「握手してください」と頼んだファンが→「豊さん」「蘭ちゃんさん」と呼び合う仲に…水谷豊が明かす、妻・伊藤蘭との結婚秘話〉から続く

 36歳で再婚し、38歳で初めて父親になった水谷豊。娘・趣里の名前は、妻・伊藤蘭が書いた“あるメモ”から生まれたという。

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 唯一無二の親友だった松田優作の死を経て、娘の出産に立ち会った日、水谷の人生観も静かに変わった。『水谷豊 自伝』(新潮社)より、愛娘・趣里誕生をめぐる、夫婦2人の記憶を振り返る。(全4回の2回目)


水谷豊 ©︎文藝春秋

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親友・松田優作の死に打ちのめされた翌年に訪れた喜び

 親友の死に打ちのめされた水谷だったが、翌90年の秋には、大きな喜びに包まれた。長女が誕生して、家族が増えたのだ。

「誕生日が優作ちゃんと同じ9月21日でね。偶然だろうけど、あれはビックリした」

 伊藤の陣痛が始まったとき、水谷はテレビ朝日系列の『ザ・刑事』(90年)の収録中だった。架空の六本木警察署が舞台のドラマで、水谷は矢島慎吾という捜査一係の刑事を演じている。共演は丹波哲郎、片岡鶴太郎、江口洋介、榊原郁恵らで、23回にわたって放映された。

「ディレクターに頼んで収録を抜け出し、病院に駆けつけました。僕はもうそこにいるだけが精一杯で、蘭さんに声も掛けられなかった」

生まれたばかりの娘を抱き上げ味わった初めての感情

 陣痛は約8時間続き、水谷はその間、妻の手を握り締めて見守った。

「娘が生まれる瞬間は、身体が金縛りになったような状態で、固まっていました」

 自然分娩の出産に立ち合い、生まれたばかりの娘を抱き上げたとき、水谷はこれまでに経験したことのない感情を味わったという。

「まさに授かりものだと思いましたね。しばらくは躁状態でした」

 そのときの感動を週刊誌の取材でも語っている。

〈〈女性のすごさを、目の当たりにして、無条件で尊敬するっていうか、これだけすごいことができる女性って存在感に圧倒されたんです。いやね、オーバーじゃなく、人生観、変わっちゃいましたよ〉(『女性セブン』2000年2月10日号)〉

愛娘「趣里」の名前に込めた想い

 伊藤もまた、出産後に週刊誌の取材に応じて、喜びを語った。

〈〈『ホヘーッ』という小さな産声でしたけど、顔を見たら、すごく可愛くて……(中略)。母親の実感と言われても、まだピンとこなくて……。それより、出産の大変さは想像を絶するものがありましたね。(水谷が側に付き添ってくれたことには)でも私、夢中でしたので、あんまり覚えていないんですよ(笑)。でも、ずいぶん励ましてくれて感謝しています(中略)。(水谷が最初に娘を抱いたときは)変に上手で(笑)、はじめっからこわがりもせずに、きちんと抱いていましたね。きのう、オシメの練習をしてました。上手ですよ(中略)。自分が将来、結婚も、出産もしないだろうと思っていましたので、遅かったけれど、この日が迎えられてすごく幸せです(中略)。月並みですけど、人の気持ちのよく分かる、思いやりあるやさしい女の子に育ってほしいです〉(『週刊明星』1990年10月18日号)〉

 娘の名前は、水谷が「趣きのある世界が好き」なので、「趣という漢字を使う」と決めていた。名付けを終えなければ、出生届が出せないのだが。

「だけど、どんな文字と組み合わせて名前にするか、なかなか決まらなくて。もう諦めて別な名前を考えようかと思っていたら、ある日、テーブルにメモが置かれていたんですよ。蘭さんが書いたもので、趣の下に里を付けると趣里という名前になる、と教えてくれた。だから、趣里の名前は彼女と2人で考えたんです」

できるだけ長く俳優を続けようと決意

 戸籍に娘の名前が記載された頃だ。違う世界が見つかったら、いつでも俳優を辞めようと思っていた水谷が、できるだけ長く俳優を続けようと思ったのは。

「娘が生まれて、自然にそういう気持ちになったんですよ。自分が選ぶというより、オファーがあってこその仕事だから、一生やるとまでは言い切れないけどね」

 36歳で再婚。38歳で父親になった水谷は、これまでの人生で何かを意図的に変えようと思ったことはないと言う。

「僕は変わる努力はしないんです。むしろ、変わらないものを持ち続けている方が大事かな。本当に必要なら、自然に変わりますよ」

〈「こんなに仲がいいのに、どうして」水谷豊が初めて明かす、及川光博との“不仲説”の真相と『相棒』の知られざる舞台裏〉へ続く

(水谷 豊,松田 美智子/Webオリジナル(外部転載))