「全然やりたくない」から始まったプロレス人生。ヒールレスラー上谷沙弥が語るアイドル時代の挫折と転機
「弱い自分とサヨナラしたい」
そう決意して、ヒールレスラー(=悪役)に転向した上谷沙弥(かみたにさや)選手。
アイドルを夢見て、100回以上オーディションに落ち続けた10代。「全然やりたいと思わない」のにプロレス界に飛び込んだ20代。試合中に大泣きして、一人でバックステージに戻った夜もありました。
そんな上谷さんはいま、女子プロレス界の頂点に立ち、プロレス大賞2025では女子選手として初のMVPを受賞するなど、女子プロレス界をけん引する存在になりました。
2月に発売された初の自伝に込めた思いとともに、これまでの挫折、そしてヒール転向を経て見つけた「自分らしさ」について聞きました。
後編: 「自分の気持ちに嘘をつくな」ヒールターンした上谷沙弥が伝えたい、本当の自分でいることの大切さ
まさか自分に出版オファーが来るとは!
――出版のオファーが来たのは去年の5月ごろだったと聞きました。そのときはどんな気持ちでしたか?
「まさか自分に」という驚きでいっぱいだった。でも、ヒールレスラーになってメディアを通して私を知ってくれた人も多いと思うから、アイドルオーディションに落ちまくったことやベビーフェイス時代の挫折とかも全部を知った上で、リング上の私を見てほしいと思ったから出版を決めたよ。
――文章をご自身で書かれたと聞きました。書いてみてどうでしたか?
当初はライターさんに書いてもらう予定だったんだけど、打ち合わせを進めるなかで「自分の内面は自分が一番わかってる」と気づいたから、自分で書くことにした。
それで、書き始めたらすごく楽しくて! 普段はまったく本を読まないし、文章を書いた経験もなかったけど、予想外にスラスラ書けたよね。「私って書くのが好きなんだ」っていうのが、去年の大きな発見だった。
――順調に執筆していく中で、筆が止まった章はありませんでしたか?
幼少期や学生時代のことは、記憶が遠すぎて思い出すのに苦労したな(苦笑)。あと、アイドルオーディションに落ちまくっていた時期のことを書いたときは、自然と涙が出てきて……。当時がいかに辛かったか、改めて思い知ったよ。
でも、基本的にはすごく楽しかった! 章ごとのタイトルや項目の分け方も提案したし、表紙や中の写真のイメージも相談しながら形にしていった。各ページのデザインも、ベビーフェイス時代はキラキラした装飾で、ヒールターン(ヒール=悪役への転向)後は黒いザラザラした装飾にしてもらったり、各章の扉はスポットライトが当たっているデザインにしたり。こだわりがたくさん詰まった1冊になったよ。
――完成した本を手にしたときはどんな気持ちでしたか?
めちゃくちゃ嬉しかったよ。試合や仕事の合間を縫って、一生懸命書き上げたから、すごく愛情がこもった作品になった。完成した本をはじめて手にした瞬間、「やっと形になった、やっと発売できる!」って。そんな気持ちでいっぱいだったよ。
100回落ちても、母だけは「次は絶対受かる」と言い続けた
――書きながら当時の気持ちがよみがえってきたとお話されましたが、そもそもアイドルを目指したきっかけは何だったんですか?
小学生のころにダンスをはじめて、中学生のときには日本大会で優勝して、ラスベガスの世界大会に出場して準優勝。高校生でEXILEのバックダンサーもやらせてもらったときは、 「自分もスポットライトを浴びたい、前に出たい」 と思うようになった。ちょうどそのころにAKB48が大ブレイクしてたから、自然とアイドルを目指すようになったよ。
でも、全然オーディションに受からなかった。唯一受かったのは「バイトAKB」。時給1,000円でAKBメンバーとして活動できるというオーディションで、13,000人以上のなかから選ばれたんだけど、契約期間が終わったら、また振り出しに戻ってしまったんだ。
その後は、地下アイドルも含めて、100回以上はオーディションを受け続けたかな。
――100回も!? オーディションを受け続けていた時期は、どんな気持ちでしたか?
落ちるたびに、自分を否定された気がしていたよ。世界から「お前はいらない」って言われているような気がして、自分のことがどんどん嫌いになっていって……。
オーディション会場に向かう途中で、ファミレスで時間を潰して、そのまま行けなかったこともあったな。それでも諦められなかったのは、アイドルになりたい気持ちが強かったから。挑戦し続けられたのは、母がいつもそばで応援してくれていたからだと思う。
――お母さんはどんなサポートを?
私は歌が苦手だったので、カラオケに付き添ってくれたり、ダイエット中はジムに一緒に通ってくれたりしていたよ。お母さん、隣で走ってくれて。まわりにアイドルを目指す仲間がいなかったから、母が「じゃあ私も行く」と、いつも隣にいてくれたんだ。
オーディションも一緒に探してくれたね。それがきっかけで太田プロに所属して、演技のレッスンにも参加したんだけど、あまり向いてなかった(苦笑)。
オーディションに落ちるたびに、母は 「次は絶対受かるから」「諦めずに頑張ろう」と、声をかけ続けてくれていたよ 。
――お母さんの存在が大きかったんですね。
そうだね。本当に大きかった。でも、応援してもらえることへの嬉しさより、申し訳ない気持ちのほうがずっと強かった。たくさんサポートしてもらってるのに、なかなか結果が出せない悔しさとか、いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、正直しんどかった。
「全然やりたくない」から始まったプロレス人生
――その後、どんな経緯でプロレスに関わることになったんですか?
アイドルになれる可能性があるなら何でも挑戦しようと思って、毎日バイトをしながらオーディション探しをする日々を送っていて。そのなかで、スターダムの中野たむ選手がプロデュースするアイドルグループのオーディションを見つけたんだよね。
主催がプロレス団体ということで、かなり悩んだけど、「CDデビュー」と書かれていたし、応募条件はすべてクリアしていたし、何よりアイドルへの気持ちを諦められなかったから、締め切りギリギリで申し込んだんだ。
面接のときに、「プロレスは怖いからしたくない」って伝えたら、「プロレスっぽい振り付けはあるかもしれないけど、試合はしない」と聞いて安心してたんだけど、気がついたら練習生になってた(苦笑)。
――はじめてプロレスを目の前で見たとき、どんな印象を受けましたか?
正直、怖かった。それに、同世代の女の子同士で戦っているのが衝撃だった。なんで殴り合ってるんだろう、なんでいがみ合ってるんだろうって。でも、すごくカッコいいって思ったよ。
ただ、自分が住む世界とは全然違うと思っていたから、練習生になってからも、心のどこかで「こんなことやりたくないのに」ってずっと思ってた。
しかも、プロレスを始めることを母に大反対されたんだよね。それまでずっと応援してくれていたぶん、ショックはすごく大きかったし、それがひっかかってプロレスに集中できない時期もあって……。
――それでも、プロレスを続けられたのはなぜですか?
当時、私はもう22歳になっていたし、アイドルとしては、正直もう先が見えない気がしてたんだよね。でもプロレス界に来たら、アイドル時代はコンプレックスだった身長の高さや体つきのよさを褒められたんだ。
自分では嫌だった部分が、ここでは全部強みになる。 「もしかして、ここが自分の居場所なのかな」 って、直感でそう思ったよ。
アイドルになれなかった自分が、なぜかここにいる。確かな理由なんてありませんでした。「もしかして、私がいるべき場所はここかもしれない」という直感だけを頼りに、上谷沙弥さんのプロレス人生は動き出しました。
しかし、その場所で自分らしくい続けることは、決して簡単なことではありませんでした。
後編: 「自分の気持ちに嘘をつくな」ヒールターンした上谷沙弥が伝えたい、本当の自分でいることの大切さ
プロフィール
EXILEサポートダンサーやバイトAKBなどで活動後、2019年にプロレスデビュー。抜群の運動神経で注目を集め、2019年度の新人王を獲得。2020年2月16日の新木場1St RING大会で林下詩美の勧誘を受けQueen’s Questに加入。2021年のシンデレラ・トーナメントで初優勝を飾ると、同年12月29日の両国国技館大会で中野たむを破りワンダー王座を初戴冠。2024年6月に”1人QQ”となってしまうが、7月28日札幌大会で突如H.A.T.E.に加入。同年12月29日の両国国技館大会で中野たむを下しワールド王座を初戴冠した。2026年2月に初の自伝『アイドルで落ちこぼれだった私がプロレス界のセンターに立った話』(KADOKAWA)を発売。
X(旧Twitter) @saya_h_a_t_e Instagram @saya_h.a.t.e「ALL STAR GRAND QUEENDOM 2026」
2026年4月26日(日) 神奈川・横浜アリーナ
詳細:https://wwr-stardom.com/queendom2026/
取材・文:安倍川モチ子
撮影:ナカイマホ
編集:内藤瑠那
