「ネガティブな感情をひとつも持たない人間なんていない。醜い気持ちを持つことも肯定したい」『ぬすびと』【寺地はるな インタビュー】
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年5月号からの転載です。

「書いている間は、その話を好きかどうか考える余裕がないんですよね。でも、連載を終えて少し時間を置いて読み返した時、すごく好きだなと思ったんです。この人たちも、この話のことも」
寺地さんだけでなく、本書を読んだ人もきっと登場人物をいとおしく思うだろう。そもそもこの小説は、寺地さんの“好き”から始まった作品だという。
「奥様と女中のお話が好きなんです。中でも、女中目線で奥様について書いた太宰治の短編『饗応夫人』がすごく好きで。奥様と女中は雇用関係にあるけれど、同じ家で一緒に暮らしているとプライベートな部分も見えてきます。単なる主従でも友人でもない、不思議な関係だから惹かれるのかもしれないですね。自分が書くなら時代ものではなく現代の話かなと思い、今の時代に置き換えて一番しっくりくる関係を描きました」
そこで生まれたのが、鳴海と彌栄子のふたりだ。鳴海は、離婚した母が築いた新しい家庭を18歳で離れた。そして25歳の時、製菓会社創業一族の南雲家に子守りとして雇われ、社長夫人の彌栄子と出会う。跡取りの兄が急死し、年の離れた夫を迎えた彼女は現在40代半ば。息子の栄輝は幼稚園に通う年齢だが、他の子や先生となじめず、ほとんど登園せずにいる。裕福に育ち、ぬくぬくと暮らす彌栄子を、鳴海は当初違う世界の住人のように感じる。
「些細なことで、育った環境の違いや経済格差を実感する時ってありますよね。例えば、お嬢様育ちの人と話した時に『育ちがいいってこういうことか』と思ったり、子どもの頃の話を何気なくしたら『うち、貧乏だったからそういうのなかったんだ』と言われてハッとしたり。育った環境だけですべてが決まるわけではありませんが、なにかしらそこに横たわるものはあるのではないかと」
そんな鳴海と彌栄子が、少しずつ距離を縮め、互いに影響を及ぼし合っていく。ファミレスにも入ったことがなかった彌栄子は、一念発起して洋菓子店でアルバイトを始めることに。一方、鳴海は彌栄子の強さに魅せられていく。腫れものに触るように扱われてきた栄輝も鳴海になつき、友達のような関係に。さらに家政婦の三枝、鳴海の恋人・暖、鳴海の異父弟・宏海との人間模様も描かれていく。
「鳴海さんは、作中で『育ちが良くない』と言われるような環境で育ってきたけれど、だからと言って無知で粗野なだけの人にはしたくなくて。彌栄子さんも世間知らず=何もできないという単純な図式には押し込めたくはなかった。確かに社会人経験はないけれど、それでもただ守られるだけ、鳴海に教わるだけではないはず。人間って『こう育ったからこうなりました』というだけでは語れないものがあるので、その複雑さは残したいと思いました」
ある夜、パジャマパーティーを開いた鳴海と彌栄子は、3人のドラァグクイーンが旅する映画『プリシラ』を観ながらオクラホマミキサーをくるくる踊る。不器用だが美しく、印象深いシーンだ。
「誰にも見られない場所で、ふたりでふざけて踊る。ふたりが近づいたように思えた瞬間です」
でも、それは一瞬のこと。その後、ある出来事がきっかけで、彌栄子は「二度と会わない」と鳴海を突き放す。以来20年、南雲一家と鳴海は関係を断ったまま、それぞれの時を過ごすことになる。
■20年の月日がふたりにもたらしたもの
再会のきっかけは、栄輝からの電話だった。「母がそちらに行っていませんか?」――彌栄子の不在に気づいた栄輝が鳴海に連絡を取ったことから、彼らの時間がふたたび動き出す。20年という空白期間を設けた理由について、寺地さんはこう語る。
「25歳だった鳴海さんが、かつての彌栄子さんと近い年齢になったことで見えてくるものがあるような気がして。鳴海さんの場合、生活のためにひたすら働いてきた20年だったかもしれないけれど、私は20代の頃に比べて40代は圧倒的に楽になったんですよね。若い女性は不自由な思いをすることもあるし、『こうなりたい』『これが欲しい』という執着もあります。理想の自分と現実との差も大きくてしんどかったし、理想に近づくために努力しなきゃいけない苦しさもありました。でも、年を重ねるにつれて、そういうものからだんだん自由になっていった。人生の選択肢は減っていくし、悪く言えば“諦め”なのかもしれないけれど、それは悲しいことではなくて。そうやって、自分を受け入れるプロセスを踏んでいくのだと思います」
40代だった彌栄子は60代に。彼女が過ごした20年も、また重かった。
「彼女は彼女で、会社を守るためになりふり構わずにやってきました。そこにはきれいな思いだけでなく、複雑な思惑や汚い感情もあったはず。でも、ネガティブな感情をひとつも持たない人間なんて多分いないし、小説の中では醜い気持ちを持つことも肯定したくて」
お互いに年を取ったし、きれいごとではすまない経験も積み重ねてきた。〈傷こそが、欠損こそが、その人をその人たらしめる〉――ふたりが過ごしてきた日々、人生に刻んだ傷を、寺地さんはそんな凛とした言葉で表現している。
「強くてポジティブできれいなものって、どれもみんな似ていますよね。でも、傷のつきようはさまざまだし、それがその人のオリジナリティになるんじゃないかなと思います。ただ、苦労したから、傷ついたから優しくなれるとは言いたくなくて。『あの経験があったから、今の私がある』なんていい話に収束させる必要はない。嫌だったなという気持ちを持ち続けていいと思います」
■名状しがたい感情の揺れを書くのが小説の役割
鳴海と彌栄子の関係は何にも代えがたいが、ひと言で表すのは難しい。寺地さんは、このふたりの関係性をどう捉えているのだろう。
「『名前のつけられない関係』という表現には、関係性を定義することを避けるずるさも含むと思います。でも、このふたりの場合、本当になんとも言いがたいんですよね。お互いに憧れみたいなものがあったのは確かですが、憧れと恋愛感情の分け方もよくわからない。自分にとって強烈な印象を残す人との出会いって、人生で何度かありますよね。そういう感じなのかなと思います」
この作品に限らず、寺地さんは簡単には分類できない関係、時につじつまが合わない気持ちを丁寧に描き続けてきた。
「わかりやすさみたいなものに抵(あらが)いたい気持ちがあって。それって、小説の役割のひとつだと思うんです。あらすじはAIでも考えられるかもしれないけれど、A=Bだとはっきり言い切れない感情の揺れは、小説に書く価値があるような気がする」
不穏なタイトルではあるが、読後感はすがすがしい。寺地さん自身が当初想定していた結末とは、少し違うラストになったという。
「盗難事件がおきた時に家の中の他人が疑われることは悲しいけど、頻繁にあることなのかなと。そこで、連載を始める時に『ぬすびと』というタイトルをつけ、題名に引っ張られるように話が動いていきました。盗んだもの、奪われたものが、どの関係性の中にもある。そんな話になりましたが、書き手としては登場人物に幸せになってほしいので、より良い未来が待っていると信じられる終わり方になりました。今回は特に彼らの幸せを望む気持ちが強かったような気がしますね。お金のある人もない人も、みんな必死で生きている感じがするからかな。最後まで見届けていただけたらうれしいです」
取材・文:野本由起 写真:吉澤健太
てらち・はるな●1977年、佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年、『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞し、15年に単行本デビュー。21年、『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。23年、『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。近著に『いつか月夜』『雫』『そういえば最近』『リボンちゃん』『世界はきみが思うより』などがある。

『ぬすびと』
(寺地はるな/双葉社) 1870円(税込)
製菓会社を営む南雲家から子守りとして雇われた鳴海。そこで出会ったのは、気難しい少年の栄輝と、美しい年上の奥様・彌栄子だった。3人は心を通わせていくが、ある出来事を機に彌栄子から「二度と会わない」と言われ、関係が途絶えてしまう。それから20年、大人になった栄輝から、突然「母がそちらに行っていませんか?」と電話が掛かってきて……。年齢も住む世界も飛び越え、自由に踊り出すための物語。

「書いている間は、その話を好きかどうか考える余裕がないんですよね。でも、連載を終えて少し時間を置いて読み返した時、すごく好きだなと思ったんです。この人たちも、この話のことも」
寺地さんだけでなく、本書を読んだ人もきっと登場人物をいとおしく思うだろう。そもそもこの小説は、寺地さんの“好き”から始まった作品だという。
そこで生まれたのが、鳴海と彌栄子のふたりだ。鳴海は、離婚した母が築いた新しい家庭を18歳で離れた。そして25歳の時、製菓会社創業一族の南雲家に子守りとして雇われ、社長夫人の彌栄子と出会う。跡取りの兄が急死し、年の離れた夫を迎えた彼女は現在40代半ば。息子の栄輝は幼稚園に通う年齢だが、他の子や先生となじめず、ほとんど登園せずにいる。裕福に育ち、ぬくぬくと暮らす彌栄子を、鳴海は当初違う世界の住人のように感じる。
「些細なことで、育った環境の違いや経済格差を実感する時ってありますよね。例えば、お嬢様育ちの人と話した時に『育ちがいいってこういうことか』と思ったり、子どもの頃の話を何気なくしたら『うち、貧乏だったからそういうのなかったんだ』と言われてハッとしたり。育った環境だけですべてが決まるわけではありませんが、なにかしらそこに横たわるものはあるのではないかと」
そんな鳴海と彌栄子が、少しずつ距離を縮め、互いに影響を及ぼし合っていく。ファミレスにも入ったことがなかった彌栄子は、一念発起して洋菓子店でアルバイトを始めることに。一方、鳴海は彌栄子の強さに魅せられていく。腫れものに触るように扱われてきた栄輝も鳴海になつき、友達のような関係に。さらに家政婦の三枝、鳴海の恋人・暖、鳴海の異父弟・宏海との人間模様も描かれていく。
「鳴海さんは、作中で『育ちが良くない』と言われるような環境で育ってきたけれど、だからと言って無知で粗野なだけの人にはしたくなくて。彌栄子さんも世間知らず=何もできないという単純な図式には押し込めたくはなかった。確かに社会人経験はないけれど、それでもただ守られるだけ、鳴海に教わるだけではないはず。人間って『こう育ったからこうなりました』というだけでは語れないものがあるので、その複雑さは残したいと思いました」
ある夜、パジャマパーティーを開いた鳴海と彌栄子は、3人のドラァグクイーンが旅する映画『プリシラ』を観ながらオクラホマミキサーをくるくる踊る。不器用だが美しく、印象深いシーンだ。
「誰にも見られない場所で、ふたりでふざけて踊る。ふたりが近づいたように思えた瞬間です」
でも、それは一瞬のこと。その後、ある出来事がきっかけで、彌栄子は「二度と会わない」と鳴海を突き放す。以来20年、南雲一家と鳴海は関係を断ったまま、それぞれの時を過ごすことになる。
■20年の月日がふたりにもたらしたもの
再会のきっかけは、栄輝からの電話だった。「母がそちらに行っていませんか?」――彌栄子の不在に気づいた栄輝が鳴海に連絡を取ったことから、彼らの時間がふたたび動き出す。20年という空白期間を設けた理由について、寺地さんはこう語る。
「25歳だった鳴海さんが、かつての彌栄子さんと近い年齢になったことで見えてくるものがあるような気がして。鳴海さんの場合、生活のためにひたすら働いてきた20年だったかもしれないけれど、私は20代の頃に比べて40代は圧倒的に楽になったんですよね。若い女性は不自由な思いをすることもあるし、『こうなりたい』『これが欲しい』という執着もあります。理想の自分と現実との差も大きくてしんどかったし、理想に近づくために努力しなきゃいけない苦しさもありました。でも、年を重ねるにつれて、そういうものからだんだん自由になっていった。人生の選択肢は減っていくし、悪く言えば“諦め”なのかもしれないけれど、それは悲しいことではなくて。そうやって、自分を受け入れるプロセスを踏んでいくのだと思います」
40代だった彌栄子は60代に。彼女が過ごした20年も、また重かった。
「彼女は彼女で、会社を守るためになりふり構わずにやってきました。そこにはきれいな思いだけでなく、複雑な思惑や汚い感情もあったはず。でも、ネガティブな感情をひとつも持たない人間なんて多分いないし、小説の中では醜い気持ちを持つことも肯定したくて」
お互いに年を取ったし、きれいごとではすまない経験も積み重ねてきた。〈傷こそが、欠損こそが、その人をその人たらしめる〉――ふたりが過ごしてきた日々、人生に刻んだ傷を、寺地さんはそんな凛とした言葉で表現している。
「強くてポジティブできれいなものって、どれもみんな似ていますよね。でも、傷のつきようはさまざまだし、それがその人のオリジナリティになるんじゃないかなと思います。ただ、苦労したから、傷ついたから優しくなれるとは言いたくなくて。『あの経験があったから、今の私がある』なんていい話に収束させる必要はない。嫌だったなという気持ちを持ち続けていいと思います」
■名状しがたい感情の揺れを書くのが小説の役割
鳴海と彌栄子の関係は何にも代えがたいが、ひと言で表すのは難しい。寺地さんは、このふたりの関係性をどう捉えているのだろう。
「『名前のつけられない関係』という表現には、関係性を定義することを避けるずるさも含むと思います。でも、このふたりの場合、本当になんとも言いがたいんですよね。お互いに憧れみたいなものがあったのは確かですが、憧れと恋愛感情の分け方もよくわからない。自分にとって強烈な印象を残す人との出会いって、人生で何度かありますよね。そういう感じなのかなと思います」
この作品に限らず、寺地さんは簡単には分類できない関係、時につじつまが合わない気持ちを丁寧に描き続けてきた。
「わかりやすさみたいなものに抵(あらが)いたい気持ちがあって。それって、小説の役割のひとつだと思うんです。あらすじはAIでも考えられるかもしれないけれど、A=Bだとはっきり言い切れない感情の揺れは、小説に書く価値があるような気がする」
不穏なタイトルではあるが、読後感はすがすがしい。寺地さん自身が当初想定していた結末とは、少し違うラストになったという。
「盗難事件がおきた時に家の中の他人が疑われることは悲しいけど、頻繁にあることなのかなと。そこで、連載を始める時に『ぬすびと』というタイトルをつけ、題名に引っ張られるように話が動いていきました。盗んだもの、奪われたものが、どの関係性の中にもある。そんな話になりましたが、書き手としては登場人物に幸せになってほしいので、より良い未来が待っていると信じられる終わり方になりました。今回は特に彼らの幸せを望む気持ちが強かったような気がしますね。お金のある人もない人も、みんな必死で生きている感じがするからかな。最後まで見届けていただけたらうれしいです」
取材・文:野本由起 写真:吉澤健太
てらち・はるな●1977年、佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年、『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞し、15年に単行本デビュー。21年、『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。23年、『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。近著に『いつか月夜』『雫』『そういえば最近』『リボンちゃん』『世界はきみが思うより』などがある。

『ぬすびと』
(寺地はるな/双葉社) 1870円(税込)
製菓会社を営む南雲家から子守りとして雇われた鳴海。そこで出会ったのは、気難しい少年の栄輝と、美しい年上の奥様・彌栄子だった。3人は心を通わせていくが、ある出来事を機に彌栄子から「二度と会わない」と言われ、関係が途絶えてしまう。それから20年、大人になった栄輝から、突然「母がそちらに行っていませんか?」と電話が掛かってきて……。年齢も住む世界も飛び越え、自由に踊り出すための物語。
