入院中には父子でテレビ電話をしていたという。

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「今はまだ、経過観察という段階です。肺の炎症はすっかり治りましたが、2〜3%の確率で退院後に再び陽性反応が出るケースもあるそうなので。4週間は様子を見ないといけないみたいです。予断を許さない状況ですね」

本誌インタビューに電話口でそう語るのは石田純一(66)だ。

沖縄県滞在中に体調が悪化し、4月14日には都内の病院で新型コロナウイルス感染症に罹患していると診断された石田。そのまま緊急入院したが、5月12日にようやく退院を果たした。現在は、自宅の一室で隔離生活を送っているという。

退院直後、石田は今回の件についてブログを更新した。

《この度私石田純一が新型コロナウィルスによる肺炎に罹患したことで多くの方々にご迷惑をおかけし、不快な思いにさせてしまったことを深くお詫び致します。大変申し訳ありませんでした。

私は5月12日(火)に退院することが出来ました。適切な治療と温かい看護のお陰です。本当に、本当にありがとうございました》

実際、1カ月に及ぶ入院生活は“壮絶な状況”にあったという。

石田が続ける。

「院内感染を防ぐための対策が徹底していて、お医者さんとの接触はなし。やり取りも、電話で行うことになっていました。

看護師さんは献身的に世話をしてくれるのですが、コップひとつ持ってくるにしても防護服を着ての重装備。ほかのコロナ患者さんと同じ場所に入院していて、そこだけがまるで“野戦病院”のようでした。

僕はふだんの脈拍が70ほどなのですが、入院してすぐに160くらいまで上がってしまったんです。さらには意識がもうろうとして、記憶が飛んでいることもあったみたいで……。

もともとあまり不安を感じたりしないタイプなのですが、かなりの恐怖感がありました」

当時について「一時は死をも覚悟するほどだった」と振り返った石田。そんな彼が真っ先に考えたのは、残される家族のこと。実は緊迫する病室で、石田は長男・理汰郎(7)への“遺言”を用意していたというのだ。

「僕が今までの人生で考えてきたことを、書き残しておくことにしたんです。子どもたちはスマホを持っていないので、妻にメールをしました。

息子には『偉くなるとか、お金をいっぱい稼ぐだけが人生じゃない。努力して新しい自分を獲得すること。これが本当に大切なことなんだよ』と。あまり時間がなかったのですが、4歳と2歳の娘たちにも『楽しく過ごしてほしい』みたいなことを書きました。

これまで、悔いなく生きてきたと思っていました。でもこういう状況になってみて、やり残したことがいろいろ思い浮かぶんですよね。あの子たちにほんのちょっとでもいいから、何か言葉を残したい。そう思いました」

そんなつらい状況のなかで石田を支えたのが、妻・東尾理子(44)の献身的なサポートだった。石田は東尾への感謝をこう語る。

「4月13日に沖縄から戻ってきたときは体調がすぐれなかったものの、『一晩寝て、明日になればきっとよくなってるはず。だから大丈夫だよ』と言っていました。でも翌朝に熱を測ってみたら、38.8度もあって……。

そうしたら妻が新型コロナ感染の可能性を心配して、いろんなところに電話してくれていたんです。誇張でもなく、本当に100軒以上も。おかげで夕方になってようやく診察してくれる先生が見つかって、妻に付き添われて病院に向かいました。

お医者さんには、『あと2日遅かったら、年齢的にもかなり危なかった』と言われました。妻がそばにいたことを、本当にありがたく思いましたね。もしも僕ひとりだったら、のんきに過ごしていたでしょうからね」

「女性自身」2020年6月2日号 掲載