しい指導でつらい経験をした頃の彼と同一人物とは、とても思えなかった。
しかし、パワハラ加害の経験が皮肉にも、彼に「ケア」の心を思い出させることになるのだ。
人事部付となってから数か月後、定期人事で役職なしのまま、消費者サービスセンターに異動する。自ら希望した部署だった。25年秋、異動から半年が過ぎ、54歳になった高井さんはインタビューでこう思いを明かした。
「懲戒処分を受けて人事部付になっている間、30年の会社員人生を振り返るなかで、自分が上司との関係でつらい経験をしているにもかかわらず、上司になって部下がどのような助けを必要としているのか、またどんな気持ちで何を考えているのかなどを聞こうとせず、自分の考えを一方的に押しつけていたことにやっと気づきました。遅きに失したかもしれませんが、せめて会社員人生の終盤に、消費者の問い合わせや相談に応じる部署で皆さんとつながりたいと考えたんです。苦情も受けますし、戸惑うことが多いですが……まずは電話口の向こうのお客様の声に真摯に耳を傾け、その心に寄り添えたらと思い、日々努力しているところです」
懲戒処分を受けた降格人事とはいえ、勤務する会社では営業本部長経験者が同センターで電話対応業務をするケースは初めて。自分から申し出て、本来の庶務業務のほか、週に3日、若手社員や契約社員、派遣スタッフに交じって業務に当たっているという。
「私が課長に昇進した時、部下たちに気を配ることのできる上司になるという考えが変わったのか、尋ねられましたよね。実は……自分が若い頃に目指していた管理職になっていないことは重々わかっていたし、そのことが心のどこかでずっと引っかかってはいたんです。自分を偽るのはストレスになるし、自身を労れなかったことでもありますよね。定年まであと数年と残り少ないですが、会社員人生の最後にお客様や同僚たちを思いやることのできる社員になれれば……。漠然とではありますが、そう願いながら仕事に取り組んでいます」
そう言い終えると、安堵した表情で取材場所の喫茶室の窓から、家路を急ぐ会社員の姿を目で追った。四半世紀に及ぶ長期インタビューで、最も穏やかな面持ちに見えた。
〈女性上司への“フキハラ”を繰り返した男性社員(27)が女性に苦手意識を抱いた意外な理由「SNSで『女性は得だな』とつぶやいたら誹謗中傷の嵐で…」〉へ続く
(奥田 祥子/Webオリジナル(外部転載))
