今、私たちはどうやって声を上げるか『護られなかった者たちへ』特別対談 瀬々敬久監督×安田菜津紀(フォトジャーナリスト) - BLOGOS映像研究会
※この記事は2021年10月06日にBLOGOSで公開されたものです
東日本大震災から10年が経った仙台を舞台に起きた、連続殺人事件に隠された真実を描いたヒューマン・ミステリー映画『護られなかった者たちへ』が10月1日から公開されている。
中山七里による同名小説を映画化し、佐藤健・阿部寛という豪華共演が実現した同作。その背景には、震災後から現在まで連なる様々な社会問題が横たわっている。この作品が2021年に投げかけるものとは、「護られなかった者たちへ」に込められた思いとは。この度、監督の瀬々敬久氏とフォトジャーナリストの安田菜津紀氏による特別対談を行い、作品の持つ奥深さに迫った。(構成:島村優、撮影:清水駿貴)
避難所にある「変わらない日常生活」
安田:『護られなかった者たちへ』を見て、原作よりも東日本大震災のことが大きく扱われていると感じました。大きな軸として描かれる生活保護の問題と、震災が登場人物にもたらしたものが絡み合ってくるな、と。
映画は震災からの10年間を凝縮した時間が描かれていますが、私はどうしても自分の取材した経験と絡めながら見てしまうものですから、ここ最近、この一年間で起きたことが脳裏に浮かんできたんですね。「自助」という言葉が盛んに掲げられ、影響力の強いYouTuberが生活保護受給者やホームレスを切り捨てるような発言をして多くの批判の声が上がりました。けれども一部で賛同する声が上がるようなムードに下支えされて、映画の中のようなことが起きるんだろうな、と現実と重ね合わさったことが頭に思い浮かびました。
瀬々:この原作を渡された時に、まず「護られなかった者たちへ」というタイトルに惹かれたんです。シンプルなタイトルだけど、すべてを語っているなと。この言葉が映画の中の重要なシーンにつながるんだな、と。その原作では、主要な登場人物が出会う場が避難所ではなかったり、映画ほど震災が重いテーマになってはいませんでした。でも3人の出会いはこういう形にしたいというのが僕の中にあったんです。
安田さんは東日本大震災の写真も撮られていますし、陸前高田など被災地にも行かれてますよね。僕自身も、友人に『石巻市立湊小学校避難所』というドキュメンタリー映画を作った人がいて、僕も2011年の8月くらいに手伝いに行ったんです。
安田:そうだったんですね。
瀬々:その友人というのが、3月に現地に入ってから石巻の湊小学校という避難所で10月までずっと定点観測していて、映画では一人暮らしのおばあさんと小学生の女の子が避難所で出会って家族同然の生活をして、後におばあさんは仮設住宅に移っていくということが中心に描かれています。普通、「避難所」と言うと、暮らしている人は泣いてばかりいる、とか、悲しい場所だろう、とか思われがちなんだけど、そういう場所でも喜怒哀楽の感情があって、変わらない日常生活が営まれているんです。
当時、その雰囲気を知ったことが強く心に残っていて、人間は大変な状況でも生きようとするし、変わらない暮らしを営もうとする。こういう人間の姿を映画の中心に置きたいなと思ったんです。安田さんも写真を撮りにシリアやカンボジアに行って、普通の日常にある子どもたちの目線を撮ろうしているじゃないですか。やっぱり、そういうことは感じるんじゃないですか?
安田:そうですね。東日本大震災は被災した範囲が広かった分、「被災地は」「被災者は」と大きな主語で語られる中でも、実際に現場に入ってみると監督のおっしゃる通り、いろいろな人間模様があって、その中でもなんとか日常を保とうとする人たちに出会うわけです。
今のお話で思い出したのは、陸前高田の避難所が解散する時のことです。集団生活はストレスになる方もたくさんいますし、「解散してようやく仮設住宅に入れる」というのが多くのメディアに引用される声だと思うんです。それも大事な一面だと思うんですけど、一方で一人暮らしで他に身寄りのない方の中には「解散してほしくない」「寂しくなる」という声もあって。避難所はプライバシーはないけど誰かが自分のことを見てくれるし、何かあったら異変に気づいてくれる。仮設住宅に行ったらこのコミュニティがもう一度バラバラになるし、自分は部屋に一人ぼっちだし、新しい人とうまくやっていけるか心配、そんな思いがあったんだと思います。
映画で言えば、例えば拠点となる場所が被災してなくなっていたら、3人が集う場がなかったわけですよね。もしバラバラの仮設住宅に入らなければならなかったら、どうやって生活ができたのだろうか、その関係性を保てただろうか、ということを考えました。
「移動すれば安全に生きられる」というほど単純じゃない
安田:この間、映画に出演されている俳優さんと一緒に東北に行かれていたと思いますが、10年経った東北はどう見えましたか?震災直後に湊小に入られていた時と、映画を撮られていた時と、ついこの間と。10年という時間の変化があると思うんですけど。
瀬々:去年撮影した時は、気仙沼などいろいろな場所を回りましたが、復興はまだまだだなとすごく感じましたね。工事している地域も多く目にしましたし、現地の人に聞くと「若い人が極端にいなくなった」という話もよく聞きました。この間、舞台挨拶で石巻に行った時は、旧門脇小学校の前の更地だったところが、石巻南浜津波復興祈念公園に新しく変わっていて、そういう意味では、徐々にではあるものの進んでいる感じはあったな、と思いました。ただ、震災から脱却したとか、そういう印象はまずないですね。
安田さんの絵本は、復興というより人間が生きることと天災について語っているじゃないですか。天災が起こっても人間は住み続けるんだ、と。故郷の大切さや、そこから離れられない人の心性を語っていると思うんですけど、そのことが僕もずっと引っかかっていて。住むのがどんなに大変な場所でも、人間はその場所を愛して住み続けようとする、その宿命のようなものですね。僕は宮沢賢治が好きなんですけど、彼の生まれた年と亡くなった年というのは三陸沖地震があった年なんです。それで彼がああいうふうな題材で童話を書こうとしたと言われていますけど、それに近いものが安田さんの写真や絵本にはあると思いました。
安田:監督のおっしゃる通りで、「家族を亡くした場所でしょ」「津波が来るかもしれない危ない場所でしょ」「他のところに住めばいいじゃない」という安易な言葉をかけられるほど、人の営みって簡単ではないと思うんです。自然と一体に生きてきて、子どもが遊んでいても誰かが見ててくれるだろう、というコミュニティ、つながりの中で生きている。あるいは「ご先祖様のお墓があるからこの街を離れない」って方もいらっしゃったりと、単純に移動すれば安全に生きられる、というほど人の営みは単純じゃないんですよね。
今の話に関係するところで映画の中ですごく印象的だったのが、ハードの部分では確かに街の風景は変わってきていますけど、一方で人の内面はどうなんだ、ということだと思うんです。映画の終盤で佐藤健さんが演じる利根泰久がある告白をする場面がありましたが、私は彼があの時に初めて告白したんだろう、と表情から想像しました。ただ、10年経ってもあの利根さんのように思いを自分の中に押し込めている人はいるだろうと思ったんです。震災から10年が経って「いつまでも被災者と呼ばないでほしい」という声も大切な投げかけですが、一方でこれだけを見ると強者の論理にもなってしまう。
この映画でも描かれていることだと思うんですけど、福祉やセーフティネットからこぼれ落ちて、護られなかった人が被災地にもいる。何か罪悪感を抱えているけど誰にも言えない人がいるかもしれないですし、それぞれの心の歩幅っていうのは違うことを被災地に向き合う前提にしなければいけないんだな、ということを利根さんの告白のシーンで改めて思い起こしました。
現実にもある『護られなかった者たちへ』で描かれた理不尽さ
安田:映画の終盤で出てくるメッセージというのは「声の大きな人たちよりも、『もっと助けて』っていう風に声を上げてみて」っていう投げかけだったと思うんです。ただ映画でも描かれているように、世の中には自分から声を出すのが困難な方々もいるため、狭い意味での当事者だけではなく、その周囲にいる人たちは何をするのかと問われているようにも思える。そんな余韻も残る映画だったな、という印象でした。
この映画にはいろいろな思いが込められていると思いますが、テーマとして生活保護が大きな軸として描かれています。描き方で心がけたことや強く伝えたいと思ったことはありましたか?
瀬々:一番注意しようと思ったのは、役所の人間の個人が悪にならず、システムそのものに難しいところがあると見えるようにすることです。制度の理不尽さと言えばいいのか。
一つは天災という理不尽さもあるし、もう一つは国家による制度的な理不尽さもある。それが重なる難しさではあるんですけど、先ほどもおっしゃっていたように、『護られなかった者たち』は10年前の物語ではあるけど、不幸なことに今まさに制度の理不尽さのようなものが目の前で繰り広げられてしまっていると思います。
安田:もちろん原作含め、フィクションとして描いているからこそ現実とは異なる部分もありますが、この映画の背後には、今この社会にある構造的な問題が見えると思いました。映画にも出てきますが、例えば「不正受給」という言葉をこの問題にあまり関心を寄せてない方が聞くと、悪意を持って不正に受給をしている人ってイメージを持ちがちです。
どうしてもそういう人を念頭に考えてしまいがちなんですけど、実は不正と一括りにされる中にも映画のような母娘の存在があると思います。例えば、12万円くらいの生活保護で娘さんの進学や勉学を支えていけるのか、アルバイトをして塾に行かせたいと思うのが悪なのか、という投げかけですよね。私が今まで取材した中にも、高校生の娘のアルバイト代が収入に換算されると知らずに、生活保護費の一部の返納を求められたケースがありました。複雑な制度を受給する側がすべて把握できるはずはなく、ケースワーカーさんの数も圧倒的に足りないんです。そして、保護を受けられるはずの多くの人が、護られずにいる。
映画でも大事に描いていることの一つだと思いますが、自分から助けてと声を上げられない人もいます。構造的な問題にもつながりますが、そういう時に何が声を上げることを躊躇させるのか、この物語を撮りながらどのように感じていましたか?
瀬々:人に迷惑をかけないといった価値観、“日本的”な感性。そういうことが邪魔しているんじゃないかと思います。
安田:「恥の文化」のような意識ですよね。ただ、そこには「恥」を助長する環境もあるわけですよね。「生活保護なんて恥ずかしい」「自業自得だ」と、YouTuberや政治家など声の大きな人が発信する窮屈さのようなものが、特にここ最近は強く感じられるようになった気がします。
表情ひとつで「考え続ける」姿勢を見せた佐藤健
安田:そういう中でも一歩前進したと思うこともあって、厚生労働省の公式サイトに「生活保護は権利です」と大きく載る、という出来事がありました。支援現場の一人一人の頑張りがあり、当事者の人たちと、作中の言葉を借りれば「声を上げる人」がいて、ようやくそういう記載ができた。小さいけれど確実な一歩だなと思いました。
だから、私はこの映画を見ることを通して、改めて権利って何だろう、とか、「自己責任」と叩かれていることも本当にそうなんだろうか、とかとても大事な投げかけをこの映画からもらった気がしたんです。
監督が言葉にするのは難しいかもしれませんが、この映画をご覧になった方にどういうふうに受け止めてほしいか、どういうふうに伝わってほしいか、といった思いはありますか?
瀬々:まさに今おっしゃったように「考え続ける」ということだと思うんです。この映画のクライマックスで、阿部寛さんと佐藤健くんが話をするシーンがあるんですけど、阿部さんのエモーショナルな表情に対して、健くんは終始表情を変えなかったんです。まだ気持ちの整理が付いていないような表情をしているんですけど、脚本ではもっとエモーショナルに書いてあったんです。ただ、健くんはあの場ではそういうことをやらなかった。それが「考え続ける」ということなんじゃないかと。「僕はこの問題を引き受けるぞ」と。
それ自体は佐藤健という俳優が選んだ表情なんですけど、それが非常に大切で。この映画ではいろいろな問題を取り上げていますが、明確な答えのようなものは提示していません。そこを引き受け続けるぞという意志、考え続けるという意志を佐藤健という俳優が出してくれたし、映画の総体としても同じものを引き受け続けていくということだと思うんです。
安田:今の話でなるほどと思ったのは、佐藤健さんが抑えながら淡々と表現しようと思ったのは、見る側に感じる余白を残してくれたのかもしれないな、と目から鱗の思いでした。監督は俳優さんに指示を出すこともあるけど、委ねてしまうこともあるんですね。
瀬々:そうですね、僕はそんなに指示はしない方なので、そういう形になりますね。やっぱり劇映画といってもドキュメンタリー要素が非常に大きいわけです。天候にも役者のコンディションにも左右される。今日撮ったものは今日撮ったものでしかない、明日撮ったものは全く違うものかもしれない、というつもりで映画を撮っています。変な言い方ですが「これは仕方ないな」と思いながらやっていて、だからこそ面白いんです。
安田:そうなんですね。すごく貴重なお話を聞くことができて、今の話を聞いてまた違った見方もできそうなので、もう一度映画を見てみたいと思います。今日はありがとうございました。
瀬々:ありがとうございました。
『護られなかった者たちへ』は全国にて絶賛公開中。
プロフィール
瀬々敬久
1960年、大分県出身。京都大学在学中から自主映画を製作。89年『課外授業 暴行』で監督デビュー。以降、『MOON CHILD』(03)、『感染列島』(09)などの劇場映画から、ドキュメンタリー、テレビなど様々な作品を発表。『ヘヴンズ ストーリー』(10)が第61回ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞とNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)の二冠を獲得、同作で芸術選奨文部科学大臣賞映画部門を受賞した。『アントキノイノチ』(11)が第35回モントリオール世界映画祭でイノベーションアワードを受賞。『64-ロクヨン-前編』(16)では第40回日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。近作に『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(17)、『友罪』(18)、『菊とギロチン』(18)、『糸』(20)、『明日の食卓』(21)、『とんび』(22)など。
安田菜津紀
1987年神奈川県生まれ。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳の時、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。