ヤングケアラー支援法の望ましい形とは?(srijaroen / PIXTA)※写真はイメージ

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3月19日に新刊『その手は明日を紡ぐために』(KADOKAWA)を刊行した小説家の五十嵐大さん。主人公の伊賀紡(いが・つむぐ)がライターという仕事を通して自分の居場所を探し、成長していく物語だ。

伊賀の両親は耳が聴こえないため、子どもの頃は両親の通訳を担っており「ヤングケアラー」という立場にあった。そして、著者の五十嵐さん自身も、耳の聴こえない両親のもとで育っている。

ヤングケアラーという言葉が社会に浸透し始めてまだ日が浅い。作品に込めた思いや、ヤングケアラーという言葉の受け止められ方について五十嵐さんに聞いた。(フリーライター・姫野 桂)

あえて「欠点のあるキャラクター」に
この作品を書くにあたり、一番重視したことを教えてください。

五十嵐さん:ジャンルとしては「お仕事小説」なので、まずはライターという職業を深く理解してもらうため、取材準備の仕方や文字起こしの大切さ、原稿執筆時の苦労など、細かなところも描きました。

そして、主人公の伊賀が成長する物語にしたかったため、あえて欠点のあるキャラクターにして、変わっていくことを意識しました。 伊賀は自身の生い立ちにじゅうぶん向き合えていなかったり、ジェンダーギャップをわかったつもりでいて見えていなかったことを指摘されたりします。そのような「不完全さ」の変化を書いています。

ライターとして読むと、とても「あるある」が詰まっていました。女性カメラマンや女性ライターが男性取材者から馬鹿にされてしまうシーンは私も経験がありますし、男性である伊賀が、男性の取材相手から見下されてしまうシーンも興味深かったです。

五十嵐さん:自慢をして相手より自分が優位だと示す「マウンティング」という言葉が流行ったとき、マウンティングをするのは女性同士で男性は関係ないという風潮だったと思いますが、実際は全然そんなことはありません。むしろ、男性同士のマウンティングのほうがよほど厄介な部分があると思い、作品の中にも反映させました。

また、よく勘違いされますが、インタビュー原稿というのは取材相手の言葉をそのまま載せるわけではありません。相手が話した言葉通りに書くと記事として成立しなかったり、SNSで炎上したりするリスクがあるため、同じ意味でも別の表現に書き換えるなど、書き手側が整える必要性があります。そういったライターの具体的な仕事を知らない読者にも伝わればいいなと思います。

五十嵐大さん(撮影:島津美紗)
「ヤングケアラーだからかわいそう」と一括りにできない
ヤングケアラーをはじめ、障害者や性的少数者なども登場します。このようなマイノリティを描く際に気をつけたことを教えてください。

五十嵐さん:あまり特別視しないことです。もちろん、それぞれの属性特有の悩みや問題はあると思うのですが、できるだけ身近にいる何の変哲もない人として描くことを意識しています。

主人公の伊賀自身も、その生い立ちから特別視されることに苦しんできました。だから東京に逃げて、その他大勢の人たちに紛れるようにして生きることで、やっと平穏な暮らしを手に入れられた。

きっと、そんな風に葛藤しながら生きている当事者は少なくないと思うんです。なので、本作ではマイノリティをその辺にいる人たちとして描きました。

伊賀は両親の耳が聴こえない「コーダ」のためヤングケアラーだったと自称していますが、ヤングケアラーの定義(※)は難しい部分があります。

※子ども・若者育成支援推進法は「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」として、ヤングケアラーを「国・地方公共団体等が各種支援に努めるべき対象」としているが、それでも定義は「抽象的」「文脈依存」であり、実務上は線引きが難しいとされている。

五十嵐さん:コーダがヤングケアラーに該当するのかどうかは議論が分かれます。ヤングケアラーではないと言う人もいますが、日常的に通訳を行うのでそれはケアであり、ヤングケアラーに該当するという意見もあります。

今までの著書や記事でも書いてきましたが、僕自身コーダです。振り返ると、ヤングケアラー的な側面もあったとは感じています。そのこと自体は特に何も思っていないのですが、ヤングケアラーという言葉に付与されているイメージが問題だと思っていて。

たとえば、Aさんがヤングケアラーだとします。その際、Aさんにケアを背負わせている親や家族は悪者、というイメージがつきやすく、それが嫌なんです。

もちろん、なかには子どもにケアを押し付け、親としての責任を果たさず、子どもの権利を奪っているような親もいるとは思います。ただ、すべての親がそうだとは思わない。

実際、僕の両親も「通訳してくれ」と強制することはありませんでした。ただ、聴こえることが前提になっている社会の中で両親は取り残されてしまう場面が多かったため、僕は自発的に通訳をしていただけなんです。

それは確かにケアに当たるかもしれないけれど、その責任が本当に親だけにあるのか、本当に親だけが悪いのか、はちゃんと見極めなければいけないと思います。

以前よりもヤングケアラーという言葉が社会に浸透しています。言葉が広まったことによるメリットとデメリットを教えてください。

五十嵐さん:ヤングケアラーというわかりやすい名前がついたことで、そういう子どもたちが日本社会にいるのだと知られたことはよかったと思います。ヤングケアラーのための制度も整ってきている最中ですし。

デメリットとしては、テレビなどでヤングケアラーと思われる子が報じられたとき、SNS上で「かわいそうだ」とか「親は何をしているんだ」と、正義を振りかざす大人たちが増えたこと。苦しい思いをしているヤングケアラーの当事者の中には、そうやって怒ってくれる大人を心強いと思う人もいるかもしれません。

でも、自分に置き換えて考えてみると、「あなたの親は本当に悪い責任感のない人たちだから、私たちが叩いてあげますよ」と言われているようなものです。僕はそんなこと望まない。

ヤングケアラーといっても置かれている状況はさまざまだし、やるべきことは親を叩くことではなく、子どもの負担をどうやって減らしていくのかを考えることのはずです。

だから、「ヤングケアラーだからかわいそう」と一括りにするのではなく、一人ひとりの状況をしっかり見つめて、その子がなにを望んでいるのかを冷静に捉えてほしいと思います。

僕は「親の耳が聴こえないからかわいそう、大変な苦労をした人」と言われがちでした。「健常者の家に生まれるならそちらを選びたかったよね」と言われたこともあります。でも、僕はもし生まれ変わって選べるとしても、また耳の聴こえない今の両親のもとに生まれたいなと思っています。

確かに苦労をする瞬間はありました。でも、その原因は耳の聴こえない両親ではなく、不十分な社会制度や無理解な社会の眼差しにあるのではないでしょうか。

人に相談をしたいけど「ひどい親」と思われたくない
2024年にヤングケアラー支援法(子ども・子育て支援法等の一部を改正する法律)が成立・施行されました。市区町村によっては周知ポスターが貼られたり、相談窓口が設けられていたりしますが、まだ制定されて間もないので支援内容が発展途上です。五十嵐さんが子どもの頃、どんな支援があったらよかったですか?

五十嵐さん:具体的な支援というより、まずは自分の境遇を気兼ねなく相談できる場所があったらよかったと思います。でも、子どもが自発的に相談できるかどうかと言うと、それは別問題です。

10代の子どもが「僕、ヤングケアラーなんです」と行政の窓口に電話をしたり出向いたりするのは難しいし、ヤングケアラーの相談をするということは親を悪者にすることだと考える人もいます。

僕が子どもの頃、親の耳が聴こえなくて大変だとあまり人に相談できなかったのは、やはり親を悪者にしたくないという気持ちがとても強かったからです。一生懸命育ててくれたし、愛情を注いでくれたし、欲しいものを買ってくれた。ただ、聴こえることが前提となっている社会にマッチしていなかっただけです。

でも、自身の苦労を相談したらきっと、「耳の聴こえない親が、子どもにこんなに苦労させている」と受け取られてしまっていたでしょう。それがわかっていたので、僕は誰にも相談しなかった。

だから、子どもの罪悪感も全部わかった上で話を聞いてくれる場所があったらだいぶ楽だっただろうなと思います。それはもしかすると、自助グループやピアサポートと呼ばれるものかもしれません。

具体的な困りごとの支援の例をひとつ挙げるならば、子どもの入学式や参観日には学校側が主導して手話通訳をつけてほしい。僕の母も学校行事には積極的に来てくれていましたが、保護者に対するアナウンスは聴こえないわけです。

そうすると、「保護者のみなさんはクラスごとに移動してください」などと言われても母にはわからない。そんなときはいつも、僕が母のそばまで行き、「次はこうするんだよ」と説明していました。そういった苦労をするコーダの子たちが減るように、学校行事には手話通訳をつけることが当たり前になってほしいですね。

この作品で一番伝えたかったことを教えてください。

五十嵐さん:自分の道は自分自身で考え抜き、選択することの大切さです。置かれている環境によっては、「選択させられている」ことも少なくない。でも、それだといつか後悔する日が来てしまう。

この作品の後半では「親を支え、親のために生きる人」と「自分のやりたいことを優先させる人」の二つを描いています。そのどちらが正しいのか、それは人によって受け止め方が異なると思いますが、大事なのは、自分で決めること。そのためにも、まずは自分の環境から目を逸らさず、向き合うことが必要なんだと思います。

今後書いてみたいテーマは何ですか?

五十嵐さん:抽象的な答えになってしまいますが、弱い立場に追いやられている人の話や、みんなが見ないふりをしている汚い感情に向き合わないといけないことについて書きたいです。きれいごとでは終わらせられないようなものが書けたらいいなと思います。

■五十嵐大
作家。1983年、宮城県塩竈市生まれ。2020年『しくじり家族』でエッセイストとして、2022年『エフィラは泳ぎ出せない』で小説家としてデビュー。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(その後、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』と改題し文庫化)を原作とした実写映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が2024年9月に公開された。2025年、『「コーダ」のぼくが見る世界』が、第71回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)に選定される。

■姫野 桂
ライター。1987年うまれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。
大学卒業後は一般企業に就職。2013年に退職してフリーライターに。
専門は発達障害や生きづらさ、社会問題。
著書に『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ解消」ライフハック』(ディスカヴァー21)、『生きづらさにまみれて』(晶文社)、『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)など。