後藤真希と「LOVEマシーン」登場で揺らいだ安倍なつみのプライド…モーニング娘。「黄金期」はなぜ終わりを迎えたのか
今年はハロプロ全楽曲がサブスクで解禁され、4月11日からは「モーニング娘。'26 コンサートツアー春 - Rays Of Light -」が始まった。モーニング娘。初期の楽曲も再注目されるいま、後藤真希の加入後に「LOVEマシーン」(1999年)がミリオンヒットに輝き、初代エースの安倍なつみ卒業まで続いたモーニング娘。の“黄金期”を振り返る。(全2回の1回目)
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平成を賑やかに彩ったグループアイドル戦国時代のパイオニアとも言える、「モーニング娘。」。自らの青春と重ねて聴く人も多いだろう。
その名曲の裏には、平成中期の時代の風と女の子たちの格闘と格差と涙があった。一番過酷な戦いを強いられたのが初期モーニング娘。の顔、安倍なつみ。彼女のセンター人生は常にライバルとにらみ合う、“忍耐戦”であった。

“ライバル”と呼ばれた後藤真希と安倍なつみ ©時事通信社
「敗者復活」のヒロイン・安倍なつみ
インディーズデビュー曲の「愛の種」からメジャーデビュー曲の「モーニングコーヒー」、ブレイク曲「サマーナイトタウン」と順に彼女たちの歌を聴き返すと、安倍なつみの頑固な笑顔が思い浮かぶ。
安倍なつみはオーディションからヒロインだった。バラエティー番組「ASAYAN」による1997年の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」に参戦。北海道大会のゼッケンは1111番。globeの「FACE」を澱みなく歌う澄んだ歌声、司会を担当したナインティナインの岡村隆史に「綾波レイに似てるって言われたことない? あなた実写版できますよ」と言わしめたルックス。2次審査で「安倍ちゃんは決勝」と早くも即決され、誰もが大本命視と思いきや、まさかの落選――。
そこからつんく♂に敗者復活組として集められ、1997年、飯田圭織、福田明日香、中澤裕子、石黒彩とモーニング娘。を結成。デビュー曲のセンターポジションを飯田と争い勝ち取り、「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の優勝者、平家みちよの人気も抜き、「みんな大好きなっち」として順風満帆に行くかのように見えた。
だが、センターを勝ち取ったはずの安倍なつみのプライドを揺るがす最大の事件が起きる。
“最強ライバル”金髪のゴマキ(13)登場
安倍の前に立ちはだかった最強のライバルが3期の後藤真希。突如現れた、金髪で堂々とした13歳に、メンバーも視聴者もびっくりした。しかも、後藤加入第1弾のシングル「LOVEマシーン」(1999年)はメガヒット。
安倍が歌割をほぼ担当し、ほかのメンバーはコーラスに回った1枚前のシングル「ふるさと」が週間オリコンチャート5位。同日発売で1位に輝いたASAYAN同期の鈴木あみの「BE TOGETHER」と比較されていたこともあり、ゴマキこそ、「ふるさと」で低迷しかけたモー娘。を盛り上げた“起爆剤”というイメージがつくこととなった。
安倍なつみにとってゴマキが脅威だったことは、想像に難くない。ところが後藤は、当時仲は険悪だったと回想しながらも、安倍の態度について「何も分からず、なんで怒っているの? みたいな感じ」だったという。
さらに後藤は「LOVEマシーン」でデビューして2か月後、すぐに2期の市井紗耶香、保田圭とユニット「プッチモニ」を結成し「ちょこっとLOVE」をリリース。2001年には「愛のバカやろう」でソロデビューした。「愛のバカやろう」はかなり懐かしい感じのする歌謡曲テイストだったが、しっかりオリコン1位に輝いている。
グループの顔という“呪縛”
スタートダッシュでソロにユニットに羽ばたく後藤。安倍も期間限定シャッフルユニットの参加はあったものの、突拍子もない曲をなぜか任されがちだった。しかもモー娘。は増員を重ね、おのずと一人あたりの歌割もカメラ割も減っていく。石川梨華、吉澤ひとみなど強烈な個性を持ったメンバーがセンターを取ることも増えた。
安倍は存在がセンターとして扱われ、つんく♂から「マザーシップの顔」と信頼されたものの、この信頼は呪縛にも似ていた。
彼女はのちにこう語っている。
〈〈私が軸みたいなものだから、私がユニットやったりソロになったりするとグループ全体がおかしくなるっていう話はよく聞かされていて、でもみんなはユニットやったりソロになったりしてるわけですよ。それを横目で見ながら「私にはいつこういうチャンスが来るのだろう?」とずっと待ち望んでいたところは、どっかあって。〉(安倍なつみインタビュー「Billboard JAPAN」2008年12月10日)〉
「メンバーは友達ではなくライバル」と豪語し、グループ中でも孤立する時期があったという安倍。「一時期、精神のバランスを崩して、目覚まし時計を何個かけても起きられなくて」「みんなにごはん行こうって言えるまで本当に時間がかかった」とも回想している。
メンバー間の格差に“嫉妬と不安”も…
そんな彼女とともに、デビューから全盛期まで、モー娘。支えたのが、初期リーダーの中澤裕子。中澤がモー娘。での過酷な経験から、人生座右の銘を「弱肉強食」としたというのは心震えるエピソードである。
バラエティーでは安倍や後藤との格差に対する嫉妬と不満も、ユーモアを交えて素直に語っていた。安倍について「センターで周りからチヤホヤされてて“今だけだぞ”と思ってた」と吐露している。
だが、「わたしの基盤となった曲達です。」というコメントとともに公開された「中澤裕子が選ぶハロプロサブスク超解禁集」には、脱退後の安倍のソロ曲「恋のテレフォンGOAL」が入っている。安倍の苦悩と忍耐を誰よりも近くで見て、応援していたのかもしれない。
「ゴマキ不在の不安」は…“黄金期”が終わったワケ
2002年9月23日、17歳の誕生日に後藤真希が卒業。この頃はモー娘。から保田圭が卒業し、絶好調だったユニット、タンポポ・プッチモニ・ミニモニは大幅メンバーチェンジ。2003年には6期メンバーが加入。ソロだった藤本美貴も加入し、グループ自体がさくら組とおとめ組に分かれるという、ザワザワするような変革が続いた。
安倍のソロデビュー曲「22歳の私」は、そのカオスの余韻のなか2003年8月にリリース。あまりにも残念なタイミングだった。ただ、モー娘。のセンターとしてはとことん気を吐いた。
後藤卒業後初のシングル「ここにいるぜぇ!」では、ゴマキ不在の不安を吹き飛ばすかのような堂々たるセンターオーラを発揮。「そうだよ、モー娘。にはなっちがいるんだよ!」とファンが心を熱くするような1曲となった。端から端までステージを走る安倍がメンバーのど真ん中に戻り、ポーズを決める最後のフォーメーションは素晴らしい。
2004年1月25日、安倍なつみはモー娘。を卒業する。卒業シングルは「愛あらばIT'S ALL RIGHT」(作詞・作曲:つんく♂)。この頃のモー娘。は歴代最多の15人という大所帯。歌割も、短いフレーズで均等にあてられ、安倍のソロも1か所だけ。だが、
「そうさ 時代はそれぞれいっぱい がんばって来たよね」
というその歌詞は、まさに彼女の活動そのものだった。
「黄金期」の終盤を振り返ると、ハロプロからはモー娘。以外にも多くのグループとユニットが誕生しており、飽和状態だった。加えて2002年7月に「大改革」が発表され、その実行と余震が続いていた時期だ。小惑星の接近で地球が滅亡の危機に陥る映画『アルマゲドン』になぞらえ「ハローマゲドン」と呼ばれるほど、混沌としていた。
約6年の孤立した日々を超え、モー娘。の「ふるさと」として徹底した安倍なつみ。その彼女が抜けた1年後の2005年には、秋葉原に秋元康プロデュースのAKB48劇場が設立される。
敗者復活大逆転の女の子たち、モーニング娘。が吹かせたエンタメの追い風は、「グループアイドル戦国時代」という向かい風へと変わりかけていた。
〈モーニング娘。を変えた“3年半のもがき”…“不向きなリーダー”高橋愛率いる「プラチナ期」が伝説と呼ばれたワケ〉へ続く
(田中 稲)
