ウラの取れない発言を、なぜ全世界の報道機関は「事実」として報じたか
ロシアのウクライナ侵攻開始から4年。2002年に刊行された名著『戦争広告代理店』で現代の国際政治を裏で動かすPR情報戦の実態を解き明かしたノンフィクション作家・高木徹氏(元NHKチーフ・プロデューサー)は、この戦争をどう見ているか?
『群像』2026年1月号より始まった新連載『ウクライナPR情報戦 演者の「成功」と「落日」』の第5回後編を特別公開!
ワシントンポスト紙のファクトチェック
このフレーズが広がった過程には、興味深いポイントがいくつかある。
これを伝えたのは、AP通信のひとつの短い記事だ( https://apnews.com/article/russia-ukraine-business-europe-united-nations-kyiv-6ccba0905f1871992b93712d3585f548)。
その冒頭で、「ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカ政府にキーウから脱出するように強く要請されたが、この申し出を拒絶した」と強い調子でゼレンスキー大統領がキーウ残留にこだわったことを伝え、次の段落でゼレンスキー大統領が「戦いはここで起きている、必要なのは弾薬だ。rideではない」と言った、と書いている。
この情報を記者にもたらしたのは、インテリジェンス関係の政府高官で、この会話を直接知っている人物としている。冠詞aがついているので、その情報源は一人だけだ。ゼレンスキー大統領と話していたアメリカ側の人物が誰なのか、電話なのか対面なのかなどについては書いていない。
このゼレンスキー大統領のフレーズとAP通信の記事について、半月ほどあとの三月六日に、ワシントンポスト紙が非常に興味深いファクトチェック記事を出している( https://www.washingtonpost.com/politics/2022/03/06/zelenskys-famous-quote-need-ammo-not-ride-not-easily-confirmed/ )。
その記事を書いた記者は、ウクライナ政府の広報官、米政府担当者、記事を書いたAP通信の記者など幅広い取材をしている。そして「(アメリカ)政府の担当者(複数)は、ファクトチェック担当記者に対して、(AP通信が伝えた政府高官の)主張に困惑を表明し、米政府によってキーウを出るようにゼレンスキー大統領が要請されたことはない、と彼らは否定した」と書いている。
また、ゼレンスキー大統領の報道官は、この「not a ride」の発言を確認できないとして、「米当局者たちは彼(ゼレンスキー大統領)の安全を非常に懸念していました。しかし、彼らがあのように率直に(退去するように)言ったのを聞いたことはありません」と語ったという。
後の報道などによれば、そのような退去の「提案」はあった可能性が高い。
同じワシントンポスト紙が、侵攻が始まった直後の状況を詳細に調査報道したこの年八月二十四日の特集記事によると、この時、まずゼレンスキー大統領の補佐官や大統領警護隊などが、大統領の身に危険が迫っていることを警告し、その中には退去を勧める者もいた。そして、「政府の継続性」の観点から、アメリカやヨーロッパ当局の担当者から、首都を脱出するお手伝いをします、というオファーを受けていた、と伝えている。
また、前述のウッドワード記者の『WAR 3つの戦争』は、この時期にバイデン大統領(当時)とゼレンスキー大統領の電話会談があり、その時、会話を聞いていたバイデン大統領の補佐官たちには「ゼレンスキーが怯えているのがわかった」と書いている。
そのあと、バイデン大統領は「ゼレンスキーを脱出させ、ポーランドで一時的に亡命ウクライナ政権を樹立することを提案した」と描写されている。これに対するゼレンスキー大統領の反応については、「ウクライナにとどまります。ウクライナの周囲に飛行禁止区域を設けてほしいと、バイデンに頼んだ」とされている。
こうしてみると、AP通信の記事にあるような、「アメリカ政府の退去の強い要請」をゼレンスキー大統領が決然と断り、「not a ride」と言って、「気軽に脱出などと言ってくれるな」とのニュアンスを込めて断った、というのは本当だったのか、という疑問が湧いてくる。
いや、おそらくは、「提案」という形で脱出が示された可能性は高いのだから、そのやり取りがどんなセリフだったとしても、大筋間違いはないではないか、と読者のみなさんは考えるかもしれない。
しかし、ニュース記事の正確性とはそのようなものではない。この重大時局の、その中心にいる国家元首の言葉を、引用符でくくって伝える以上、その通りの発言があったという確証がなければならない。
このあたり、例えば『WAR 3つの戦争』のように、後から振り返る形で書くノンフィクション作品の場合、表現のルールが変わってくることもあるので読み手としては難しい面もあるが、「怯えているのがわかった」のを、決然とした拒絶の言葉に置き換えることはできない。
AP通信の記事のような現在進行形の事態を伝えるニュース報道には厳しい制約がある。何より、この六単語のフレーズだったからこそ、「ゼレンスキー大統領の言葉」は巨大なインパクトを持ったのだ。
報道機関の作法と心理
国際世論が「ウクライナを救え」一色に染まった三月初旬のこの時期に、こうしたファクトチェックを行ったワシントンポスト紙の見識はさすがという他はない。日本のメディアにこれができただろうか?
ワシントンポスト紙のファクトチェック記事には、このフレーズが世界に広まった経緯について、さらに興味深い解説がされている。
「通常、多くの報道機関は、他の報道機関による一人の情報源に基づく二次情報を引用することはないだろう」。
つまり今回の場合、記者はゼレンスキー大統領の言葉を直接聞いたのではなく、「発言を聞いた」とする証言者の話で記事を書いており(二次情報)、同じ情報が複数の取材源で一致していれば「裏取り」になるが、それもないわけだから、信憑性に懸念もある。そういう時、独自に裏取りができない場合、他の報道機関は他社の記事を引用して情報の拡大再生産に加担することはない。
ところが、このファクトチェック記事が指摘するように、このフレーズの魅力はあまりにも大きかった。そして通常ならしない引用報道が可能になる抜け道が現れた。
AP通信の記事が出るとほどなく、在イギリスのウクライナ大使館が、「『戦いはここにある。必要なのは弾薬であり、rideではない』とゼレンスキー大統領、アメリカからの退去の提案について〜ウクライナ国民は大統領を誇りに思っている」とAP通信を引用してツイートしたのだ。
ワシントンポスト紙のファクトチェック記事は、このツイートがあったことで、「報道機関は、(APの記事でなく)ウクライナ大使館を引用することができるようになった」と、CNNやニューヨークタイムズが、情報を拡散していったことを紹介している。
ファクトチェック担当記者は、ツイートした駐英ウクライナ大使館に、このゼレンスキー大統領の発言を独自に知っていたのか? と問い合わせた。しかし、大使館からの答えはなかったという。
他メディアの編集責任者の心の動きを想像してみよう。ゼレンスキー大統領の言葉とされる非常に魅力的なフレーズがある。しかしAP通信の記事を読むと、プロとしては、自社の記事にそのまま引用するのは危ない、という判断が働く。躊躇しているところに、ウクライナの大使館がツイートした、と情報が入る。それならGOだ! となる編集責任者の気持ちは、私も報道機関に長年いたのでよくわかる。うすうすは、在英の大使館がこの混乱状況でゼレンスキー大統領の言葉を知っているのだろうか? とは思うのだが、万一間違っていても、AP通信の記事をそのまま流したのではありません、ウクライナ政府機関の発表を引用しているのです、と言えるわけである。
そしてCNNやニューヨークタイムズも報じたとなれば、世界中の報道機関がそれを引用するのに何の躊躇もない。日本の報道機関もそうだろう。こうしてあっという間に、ゼレンスキー大統領の決意のフレーズ「必要なのは弾薬だ。乗り物ではない」は世界に「事実」として広がっていった。
ここにプロのPRエキスパートがかかわって情報の流れを生み出した、という証拠はない。むしろ、このケースでは、偶然の連続でこのようなことが起きたのだろう。しかし、プロのPR会社とは、こうした形で情報空間が支配されていくディテールを熟知しており、それを意図して起こすことがそのテクニックなのだ。そうしたことは、このあと起きていく。
そして、PR情報戦としての意図は、「駐英ウクライナ大使館のツイート」に感じられる。AP通信の記事だけに終わっていたら、このフレーズが「情報の津波」となって世界に広がってはいなかったことは間違いない。
かき消された慎重論
こうして侵攻開始から三日目には、おそらくは本人の意志を超えて、世界を動かす情報戦の「演者」が立ち現れていた。
この日、二月二十六日は土曜日、翌二十七日は日曜日の週末だった。私は国内外の報道を食い入るようにテレビやPC画面で見ていた。その時はまだ、これは遠い東ヨーロッパのできごとで、自分の生活や人生にかかわる危機だとは思っていなかった。テレビの制作者として何ができるかを考えようとしていた。
侵攻開始当初にはなかった動きが出てきていた。
ウクライナとロシアとの間の交渉が行われるというニュースもその一つだった。ゼレンスキー大統領は、「私たちはここにいる」の動画以外にも、この間何回か動画を出していた。服装はすでに一貫してカーキ色のカジュアルなものになっていた。その動画の一つで、ゼレンスキー大統領は、「ロシアから中立化について話したいというメッセージが来ている。私は中立化について話すことを恐れてはいない」と発言していた。
ウクライナの中立化とは、NATO加盟を断念することで、加盟を強く志向していた戦前のゼレンスキー大統領の政策の根本的な変更だ。それができるのなら、プーチン大統領が言う最大の侵攻の理由が解決することになる。プーチン大統領は侵攻の三日前に、ドンバスの両「人民共和国」の独立を承認してしまっていたので、そのドンバスをどうするか、という大きな問題は残るが、停戦に向けた協議は始められる。
実際に週明けの月曜日、二月二十八日には早くも一回目のロシア・ウクライナの停戦交渉がベラルーシで始まっていた。大きな期待はもてないとしても、戦いが終わるのならばと、祈るような気持ちでそのニュースを見ていた。平和を願う世界の多くの人々も同じ気持ちだったろう。
他方、ロシアに対する経済制裁について急速に話が進んでいた。バイデン大統領は、侵攻初日の二十四日に、ロシアの主要銀行のドル決済を禁じ、米国内の資産を凍結するなどの制裁措置を発表していた。その後議論が深まっていたのが、ロシアを国際金融取引の決済システムSWIFT(国際銀行間通信協会)から除外する、という措置だった。
実行されればロシアの企業や銀行が海外との決済が事実上できなくなる。ロシア経済に大打撃を与える「制裁の核オプション」という解説さえ当時されていた。喩えであって実際の核兵器の話ではないが、「核」という言葉が出てきたことには、何か嫌な感じを持ち始めていた。自らの経済にも悪影響があることを恐れた欧州の一部の国が逡巡する場面もあったが、「私たちはここにいる」動画と「not a ride」のフレーズの組み合わせによって「ウクライナを救え」の大合唱が国際世論に沸き起こっており、慎重論はかき消され、二月二十六日には、SWIFTからのロシア排除が合意された。
戦場でも、変化の兆しを伝える情報が出てきていた。
侵攻初日にロシア軍が大挙してウクライナとの国境を越え、キーウ郊外のアントノフ空港にはヘリコプターが殺到して特殊部隊が占領したことをCNNが生中継で伝えていた(前回参照)。その後、日本ではTBSが、国際的には様々な放送局がキーウ市内から中継をしていた。ミサイルの攻撃は一部にあるにせよ、陸上部隊が市内中心部に到達する様子はいっこうになかった。
国境地帯から市内中心部の間での戦闘の詳細はメディアを見てもわからなかったが、私が注目していたのはイギリス国防省のツイートだった。侵攻の開始いらい、日報のような形で戦況を伝えていた。それによると、開戦三日目の二十六日には「兵站とウクライナ軍の抵抗に(ロシア軍は)苦しんでいる」と伝えられ、四日目の二十七日には「ロシア軍はキーウ北方百五十キロの都市で、ウクライナ軍の激しい抵抗にあった」とされていた。インターネットの情報空間では、早くも「ロシア軍は思ったほどの進軍ができていないのではないか」という空気が漂い始めていた。
そのタイミングで、現地時間の二月二十七日の日曜日、クレムリンから、世界を震撼させる映像が発信された。その映像の異様さは、侵攻前後のプーチン大統領に共通するものだった。
開戦の二週間前にフランスのマクロン大統領がモスクワを訪問したときの、二人の首脳の間の「異様に距離をとった長いテーブル」の構図が再び使われた。今回は、ロシア軍の二人のトップ、ショイグ国防相(当時)とゲラシモフ参謀総長が、奇妙な配置でプーチン大統領の話を聞いていた。プーチン大統領は長辺が極端に長い長方形テーブルの一つの端に座り、二人の軍指導者は、プーチン大統領とは五メートルはある離れた位置にちょこんと並んで座り、まるで小学生が先生の指示を聞いているかのような表情で命令を受けていた。
その命令とは、人類を滅亡させることができるロシアの核抑止部隊に対し、「特別警戒態勢」に入るように、というものだった。
