「美人だね」「頑張ってるね」がNGな理由…上司が無自覚に部下を追い詰める“褒め言葉”の恐るべき罠

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「美人だね」「頑張っているね」「私の若い頃は」……。

職場で使ったら間違いなく部下に嫌われるこれらのことば。NGなことは何となくわかってはいても、その理由を正しく理解できているだろうか。

近年、職場のセクハラ・パワハラ問題は深刻化しており、企業のコンプライアンスはより重要性を増している。ミドル世代が何気なく話すことばがなぜ部下に嫌われるのか、ことばで失敗しないためにはどうすればいいのか――。

コンプラ時代を生き抜くために知っておくべき《ことばのメカニズム》を、『悪いことばの力』(大和書房)の著者で言語哲学の研究者である和泉悠先生に聞いた。

マウント発言の「怖い裏側」

和泉悠先生によると、ミドル世代が無自覚に発することばが時に周囲の人を不快にするのは、それらのことばに《人と人の間にある序列関係》を調整する役割があるからだという。

現代では身分の上下はなく「人間みな平等」のはずだが、“序列関係”とは何を意味するのか。

「平等な社会であっても力関係や立場関係がまったくないというのは幻想です。そもそも私たち人間は広くくくればチンパンジーやゴリラなど類人猿の仲間。彼らは“サル山”に階層関係を作り集団で暮らしていますが、それと同じように人もコミュニティのなかで暮らしている。そこに序列を作りたがるのは人間の性。

自分はそんなつもりはないと思っていても、職場でも誰が偉くて誰が幅を利かせているのか、そういう序列関係(ランク)には敏感なはずで、部下は上司に遠慮し、後輩は先輩に遠慮する。同じ役職でも“何となく立場が強い、何となく立場が弱い”という人は出てきます。

ことばは、そうした人が逃れられない序列関係を調整する役割を果たしている。

チンパンジーは餌にありつくためにランクを高く見せようと攻撃的な行動や身振りで示すわけですが、人間の場合も本能的に自分のランクを上に示そうとする意図がことばの端々に表れるということだと思います」(和泉先生・以下同)

例えば、「私の若い頃は」「そんなことも知らないの?」といった《マウントを取る》ことば。

自分の知識や経験、能力をひけらかし“できる自分”をアピールしているこれらのことばは自分を優位に見せる役割を果たしている。

もっともマウントを取る人は嫌われる傾向にあり、評判は上がるどころか下がるはずだ。優位に見せることはできるのか。

「ことばがもたらす力とは、評判の良しあしとは別で、誰が力を持つか、誰が幅を利かせられるかというもの。ことばは “権力のランキング”を調整している。

もちろん評判が良く一目置かれる人であればその評判により力を得ることはありますが、逆に評判が悪く、嫌われている人が恐れられ、怖がられることで権力を得ることもできます。周囲は怖いから従っておこうと思うわけです」

連日、メディアに登場する某大統領を思い浮かべるとわかりやすい。裸の王様と揶揄されようとも素知らぬ顔で世界に向かってマウントを取り、幅を利かせ続けている。

「『マウントを取る』を『悪口を言う』に置き換えるとわかりやすいと思うのですが、私は悪口というのは自分以外の誰かについてその人のランクを下げるような発言だと思っています。

その悪口が陰口であれば本人には届きません。そのため本人を直接傷つけることはないと思いますが、陰口が周囲に広まることでコミュニティのなかでの立場は悪くなり、ランクは下がります。

ですから悪口というのは、相手を傷つけるとか本人にどのくらい悪意があるかとか深層心理がどうとかとは無関係に、ランキングの操作という観点で考えるべきで、ことばが直接的に操作するのはそうした権力のランキングなのだと思います」

つまり悪口が悪いのは、人を傷つける悪意あることばだからではなく、他人のランクを下げ自分より劣っているものと見なし優劣関係を作ることにあると和泉先生は言う。

上司がやりがち「NGワード」

そう考えると、「なぜそんなこともできないのか?」「前にも言ったよね」など部下への叱責のつもりで口にしているこれらのことばが、ネット上で「上司から言われたくないことば」に挙げられていることにも納得がいく。

「言語学的な仕組みで言うと『なぜ』『何』『いつ』など疑問文を作ることばには、それがかかる文が“絶対的に正しい”といった前提が含まれます。『なぜ修学旅行に行かなかったの?』という質問には、前提として『修学旅行には行かなかった』事実があるわけです。

つまり『なぜそんなこともできないのか?』は、『あなたはできない』と決めつけたうえで会話を始めていることになる。部下には反論の余地はありません。

また、『前にも言ったよね』は“発言権を持つ上司が話したことを従う側の部下が聞いていないとはなにごとか”と問いただしているようにも感じ取れる。“言う側は偉いが聞く側は偉くない”といった力関係の差を念頭に発言していることが部下に伝わるのだと思います」

嫌われない「上手な叱り方」

とはいえ部下の成長をサポートするのは上司の仕事であり、時には叱責も必要だろう。何をどう伝えるべきなのか。

「部下に『上司は叱りたくて叱っている』と思われたら相手には響きません。叱るときは過去思考ではなく未来志向の部分をより強調することが求められるのだと思います。

批判には後ろ向きの批判(過去)と前向きな批判(未来)、両面があると思っていて、過去と未来、同時に見渡すのが建設的な批判だと思うのです。

『できないのが悪い』『これが君の欠点だ』と伝えるのは後ろ向きの批判で、このことばだけ見ると悪口と変わりません。つまり相手のランクを下げているだけです。

一方、前向きな批判では『私たちは同じランクの仲間だ』『間違いは指摘しているが、あなたの立場を下げようとしているわけではない』というメッセージを伝えます。

例えば、遅刻しがちな部下に対してなら、『また遅刻か』と叱って終わるのではなく、『チームが困るから次はやめてほしい』『仲間としてやっていくためにも改めてほしい』など、前向きな未来志向の発言を付け加えるといいと思います」

「美人だね」がNGとなる理由

批判も難しいが、褒めるのも難しい。現代では「かわいい」「美人だね」といったうっかり発言はセクハラ認定されかねない。見た目に対する褒めことばだけでなく「頑張っているね」といった労いのことばさえも否定的に捉える部下は多い。

よかれと思って口にしているはずのことばがなぜNGなのか。

「著書『悪いことばの力』でも説いている私の考えなのですが、悪口・褒め・自慢・自虐が絡み合う『悪口の正方形』というものがあります。他人を下げるのが悪口だとすれば、自分を下げるのが自虐、他人を上げるのは褒め、自分を上げるのが自慢というふうに絡み合っていて、それぞれがランキングを調整する役割を果たしています。

『美人だね』『格好いいね』といった見た目に関するポジティブなことばも、『頑張っているね』という褒めことばも、相手のランクを上げているわけです。

ただし誰かのランクを上げれば、相対的に誰かのランクは下がります。ランクが上がる、という観点から見れば、他人に『褒められる』ということは自分で『自慢する』のと変わりません。

そして自慢はもちろん敬遠されます。調子に乗っていると思われたくないからです。ですので、やみくもに褒められて、自分のランクが無駄に上がって悪目立ちするのを避けたいので、褒められたくない、となります。

さらに、ランクを上げるというのは上げるだけの価値があるということですから、そこには評価基準があり、この人はランクが上、この人は下と評価を下していることになる。

基準を決めているのは言う側の人間、この場合なら上司です。ミスコンの審査員でもない上司が勝手に美人の基準を決めて評価を下すのですから、『私が決めた基準を踏まえ、あなたを褒めて差し上げよう』と言っているようにも聞こえます。

本人にそんな意図は一切なく、素直に感心して褒めたつもりでもそう受け取られる可能性はあるでしょう。

褒めも自慢もどちらもポジティブな内容を示しているため、気軽に口にしてしまいがちですが、自慢は相対的に誰かを下げるわけですから大人が無邪気にいくらでも自慢していいはずはない。

褒めにしても誰かを上げれば相対的にほかの誰かを下げるわけですから社会的な影響も少なくないということを知っておくべきだと思います」

言葉の失敗を防ぐ「自虐」の力

もっとも悪口・褒め・自虐・自慢の“ランキングを調整する役割”を、コミュニケーションを図る上で効果的に用いているミドル世代もいる。

「立場が上の人のなかには、自分の功績を伝える場面では『最近は目も耳も悪くて娘に嫌われちゃってさ』というように自虐から始めたり、軽口を叩くときは相手を下げたりするだけでなく自虐で自分を下げ、バランスをとっている人は多いと思います。

日本では昔から贈り物を渡す際に『つまらないものですが』『たいしたことないけど』と控えめに言う習慣がありますが、英語でもこれに近い表現はあり、これらは人間関係の調整をする手段の一つとして世界中から見られています。

ランキングの調整という観点からもこうした謙遜は必要なのです。

“自虐”や“自己卑下”も謙遜と結びつくため、平等なランキングの維持を目指すのに使用されています。自虐で自分を下げれば相対的に相手のランクは上がります。褒めておだてることでも人のランクは上げることはできますが、自分を下げることでも人を高められるのです」

現代の企業社会では、絶対的権限を持つ上司に部下は服従するといった厳格な上下関係はなくなりつつある。だがミドル世代には旧態依然とした価値観から抜け出せない人もいる。

こうしたミドル世代の発言に部下は「偉そうに何様?」と反発心を抱くわけだが、「上司=偉い」と刷り込まれていては改めるのも難しい。そもそも序列を作りたがるのが人間の性だ。パワハラ問題が世間に取り沙汰されてもなお無自覚に「上から目線」発言を繰り返してしまうのだろう。

「厳格な身分社会、階級社会にあった時代には、目上の者が話すことばは下々には使用できず制限されていました。それだけにわかりやすかった。

一方、現代はさまざまな価値観が錯綜し、混乱しているようにも思います。ある意味過渡期にあり、ことばの選択が難しい時代だと言えます。

第三者が夫婦の配偶者を指す『奥さま』『ご主人』は一般的な呼称でしたが、最近では奥さま=奥に閉じ込められている、ご主人=妻が夫に仕えているといったニュアンスを避けて、公の場では『お連れ合い』『配偶者の方』に言い換えるケースも出てきました。

夫婦は互いにどう呼ばれたいのか、価値観をすり合わせておかないと呼称一つで気持ちがすれ違い、亀裂が生じる可能性もあるということだと思います」

では、ミドル世代がことばで失敗しないためにはどうすればいいのか。

「お互い認め合っている親友同士であれば、たとえ悪口でも差別的なことばでも、ふざけただけだと受け流すことができます。

職場でも上司と部下、あるいは同僚同士でも、信頼関係が構築されていれば軽口も可能だし、見た目を褒めることもできるはずです。そう考えると、まずは信頼関係の構築が必要ではないでしょうか。

ただしミドル世代は序列の上位にいるという自覚は常に持っておくべきです。

私の場合なら、口にすることすべてが“先生の発言”になりますから、『これをやってほしいな』という自分の希望を伝えただけのつもりでも『これをやれ』という“命令”と解釈される可能性があることを常に意識しています。

失敗を恐れて萎縮するのではなく、天気の話でもいいので小さなコミュニケーションを積み重ねていくことが大切なのだと思います」

▼和泉悠(いずみ・ゆう)1983年生まれ。University of Maryland, College Park, PhD(博士号)。現在、南山大学人文学部人類文化学科准教授。南山大学言語学研究センター長。専門分野は、言語哲学、意味論。特に日本語と英語を比較しながら名詞表現を研究。言語使用の論理的帰結についての研究も行う。著書に『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)『悪い言語哲学入門』(ちくま新書)『名前と対象――固有名と裸名詞の意味論』(勁草書房)などがある。

取材・文:辻啓子