ループタイにティンバーランド…平成ブームなのに2010年前後のメンズファッションだけが「黒歴史」扱いの理由
平成リバイバルブームのただなかで
日本は現在、平成リバイバルブームの真っ只中にある。
若者、とりわけ10代やZ世代にとって、平成カルチャーは「懐かしいもの」ではない。PinterestやInstagram、TikTokなどを通じて触れる、エモくて明るく、どこか無邪気で景気のいい時代として映っているように見える。
彼らはギャルファッションや原宿系、森ガール、姫系といったスタイルが華やかだった頃をリアルタイムで知らない。物心ついた頃にはすでにファストファッションやノームコアが主流となり、無難でミニマルな服装が日常化した時代に育っている。そのため、雑誌、ショップ店員、個人ブロガー、読者モデルがそれぞれの流派を形成し、「赤文字系」「青文字系」「姫系」「小悪魔系」といった言葉が飛び交っていた時代の濃さに、むしろ新鮮な魅力を感じているのだろう。
実際、SHIBUYA109でもコロナ禍までは地雷系・量産型と呼ばれるスタイルが目立っていたが、コロナ明け以降の本格的な平成ブーム、Y2Kブームの到来によって、ネオ森ガール、グランジ系、平成ギャルの復刻商品、姫ギャル系などが売り場の中心に入り込んできた。
日本のガールズカルチャーにおいては、平成の要素が「懐かしい」だけでなく「可愛いもの」として再評価される動きがきわめて強い。
リバイバルしないほうの「平成カルチャー」
だが、その一方で、メンズ側には同じような熱量がほとんど見られない。
2025年には「平成女児」が流行語の候補にまでなり、エンジェルブルーやメゾピアノといったナルミヤ系ブランドの再評価も広く共有された。女児服、文房具、玩具、キャラクター、ゲーム、雑誌付録に至るまで、「平成女児」の記憶はひとつの文化圏として掘り起こされている。
しかし「平成男児」に関しては、そこまで大きな共有ブームにはなっていない。
たとえば「家庭科のドラゴン」として知られる裁縫セットやエプロンのドラゴン柄は、男児ノスタルジーの記号としてたびたび話題になるが、それはあくまで点としての再評価であり、女児文化のように面として広がる大規模なリバイバルには至っていない。
ゲームも同様だ。平成女児世代の『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』は、イベント、コラボ、グッズ展開などを通じて再評価の輪が広がっている一方で、『ムシキング』や『恐竜キング』にも周年企画や商品展開は見られるものの、『ラブand ベリー』ほどファッションやライフスタイルの文脈まで巻き込んだ再評価にはなっていない。
平成メンズファッションは「黒歴史」「ダサい」?
この差は、ファッションにもそのまま当てはまる。
2010年代に流行した「姫ギャル」や「森ガール」は、日本国内だけでなく韓国をはじめとする海外でも再注目され、ブランドの復刻や引用が進んでいる。ところが、平成後期のメンズ若者ファッション、特に2010年前後にかけてのスタイルは、懐古の対象になりにくいどころか、語られる時ですら「黒歴史」として消費されがちである。
ここで言う「平成メンズファッション」とは、平成全体を漠然と指すものではなく、主に2000年代半ばから2010年代初頭にかけての、お兄系、Vホス系、サロン系、ストリートサロン系、古着MIX、キレイめアメカジなど、雑誌と読者モデルによって拡散されたメンズ若者ファッションのことを指している。
具体的には、お兄系・Vホス系スタイルの象徴である深めのVネック、首元がダルダルしたドレープネックのカットソー、木こりのようなジレ、シワ・ムラ・ダメージ加工デニム、英字プリントTシャツ、スカル柄、首周りだけ柄が入ったTシャツ、チェックシャツ、五分丈・七分丈、トンガリ靴、ストール、スタッズベルトや2連ベルト、ロザリオ、ウォレットチェーン、キュービックジルコニア、シルバーアクセサリーなどが挙げられる。
また、Street Jack的な裏原宿・古着系では、フェイクレイヤード、Gジャン、ライダース、牛レザーやヌバック素材、モッズコート、ナシジベスト、ミリタリー系、レッドウィングのブーツ、ネルチェック裏地のマウンテンブーツ、ペイズリー柄なども該当する。
CHOKiCHOKi周辺のサロン系・ストリート系で言えば、ウールリッチのネルシャツ、テーラードジャケット、ドット柄、スキニーデニム、ループタイ、メガジップのついたアイテム、サルエルパンツ、エスニック柄レギンス、チェック裏地の切り替えパンツをロールアップするスタイル、ティンバーランドのブーツ、スエードの編み上げブーツ、斜め掛けのウエストバッグ、メッセンジャーバッグ、レザーネックレス、豚の鼻のようなパッチ付きバックパックなどが代表的だ。
当時を知る世代には懐かしい。だが、今の若い世代から見れば、こうしたアイテム群は「張り切りすぎててダサい」と映りやすい。
ここが、平成の女性ファッションとの決定的な差である。
笑われやすい過剰さとしての記憶
女性側の平成ファッションは、過剰装飾でも全てが「かわいい」に回収される。
フリル、レース、リボン、デコラティブな小物、ガーリーな色彩、キャラクター的な強さは、時代を経ても視覚的魅力として再解釈され、普遍的に愛されている。しかも、そこにはファッションだけでなく、文房具、雑貨、ぬいぐるみ、ゲーム、シール帳、携帯文化といった周辺文化まで結びついている。だから、リバイバルが単なる服の話で終わらない。
一方で、メンズの平成後期ファッションは、服単体の記号性が強すぎるわりに、それを支える周辺文化の保存状態が弱い。しかも、その多くは「当時はカッコよかった」という時代の空気込みで成立していたスタイルである。空気が抜けた瞬間、アイテムだけが裸で残り、一気に気恥ずかしさが前面に出る。
胸まで露わになる深いVネック、V系バンドマンのようなドレープ、ドクロや英字のプリントされたTシャツ、ホストのようなトンガリ靴、過剰な細身シルエット、ジャラジャラしたシルバーやレザーのアクセサリー。こうしたものは、後年になって「可愛い」や「レトロ」へ変換されにくい。「昔はこれが本気でカッコいいと思われていた」という照れや痛々しさが先に立ってしまうのである。
その意味で、平成後期のメンズファッションは、女の子の平成カルチャーのように「愛せる過剰さ」ではなく、「笑われやすい過剰さ」として記憶されている。
もちろん、平成メンズファッションがすべて消えたわけではない。Supremeやニューエラキャップなど、生き残っているものも多くある。
しかし、それらは平成後期のメンズファッション全体が再評価されたから残ったのではなく、もともとジャンル横断的に生命力のある定番や、ブランド単体で強い価値を持っていたものだけが、時代の変化に耐えて残存しただけである。
逆に言えば、お兄系やサロン系のように「その時代のナルシシズム」や「当時のモテ感」に深く依存していたスタイルほど、時代が変わった後に再生しにくい。
再評価されないのはなぜか
では、なぜそこまで再評価されにくいのか。
まず大きいのは、2011年の東日本大震災以降に進んだ消費意識の変化である。日本社会全体が浮ついた消費や装飾過多に対して距離を取るようになり、派手さや過剰さよりも、堅実さ、実用性、無難さが好まれる空気が強まった。
同時に、ファストファッションが浸透した。ユニクロ、GU、H&M、ZARAなどが、安くて無難でそこそこ整って見える服を大量に供給するようになり、わざわざ雑誌を読み込み、ショップを巡り、読者モデルの着こなしを研究しながら、個性のある服を組み合わせていく意味が薄れていったのだ。
さらに、SNSの主流化が決定打になった。
かつてのメンズファッション誌は、Street Jack、CHOKiCHOKi、MEN’S KNUCKLE、smart、MEN’S NON-NOなど、それぞれ異なる価値観を提示しながら若者の装いを牽引していた。ショップスタッフや読者モデルがスターになり、彼らの髪型や服装が全国へ波及した。
だが、SNS時代になると、ファッションは雑誌や店頭で学ぶものではなく、タイムラインで一瞬にして消費されるものになった。しかも、男の奇抜な服装や“気合いの入ったオシャレ”は、今のネット空間では憧れの対象になる前に、ネタ化・ミーム化・嘲笑の対象になりやすい。
女性の装飾は「可愛い」で救済されやすいが、男性の装飾は「イキっている」「ナルシストっぽい」「痛い」で切り捨てられやすい。
つまり、令和のネット空間は、平成後期のメンズファッションが再評価されるにはあまりに冷笑的なのである。
「頑張っている感じ」が嫌われやすい時代
メンズ若者ファッションの流れを大まかに振り返ると、2000年代前半はアメカジ、B系、古着系などが主流だった。リーバイスのデニム、ネルシャツ、コンバース、G-SHOCK、クロムハーツのアクセサリーなど、比較的ベーシックかつブランド力のあるものが支持されていた。
そこから2000年代半ばにかけて、古着MIXやセレカジが広がり、ディオールオム的な細身の美意識、ドルチェ&ガッバーナのロザリオやナンバーナインのデニムといったラグジュアリー志向がストリートに浸透する。
さらに後半になると、お兄系、ギャル男、Vホス、サロンボーイ、キレイめストリートが混ざり合い、「細く、盛って、雰囲気を出す」ことがモテの条件になっていった。
そして2010年代に入ると、それまでの数々の流行をカジュアルブランドが低価格で記号化し、「安くて少しギミックのある服」が大量流通する時代になる。
この時代の服は、今振り返るとかなり独特だ。柄、加工、装飾、シルエット、素材感、全部がどこか“足し算”でできている。
無地のTシャツ一枚では心許ないから、ドレープを足す。デニム一本では弱いから、ロールアップや切り替えや裏地で変化をつける。バッグにはデカジップが付け足され、ベルトの穴は2連や3連。靴にも裏地や編み上げやベルトを足す。そうやって全身で「オシャレしている感」を組み立てていた。
だが、その“頑張っている感じ”こそが、いま最も嫌われやすい。
令和のファッション観は、あからさまな努力の痕跡を嫌う。盛っていることが見える服より、抜けて見える服。気合いの入った記号より、何気なく整って見える清潔感。頑張って服でキメるより、身体、肌、髪、輪郭、姿勢など、素材そのものを整えておくことの方が重要視されている。
身体と顔を含めたトータルの管理が重要になった
ここで無視できないのが、韓国カルチャーの影響である。
近年の若者文化において、K-POPや韓国の美容・ファッション文化が果たした役割は非常に大きい。だが、その影響は単純に「韓国アイドルみたいな服が流行った」というレベルではない。もっと根本的に、男性の“見られ方”そのものを変えた。
平成後期のメンズファッションは、服のデザインと髪型でモテを演出する文化だった。盛ったヘアスタイル、細身のシルエット、アクセサリー、レイヤード、ギミックの多い服で雰囲気を作っていた。
しかし韓国カルチャー以後の男性像は、そこにとどまらない。服以前に、肌が整っていること、輪郭がシャープであること、体脂肪管理ができていること、鍛えられた身体であること、清潔感があること、ヘアメイクまで含めて完成度が高いことが求められるようになった。
つまり、オシャレの主戦場が「服そのもの」から「身体と顔を含めたトータルの管理」へ移ったのである。
加えて、筋トレや美容は今や女性受けだけのためのものでもない。自己管理、自尊心、SNS上での見え方、同性間の比較、就活や仕事における清潔感の演出まで含めて、男の外見投資の優先順位そのものが変わってしまった。
その結果、服に使える予算も意識も、平成時代より相対的に下がっている。
かつてなら服、靴、アクセサリー、バッグに振っていた金が、今はジム代、プロテイン、美容院、スキンケア、脱毛、美容医療、メイク用品などに割かれている。服は無難でもいい。その代わり、体と顔が整っている方が強い。そう考える若い男性が増えた。この構造変化は大きい。
細身志向と令和の筋トレブームの相性の悪さ
平成後期のメンズファッションが再評価されないのは、単に「ダサかったから」だけではない。服が男の自己演出の中心だった時代が終わり、外見管理の重心が別の場所へ移ってしまったからである。
さらに言えば、平成後期のスタイルは、当時の細身志向とも強く結びついていた。極限までウエストが絞られたTシャツ、細いパンツ、タイトで華奢なシルエット、鎖骨や首元を強調する服。こうしたものは、今の体づくり志向や、より健康的で立体感のある身体観とは相性が悪い。
服だけ残しても、身体の前提が違えば成立しない。
そのため、たとえ当時のアイテムをそのまま掘り起こしても、令和の男性たちはそこに自分を重ねにくい。着こなしの問題ではなく、時代が求める男の身体そのものが変わってしまったのだから。
当時のブランドの多くは消滅や縮小傾向に
しかも、お兄系やサロン系の多くを支えたブランドはすでに消滅、縮小、あるいは当時の勢いを失っている。女の子側の平成リバイバルのように、ブランドやキャラクター、雑貨文化、玩具文化、ショップ空間まで含めて総合的に再演できる土壌が弱い。
平成女児や平成ギャル文化には、再演可能な「記号の倉庫」が豊富に残っている。
しかし、平成後期メンズファッションには、その倉庫が乏しい。残っているのは、断片化した記憶と、ネットでネタにされる当時のスナップ写真ばかりである。
とはいえ、未来永劫リバイバルしないと断言するつもりはない。ファッションは本来、ダサいとされたものを何年後かに平然と蘇らせる世界だからだ。
もし平成後期のメンズファッションが再評価される日が来るとすれば、それは女性が求める男性像、あるいは男たち自身が憧れる男性像が、いまよりもっと細く、柔らかく、中性的で、読者モデル的なフワフワパーマや線の細さを肯定する方向へ再び傾いた時だろう。
つまり平成後期のメンズファッションが復活する日があるとすれば、それは服だけが戻る日ではない。男らしさの定義そのものが、もう一度変わる日である。
成仏できない「男の子たちの平成」
女性の平成リバイバルが「可愛い記憶の再発見」であるのに対し、メンズ側の平成後期ファッションは、いまだに「気合いを入れすぎていた過去」として距離を置かれている。
だが、時代は常に次の「かっこよさ」を求め続ける。
いまは黒歴史扱いされているあの過剰さも、いつか別の価値観のもとで掬い上げられる日が来るかもしれない。
ただ少なくとも現時点では、平成後期のメンズ若者ファッションは、懐かしさより先に照れを呼び起こす。
それが、女の子たちの平成が何度も蘇るのに対し、男の子たちの平成がなかなか成仏できない最大の理由なのだろう。
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