作新学院は進学クラス、1年で完全試合 “怪物・江川”「球が浮くのが見えた」 マスコミ不信は15歳から

写真拡大

プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

作新学院で2回の完全試合を含むノーヒットノーラン12回。
高校時代から数々の伝説を残し“怪物”と呼ばれたレジェンド・江川卓。
少年時代から作新学院、甲子園までの伝説を本人の言葉で回顧する。

(前編からの続き)

【早慶戦に憧れて作新学院進学クラスへ伝説】

徳光和夫:
小山高校も結構当時実績あったと思うんですけど、なぜ作新学院をお選びになったんですか。

江川卓:
中学校の時に、早慶戦をたまたま見る機会がありまして、その早慶戦を見た時に、この応援合戦って、この雰囲気がいいなと思って。
早慶どちらかに入りたいっていう。

徳光:
プロ野球じゃなくて。
当時大学野球か。

江川:
大学野球一本です。
甲子園もちろん、「甲子園に出たい」、「春も夏も出たい」。それから「早慶戦やりたい」ということで。
父親が学校を選んでいくわけですけど。
父親がっていうと、まだ変なようなんですけど、父親は怖かったので。

徳光:
怖そうですよね。

江川:
「はい」しか言ったことがなかった。「はい」しか言ったことがなかったので、一応おやじが。
転校したばっかりですから、ここがまたミソなんですけど。
静岡に2年までいて3年生に転校してきてるんで。
周りの(高校の)状況は分からないですよね、どこがどこだか。
転校したばっかりなので。受験ですから。
で、すぐにね選んだのが、ちょうど父のお兄さんが大宮におりましたので、そこにまず養子に入って、一応、浦和高校か大宮高校に進学しろと。

徳光:
埼玉県の名門じゃないですか。

江川:
両方とも甲子園も出たことありますしね。
それを父親が調べて、一応願書を出したわけですね。
受験したいという願書を出したら、埼玉県の方からはダメだと。
県を越えて受験しないようにと。

徳光:
公立校ですからね。

江川:
一応県内で受けてくださいと言って。
(願書を)小山高校に出そうと思ったんですけど。
その時小山高校が、商業科と農業科なんかしかなかったんですよ。
普通科がまだできる、僕が受験の終わった次の年から普通科ができますっていう。

徳光:
そうなんですか。

江川:
この話は皆さん知らないので、意外に「なんで地元行かないんだよ」っておっしゃったんですけど。
一応、目標は早慶なので。

徳光:
作新学院は、早慶に進んでいる人は結構いたわけですか?

江川:
そんなに多くなかったですけど、作新学院に「進学クラス」が1クラスある。
それで父親が、じゃあもう進学クラスに行くがもう。公立ないから、今から間に合わないですよ。
(願書)出しちゃって戻ってきちゃったんで。栃木県の公立は行けないので。
もう私立行くしかないっていうんで。

徳光:
大宮の方に出しちゃったからね。

江川:
出しちゃったから。
それで私立の作新学院になったんですね。

徳光:
なるほど。
作新はそうすると、受験コースの方に行かれたわけですか。

江川:
これがですね、毎月試験があるんですよ。毎月試験があって、上位30人だけが2年生になったら特別の進学クラスに入るっていう。

徳光:
ふるいにかけるわけだ。学力で。

江川:
決まってまして。1クラス60人で16クラス、900人いるんですけど、900人の中で30人だけがクラスに入れる。

徳光:
なるほど。

江川:
毎月試験を受けたら30人の中に入ってたので、一応作新学院の進学クラスって7時間授業なんですよ。普通6時間じゃないですか。
僕1時間、練習遅れて行ってるんですよ、7時間授業なんで。

徳光:
そうか。

江川:
だから野球部に入ってて、そのクラスに入ったっていう人は、当時70年ぐらいたってましたかね、70年、80年たってたと思います、学校が。
1人もいなかったんですよ。

徳光:
そうでしょうね。

江川:
という話です。

徳光:
作新のやっぱり歴史。

江川:
僕しか知らないのでウソっぽいけど、しょうがないですよね。

徳光:
そうですよね。

江川:
信用するしかないですもんね。

徳光:
全然ウソっぽくないです。

遠藤玲子(フジテレビアナウンサー):
いや、信用…。

徳光:
すごい江川さんのやっぱり解説ぶりとかね。
それからピッチャーとしまして、やっぱり能力と言いますか、知的能力ですね、それを見ておりますと話が分かりますよね。

江川:
ここまでは本当っていうことでいいですか、一応は。

【1年生で栃木初の「完全試合」 “怪物・江川”ついに誕生伝説】

徳光:
そしてついにですね、もう「作新学院に江川卓あり」ということになるわけでございますけど。
ここからがすごいんだよね。

遠藤:
早速、1年生の夏の栃木大会で完全試合を。1年生でですよ。

[ 作新学院1年(1971年)夏 栃木大会
2回戦 10 - 0 足尾 救援 5回無安打無走者
3回戦 5 - 0 足利工大付 先発 8回3安打無失点
準々決勝 4 - 0 烏山 完全試合
準決勝 3 - 5 宇都宮商 先発 延長11回無死まで(自責点3) ]

江川:
これあのそうなんですよね。栃木県でやった人がいなかったらしくて。

徳光:
烏山高校?

江川:
初めての完全試合を1年生がやっちゃったんで、また大騒ぎになったんですよ。
それまでは、取材に来られるのが地方紙の方だけなんですよ。
そのころから、完全試合やって終わったころから東京から取材が「うわー」っと来る。
雑誌とか新聞が、それから東京からみなさん来られるようになって、インタビューをされる。
その最初のインタビューで答えてたのを読んだら、まるっきりウソを書かれてたっていう。

徳光:
え、どういうふうに?

江川:
ウソっていうかね、なんと言うかね、ちゃんと答えてるんだけど、全部脚色した、もうできた文章にこうあてはめていくみたいな。やり方あるじゃないですか。
それを読んだ時にものすごいショックで。
それまでは一応、真面目で好青年と自分で思ってましたから。
その文章読んだ時に、こんなになっちゃうのって思って。

徳光:
そこに書かれていた江川卓たる人物は、全然好青年でも…。

江川:
なんでもなかったんですよ。
僕じゃ…「えっ、僕のこと?」っていう。
それで僕は決めたんですよ。マスコミに対しても冷たく当たっていこうと。そこで決めたんです。
その時に「怪物」っていうのもつけられたんです。

徳光:
ていうことは、「怪物」ってマスメディアがつけた、このニックネームと言いましょうか、これに対しましては、ちょっと抵抗があったんですか?

江川:
僕、自分でミッキーマウス派だったんで。耳大きかったんですよ。
今ね、人の話聞かないからちっちゃくなりましたけど。
ミッキーマウスっていうイメージだったので。
でも「怪物」って書かれたんで、「そりゃねえだろ」って思いましたよ。

徳光:
初めて聞いたな。

江川:
本当に。

徳光:
ミッキーマウスだったんですか?

江川:
ミッキーマウスだと思ってましたから。

遠藤:
でもミッキーマウスだと、ちょっとあんまり…この感じ、何でしょう。

江川:
今の顔見てるからですよ。15歳のころ、ミッキーマウスだったんですよ。

遠藤:
かわいらしいイメージの、その当時、だったんですね。

江川:
かわいらしいミッキーマウスだったんですよ。

【球が浮くのが見えた ノーヒットで選抜出場目前に…伝説】

遠藤:
夏は完全試合されて、1年生秋の関東大会では、1回戦でデッドボールを受けてしまったと。

[ 作新学院1年(1971年)秋季関東大会
1回戦 1 - 2 前橋工 4回までノーヒットノーラン。5回頭部に死球を受けて退場、その後逆転されて敗戦 ]

江川:
それはですね、栃木代表かなんかになって、群馬と試合が。
当時、群馬と栃木が当たるんですけど、それを勝つとたぶんセンバツに選ばれる可能性があるという試合で、またその日が調子良かったんですよ、これ。
もう、きょう自慢していいっていうんで。
何度も話しますけど、1回の2アウト目ですね。2アウト、3アウト目か。3アウト目から。2・3・4回と連続10三振取ってたんです。

徳光:
ほーすげえなあ。

江川:
その時は、投げたボールがピューンと浮いていくのが見えたんです、本当に。

徳光:
自分で?

江川:
自分で。珍しいんですよ、それ。人生に何回か見えたうちの1回なんですけど。

徳光:
そういう証言する打者はかなりいますけども、ご自分で見えた?

江川:
自分で見えたんですよ。投げたらこのフワーンと上がっていくのが見えたんですよ。
だからきょうはもう、この試合はノーヒットノーランか完全試合になるって思ってました。
それで、5回か何かに、ランナー2塁でパッターボックスに立った時に、調子もいいし連続10三振なので、すごくいい気になってましたよね。

江川:
それで、ちょっと踏み込んで打ちにいったら、頭にデッドボールが当たりまして。
当時、ヘルメットは耳付きじゃなかったんです。僕、1個だけ学校に耳付きが来たので、「僕がかぶるから」って言って。
それで僕、耳付きをかぶってたんですけど、こう当たって、耳付きのヘルメットが割れましてね。ひびが入って割れまして。
で、耳から出血がありまして、そのまま病院に救急車で。

江川:
その回の裏かなんかに先輩が投げたんですけど、2点取られちゃって2 - 1で負けるんですけど。
病院で一応、父親が見に来てたもんですから、父親と母親が。
一緒に救急車に乗って病院に着いた時に、お医者さんが「脳からの出血だったら助かりません。耳から内耳かなんかの出血だったらなんとか大丈夫です」っていうのは聞こえたんですよ。「えっ、どっちなの?」みたいな。頭もガンガン割れそうなんですけど。
そしたら、脳からの出血じゃなかったので、「1週間か2週間入院していただければ大丈夫です」って。

徳光:
よかったですね。

江川:
ところが父親に、その時怒鳴られまして。
なんで、はってても1塁いかないんだって、怒鳴られたんですよ。
で、3日で退院させられたんですよ。まだ血出てたのに。

徳光:
鉱山技師怖いですね。

江川:
怖いですね。ここで何やってるんだ。練習やれって。
病院の先生「ダメだって、動かしちゃいけない」って言うんだけど、「脳じゃないでしょ」って言って。もう帰るって。

【「打たれない」と確信 人生で3回最高の投球伝説】

徳光:
ご本人に伺ってもそうだし、ほかの人から伺っても、すごさはずいぶん伝わっているんでありますけども、ご自分で、やっぱりすごい、「自分のボールはバッターは打てない」というふうに自覚すると思うんですけども。
したでしょう?高校1年・2年生ぐらいの時には。

江川:
だから一瞬思ったのは、さっき連続10三振の時は、たぶん「これは浮いていくから無理だな」と思いました。それ1回だけ見たんですね。
あとは大学で1回あるんですけど、途中で。あとプロで1回、3回あります。

徳光:
そう、自分の浮いたってやつが。

江川:
浮いたのと、あとは大学はちょっと割愛するとして、長くなっちゃうんでね。
プロの時は、(3年目)20勝のあとに。
これも普通に言うと信用しないんですよ。でも一応言ってみますよ。

江川:
あまりに調子が良かったんで、こう(ピッチャーの)手から離れる前って、バッター打てないのは分かりますよね。
手から離れる前は、バッター打つことできないじゃないですか。

江川:
でも、手からパッと離した瞬間に、バンってミットに入っている時がありまして。
で、こうパンッと投げた瞬間に、「これ打つ時ないな」って思った時あります、本当に。
だってもう離した瞬間、ここからこのぐらいしかないから、ミットまで。

徳光:
えぇー。

江川:
だって離した瞬間、バンッと入ってるんですよ。本当なんですよ。
いやこれ言ってても信じないから。
毎回じゃない、その1球だけ。パンって入ったから。1回だけですよ。毎回そう思ってるんじゃないですよ。1回だけ。20勝のあと。

江川:
それでその日、調子に乗って(投げていたら)、「面白い。離したらすぐミットに入っちゃう」って、脇腹傷めたんですよ。

徳光:
その時に。

江川:
20勝したあとに。だから20勝しかしてないんですよ。

[ 1981年 20勝6敗で2年連続最多勝 ]

徳光:
代償も大きいですね。

江川:
言ってないんですけど、監督に言ったら怒られるから、ずっと内緒にしてましたけども。
(1981年の)日本シリーズは、ここ(脇腹)痛めたあとで投げているですよ。日本ハム戦は。

徳光:
そうですか。投げ方がいつもと違ったんですか?

江川:
いやーその腰、ここのキレが良かったんですね、ひねりが。
それが良かったんです。ブルペンでもキュッとやってたんですよ、面白くて。
そしたらビリってきたんですよ。

徳光:
(捕手)山倉(和博)はよく捕れましたね。

江川:
それはね、ブルペンだから、山倉じゃないんですよ。

徳光:
そうなんだ。

江川:
ブルペンの人がしてます。

遠藤:
試合じゃなくて。

徳光:
じゃあ試合では投げてないんですか?

江川:
違うんですよ。

徳光:
じゃあ、その痛いまま試合を迎えるわけですよね。

江川:
ええ、これごまかして。日本シリーズの前ですから。
ここ何かサラシ巻いたりなんかして。

徳光:
そうなんだ。

江川:
「なんで投げないんですか?」って。「ちょっとね休養してるんですよ」みたいにマスコミには言って。
ごまかしながら。

徳光:
そんなことがあったんだな。

江川:
あったんですよ。

遠藤:
それは中畑(清)さんも、けん制球捕れないですよね。

中畑清(2024年8月20日放送):
あのけん制球で僕は死ぬかと思いました。
本当、札幌円山球場。
普段ね、本当に山なりのけん制しかしないやつが、ホームベースに投げるよりも速いボールで俺にけん制球投げやがって。用意してませんよ、こっちは。うわーっと見た瞬間にここにあったんだからボールが。ボールはこんなでかかったですよ。思わず「うわぁー」って逃げたの。
そしてベンチに帰ったら、藤田さんから「ピッチャーのけん制球を避けて逃げるってやつがどこにいるんだ!」って。

江川:
それ中畑さん、本当のこと言ってないと思うんですけど。
中畑さんが、僕とけん制球って、こうやってやってて。
中畑さんにフワーンしか投げなかったんですよ。

江川:
中畑さんがマウンドに来て、「けん制球ちゃんと投げろ」って言ったんですよ。「フワフワ、フワフワ投げやがって」って言うから。
札幌で、「フワフワフワフワ投げる」って言われたから、「じゃあちゃんと投げるよ」って言って、160km/hくらいの速さですよ。「うわー」って投げたんですよ。そしたらあの人、「うわー」って言って、もうボールがグワーンっていって。
それでライトのところに転がっていって、1塁ランナーが3塁までいったんですよ。ノーアウト3塁。

江川:
それで、しょうがないですよね。その3人打ち取らないと、点数失っちゃうから。
3人ちゃんと打ち取ってベンチ帰ろうと思ったら、藤田監督が真っ赤な顔して、「中畑!」って言って。
「けん制球も捕れないのか!」って怒られたんですよ。
僕は「捕れないよね、あのボールはね」って思いました。
思いましたけど、監督に何も言ってないんですよ。
すっごい速く投げましたけど言わなかった。

徳光:
ちょっとその(ストレートの)握り方みたいなものって。

江川:
握り方ですか。
握り方もこれは面白いんですけど、ピッチャーのストレートって、このカーブを右にこうこう握るんですよ、ストレートって。分かります?
このカーブが右に来るように握るのが普通なんです。

[ 一般的なストレートは縫い目のカーブが中指の右に ]

なぜかっていうと、人さし指より中指がだいたい長いので。
この縫い目が斜めにする時に、ちょうどかかるの。
僕は逆なんですよ。こっちなんですよ。左上に来てるでしょ?

徳光:
なるほど。

江川:
僕、こうなんです。ストレートが。

遠藤:
中指、縫い目よりちょっと上に。

江川:
そうなんです。なんでかって言うと石投げをやってたから。
この感じの方が、石と同じ感じが。

徳光:
原点の石投げに感じるわけですか?

江川:
似てるんです。この感じが似てるんですよ。
だから握り全然違うんですよ。

徳光:
そうですか。

江川:
だから僕、人のストレートを見た時にびっくりしたんですよ。「あれ?違う」と思って。
みんなこうだと思ってたら、みんな真ん中を持ってるから。
どっち持ってんの?みたいな話だった。僕がどっち持ってるの?

徳光:
それで投げて、ピュッと投げた時に、ミットがすぐここにあったわけですか。

江川:
投げた瞬間ここですよね。しょうがないですよ。本当にあったんだから。
もうそれ以上言いようがないですよ。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年4月14日放送より)