AIか、ホワイトハウスか…トランプが「Claude」開発のアンソロピックに「絶対忠誠」を求める理由
「Claude(クロード)」を開発するAIスタートアップのアンソロピックと、米軍を統括するペンタゴンが係争で揺れている。件の「Claude」の利用条件について、完全自律型致の死性兵器での利用、ならびに大規模な監視(マス・サーベイランス)での利用を禁じたアンソロピックに対し、ペンタゴンが条件が折り合わないと契約を破棄した。倫理的なAIの開発を目指すアンソロピックと、トランプ政権下でより好戦的な軍事力強化につとめるペンタゴンの決裂は、テック界隈だけでなくカトリック系神学グループなど米国社会に広く議論と分断をつくりだしている。
前編記事はこちら:「AIの戦争利用」に揺れるアメリカ、トランプに国賊扱いされた「Claude」開発企業の「本当の目的」
「非人間による戦争」
ところで、ここまで「ペンタゴン」といってきたが、トランプ2.0は従来の「国防総省(Department of Defense)」をとりやめ、「戦争省(Department of War)」という名を選択した。言い換えには明らかに、対外進出(侵攻)を目的とする、その限りで、好戦的な軍事主義を匂わせている。その決断の背後には、戦争が、テクノロジーを駆使した事業として成立するという視点がある。ロボットやAIを駆使した「非人間による戦争」という事業への移行だ。人間の兵士を派遣しないで済むのなら、そして、彼らを死なせずに済むのなら、戦争は、ちょうどサイバーアタックと同じように、物量が続く限り気にせず毎日でも行うことができる。
その兆候はすでに、ウクライナ戦争が長期化するに連れ、ドローンによる攻撃の効果的運用が重視されてきているところに見て取れた。戦争のコスト構造も変わった。軍の統括部門の呼称を「防衛(Defense)」から「戦争(War)」へ変えた背後には、こうした戦争のあり方の変化も反映している。もっとも、その変化が即座に生じると思っているところに、ヘグセスやトランプへの映画やドラマの影響を見ることは容易だ。彼らは、イメージの世界がそのまま実現できると踏んでいるところがある。だが、現実はだいぶ異なる。イランと開戦したところ、むしろそうした「非対称戦争」に長けているのはイランの方だった、という評価が高まっている。アメリカが空爆を中心とした通常兵器による、従来通りの戦闘を展開したのに対して、イランが地雷・機雷やドローンなどを使って効率的かつ効果的な反撃をしてきたからだ。
そして、このあたりの「戦争の変化」の理解の仕方が、一周回って、アンソロピックのクロードに対して絶対忠誠を求める態度にも現れたと言えそうだ。
政府とAI、「上位」はどちらか?
つまり、本当の賭け金は、政府かAIか、上位のコマンドはどちらか?という懸念だ。背後にあるのは、「AIの神化」問題で、ただの技術としてAIを見ることができない。想像上では、戦術どころか戦略レベルの「策略」を巡らせる、参謀本部そのものに成り代わるのではないかと思わせられるところがある。そう考えたとき、ヘグセス、そしてトランプは、自分の判断にその都度「意見具申」してくる「倫理的な=WokeなAI」を望んではいない。その確執が、今回のアンソロピックとのやり取りの根幹にある。
ペンタゴンが忌避するのは、政府がAIに乗っ取られるような恐怖を感じているから。AIに対しても、その親元のアンソロピックに対しても、トランプ2.0らしく「ブリー(bully)な態度」をとる。一種のフランケンシュタイン・コンプレックスである。
この脅威は、コードが法を凌駕する怖さと言い換えてもよい。法に代わりコードが社会規範になった社会における、高度ソフトウェア複合体としてのAIシステムが保持する「特権性」、それこそが問題なのだ。AIの社会への浸透で、「Code is Law」、すなわち「コードこそが法である」社会が現実になる。それだけでなく、法的判断後の即時執行も可能だ。つまり、コードの世界においては、立法、執法(法の執行)、司法の間の壁が切り崩されてしまう。明らかにAIによって強化されたシステムは、政府の機能の肩代わり、つまり政府の代替物となる。
国民主権は消え、人類主権も消え、残るはAI主権の世界。ヘグセスやトランプが直感的に忌避するのがこの点だ。AIかホワイトハウスか。人類のメンツの問題なのだ。
だからこそ、トランプとヘグセスは、アンソロピックを、事実上の敵国企業認定したことになる。AI統治は未来の敵国なのである。もちろん、それは行き過ぎだが、ネオコンと同調する福音派とは別の意味で、むしろ、科学技術の成果を遠ざけるMAHAのメンタリティと同調するような傾向だ。ハイテクに対するキリスト教的疑念の態度が、政府で表面化した結果である。
そう考えれば、MAHAと同盟し、これまでの文教政策を全て「目覚めた急進左派」の蛮行とみなすトランプ2.0とも歩調を合わせたものとなる。その一事例として噴出したのが、アンソロピック紛争、ということだ。
AIを恐れる気分
それにしても、このアンソロピックとペンタゴンの対立は、キリスト教の終末観に振り回されすぎてはいないか? 俗っぽく言えば、『ターミネーター』のスカイネットに毒されていないか? ペンタゴンだけでなく、アンソロピックもまた、暴走するAI、それによる人類の破滅シナリオに囚われてはいないか? そのイメージを払拭できない人たちが、アンソロピックに参集している。だからこその倫理性。AIを神として、ペンタゴンもアンソロピックも揃って崇めてしまっている。クロードは神、ないしは神の御使い、なのである。西洋文明崩壊の恐怖が、どちらも強すぎる。
これに対して、AIもまたただのテクノロジーの一つに過ぎないという議論もある。AIへの恐怖は、Y2Kの焼き直しであるという見方だ。昨年4月、プリンストン大学のアルビンド・ナラヤナン教授と博士課程のサヤシュ・カプールは『普通の技術としてのAI』という論文を公開して、この点を指摘していた。この二人がともにインド系アメリカ人であることは、何かと示唆的だ。
「戦争とAI」という論点は「政府とAI」という論点につながり、そこからコードと法、規範や統治、さらには至高の権力の移行、という論点にまでスプロールする。確かに、世紀の変わり目にY2Kで怯えていた西洋社会を思い出すと、そうした終末的想像力は容易に西洋社会で伝播することは理解できる。以前に触れたティールの「アンチキリスト」への言及などもその一つと言えるし、西洋文明の凋落を憂えるアレックス・カープの思考もこの枠組みの内部にあるといえるだろう。
こうなると黙示録的発想から自由な中国が、それこそ正しく唯物論的に、ただの管制技術、統治技術としてAIを開発・運用しようとした場合、どうなるのか、気になってくる。先日、中国はアメリカとは別の独自のAI開発を行うと発表した。アメリカの観念的なAIと中国の唯物的なAI。互いに異なる地平を目指すことになるのだろうか。
そんな中、3月20日、ホワイトハウスは連邦議会に対してAIルールの基盤となる法の制定を促す提案をした。そこではAIについては州法よりも連邦法が優先することを定めて、AIの監督については連邦政府――トランプ2.0下では事実上ホワイトハウス――が一元的に対応できるよう要請していた。このホワイトハウスによるAIを占有しようとする動きもまた、AIを怖れる気分=バイブの現れなのだろうか。
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