(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

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2025年は各地でクマによる深刻な被害が相次ぎました。そんななか、20年以上にわたってツキノワグマの生態を研究してきた東京農工大学大学院農学研究院教授の小池伸介先生は、「クマは付き合い方を間違えると、命を奪われる存在である」としつつも、「正しく理解し、適切に対処すれば、共存は可能」と語ります。そこで今回は、小池先生の著書『クマは都心に現れるのか?』から抜粋し、クマに関する最新情報をお伝えします。

【書影】ニュースやネットでは伝えられない、本当のクマの話。小池伸介『クマは都心に現れるのか?』

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100年ぶりの姿

人間社会の変化に伴い、クマの分布域はこの40年で拡大してきた。例えば、西中国地方と東中国地方のそれぞれの地域に生活するクマの分布は、1978年の時点では遠く離れていたが、その後の40年間で接近し、最近ではくっつき始めている。分布域が拡大したことで、その間に位置する岡山県ではクマの出没、被害が増えてきている。

また、既存の個体群から離れた場所にもクマが現れ始めた。

例えば、これまでクマはいないとされてきた伊豆半島で、クマの出没が確認されている。伊豆半島のクマは、明治中頃が最後の狩猟記録で、そこからずっといなかった。ところが、ここ5年ほどの間で2頭のクマがシカのわなにかかっている。そのうち1頭は遺伝サンプルが取れなかったが、1頭は富士山側からの個体であることが判明した(Kishida et al. 2022※)。

伊豆半島のクマは、富士山の裾野あたりから三島市の箱根寄りの山間部を通り、伊豆半島へ入ってきたと想定される。つまり、伊豆半島は100年前にクマが一度絶滅した後、また生息し始めた地域ということになる。

※Kishida T et al.(2022)Genetic diversity and population history of the Japanese black bear(Ursus thibetanus japonicus)based on the genome wide analyses. Ecological Research 37: 647-657.

阿武隈山地では原発事故後に目撃情報が増えた

茨城県も同様で、明治時代に絶滅したが、再び他の地域から入り始めた場所だ。

北部の福島県からの侵入はこれまで記録があったが、2008年に名勝として有名な袋田の滝のある茨城県大子町で1頭の子グマが交通事故に遭ったことで、どうも生息しているらしいということになった。それ以降、確実な記録はなかったものの、2025年にはドライブレコーダーでその姿が撮影された。

茨城へと続く福島県の阿武隈山地では、福島第一原子力発電所の事故の後に目撃情報が増えているようだ(山崎<崎はたつさき。以降同様>ほか2009※)。原発事故後の避難区域では人間の活動が停止し、それが野生動物の分布拡大を加速させた可能性がある。福島県に隣接した茨城県北部でのクマの記録は、今後も少しずつ増えていくのであろう。おそらく、どんどん南下し、いつか筑波山に達するかもしれない。

同様に、これまではクマの生息が確認されてこなかった津軽半島、能登半島でもクマの生息が確認され始めた。

※山崎晃司ほか(2009)阿武隈山地南部(茨城県・福島県・栃木県)へのツキノワグマの分布域拡大の可能性について.哺乳類科学 49: 257-261.

九州・四国を除く全国で……

さらに、分布拡大の先には市街地への出没がある。2025年は前年に比べて静かであった近畿地方のクマが、8月頃から奈良市周辺など、今まで出現しなかった場所で目撃や出没が増加した。これは、一時は絶滅が心配された紀伊半島の個体群が回復してきたことを示していると考えられる。

なお、紀伊半島は一種のブラックボックスで、クマが全域でいったいどこに、何頭生息しているかすら、よくわからない。さらに、紀伊半島は温暖な地域であり、南部には照葉樹林が広がり、中心部には大台ヶ原のような原生林がある。他の地域とは異なった照葉樹林でクマがどのような生活をしているのかも、詳しくはわかっていない。


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2025年のクマの出没に関して東北地方が目立っているが、出没の件数や事故の件数の桁は異なるものの、日本各地で個体群の分布拡大や個体数増加に伴う圧力の高まりが起きている。こうした現象は、九州・四国を除く全国で起きていると言っていい。

※本稿は、『クマは都心に現れるのか?』(扶桑社)の一部を再編集したものです。